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デジタル映像学のススメ〜サイエンス映像の定義の拡張について〜(軍司達男 氏 / サイエンス映像学会 理事、前NHKエデュケーショナル 社長)

2011.02.28

軍司達男 氏 / サイエンス映像学会 理事、前NHKエデュケーショナル 社長

サイエンス映像学会 理事、前NHKエデュケーショナル 社長 軍司達男 氏
軍司達男 氏

 人類は20世紀も後半になってそのイメージ世界を飛躍的に広げる画期的な技術を手にした。それがコンピュータを駆使した映像処理技術であり、デジタル映像技術の世界である。実際の映像を自在に加工するデジタル処理技術から、データに基づいて見えない世界をも映像化するコンピュータ・グラフィックス(CG)まで。また、さまざまな画像診断技術を用いたシミュレーション映像から現実とほとんど変わらない仮想現実の世界まで。これらは映像の信号がデジタル化したことによって初めて可能になった世界である。

 最近では、現実の映像にさまざまなデジタル映像を重ね合わせて、私たち人間の現実感を拡張するような拡張現実(AR)の映像化技術も開発が進んでいる。

 「デジタル映像の世界」はその技術的進化や応用範囲の拡大とともに、人類のイメージ世界をはるかな想像世界にまで広げてきた。それは大げさに言えば、15世紀半ばにグーテンベルクによって発明され、人類の知的世界を飛躍的に広げた活版印刷技術にも匹敵するような画期的技術と言えるのではないだろうか。

 特に自然科学の分野では、宇宙の始まりから惑星の誕生までを映像化したCG、脳や遺伝子のメカニズムを画像化したCG、地球温暖化の影響をシミュレートしたCGなどが、最先端研究の理解を助けてきた。私がかかわってきたNHKの科学番組でも、こうしたCGにずいぶんとお世話になっている。

 こうしたデジタル映像の進化、普及を受けて2008年4月に「サイエンス映像学会」が、「科学技術創造立国の実現に資するサイエンス映像の研究・開発・作品発表を目的として」(設立趣旨から)設立された。養老孟司さんを会長に、これまで学会発表に加えてシンポジウムや科学ジャーナリスト塾の開設、地域での自然科学教育活動との連携など、さまざまな活動に取り組んできた。

 この3年間の学会発表を見ても、科学技術の理解促進、成果の社会還元、映像利用の倫理的側面、映像アーカイブの研究、教育現場への利用、医療への応用、拡張現実技術の最先端など、多岐にわたる研究発表を行ってきた。

 デジタル映像技術は特に21世紀に入ってから、その進化のスピードを一段と速めている。デジタル映像の加工技術一つをとっても、2次元(平面)のCGから3次元のCGへと進化することによって、例えば建築設計図から実際の構造物が立体的に立ち上がり、さまざまに視点を変えてみることも可能になった。

 北京の紫禁城やアンコールワットの遺跡も自由自在に視点を変えながら、内部も外部もまるで鳥になったように鑑賞することができる。現実とほとんど変わらないという意味で、こうした映像は仮想現実(VR)と呼ばれる。さらに拡張現実(AR)になると、例えば関ヶ原の古戦場に行って、その現実映像の上に過去の合戦の動きを現実の映像に重ね合わせて見ることもできるようになる。デジタル映像技術の進化は、イメージ世界を拡張したいという人間の欲望をかなえる形で進化していると言ってもいいのではないだろうか。

 その意味で、デジタル映像技術は今や自然科学の分野にとどまらず、さまざまな分野の学術研究、私たちの生活や人間関係、教育、社会システム、産業構造にまで浸透し、それらを大きく変えようとしている。こうした潮流を受けてサイエンス映像学会では去年、これまでの3年間の活動を踏まえながら、学会のドメイン(守備範囲)を再整理しておく必要があるという意見が出された。

 一つの考え方として私が提案したのは、サイエンス映像学会を、科学分野の映像化にとどまらず、あらゆる分野の「デジタル映像化の技術とその応用の可能性」について科学的に研究し、その研究成果をもって人類の文化向上に寄与するものと再定義する案である。サイエンス映像の定義の拡張ともいうべきものだが、学会がこの3年間に行ってきた活動範囲とも無理なく一致する。

 拡張された学会の守備範囲をさらに分野別に以下の5つの分野(柱)に分けてみると、それぞれの分野での最新研究の広がりと同時に特有の課題も見えてくる。

  1. 最新の科学的、学術的成果を映像化する
    最新の物理、宇宙、生物、医学、数学などの研究成果の映像化。スーパーコンピュータを駆使した映像から高度な概念の映像化までさまざまだが、それぞれ最新理論と映像化の関係、映像リテラシーなどが課題となる
  2. 産業現場に生かされる映像化技術とその応用
    CT、MRI、サーモグラフィー、リモートセンシングなどの診断画像を基にしたシミュレーションやCG、原子力発電プラントの作業現場に放射線の可視化映像を重ねた拡張現実(AR)など。産業分野への応用は日進月歩だけに専門家間の連携と育成が急務
  3. 生活、エンターテインメント分野への応用
    美術館展示や遺跡での拡張現実映像、3D映画、ゲーム、アニメ、スマートフォンのアプリ、ARのCM利用など。人々の心をつかみ、生活や娯楽を豊かにする映像化技術の研究とビジネス展開の可能性
  4. 学校教育に貢献する映像の開発と応用
    理科や数学など教育分野での理解促進、映像アーカイブスの利用、タッチパネルを利用した電子図鑑の開発など。学校教育に資するデジタル映像の開発と教育効果の研究
  5. 最新の映像化技術、表現手法の先端的研究
    電脳メガネを使った次世代ARの研究など、大学や企業研究所による先端的な研究の紹介。あるいは大学のメディア学科、デザイン学科、映像学科などによる表現手法の開発など

このように5つの分野で見ても、本格的に開発が始まってからまだ30年もたっていないデジタル映像技術が、急速に進化しながら私たちの生活の隅々に及んでいることが分かる。また、サイエンス映像学会が当初から想定していたように、この分野がメディア、大学と企業、教育現場の三者(トライアングル)に深く関係する分野だということも分かる。

 同時に私は、これらの分野は今社会で必要とされている専門分野だけに、大学の学科(講座)などに取り入れれば、学生に大変訴求力のある講座になるのではないかと考えている。アニメやCGを扱う学科はあるが、「デジタル映像化の技術とその応用の可能性」をトータルにカバーするデジタル映像学科はほとんどないと思うので、学会と大学教育との連携も今後の課題になってくるだろうと思っている。これについても現在少しずつ準備を始めているところである。

 さて、最後に今年3月27日、28日の2日間、青山学院大学の青山キャンパスで開かれる第4回サイエンス映像学会大会についてPRしておきたい。<サイエンス映像の定義の拡張>という開催テーマで、ライフサイエンスを可視化する医領解放構想、映像をベースにした電子図鑑の開発、NHKの番組「大科学実験」の制作メソッド、科学が迫る長寿の秘訣(ひけつ)、ARの新しい情報デザインなど、多彩な研究発表が行われる。

 専門家だけではなく、デジタル映像世界に関心のある一般の方々、そして若い学生たちがたくさん参加されることを期待している。

サイエンス映像学会 理事、前NHKエデュケーショナル 社長 軍司達男 氏
軍司達男 氏
(ぐんじ たつお)

軍司達男(ぐんじ たつお) 氏のプロフィール
茨城県立水戸第一高校卒。1968年東京大学工学部都市工学科卒、NHKに番組ディレクターとして入局。主に科学番組のドキュメンタリー番組(原子力、技術立国、地球環境、医療、生命科学などのNHK特集)を制作。サイエンス番組部長、衛星放送局長などを経て、2003年放送衛星システム社長、2006年NHKエデュケーショナル社長。教育テレビの番組開発とともに料理レシピや語学の独自ウェブサイトを立ち上げた。退職後は東京工科大学非常勤講師などに携わる傍ら、ジャーナリストとして個人的なウェブサイト「メディアの風」を主宰。

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