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体で覚える科学教育を(秋山 仁 氏 / 東海大学 教育開発研究所 所長、NPO法人 体験型科学教育研究所 理事長)

2011.01.31

秋山 仁 氏 / 東海大学 教育開発研究所 所長、NPO法人 体験型科学教育研究所 理事長

東海大学 教育開発研究所 所長、NPO法人 体験型科学教育研究所 理事長 秋山 仁 氏
秋山 仁 氏

 小学生のころから進学のためといって、相当な勉強を積んできているにもかかわらず、“知的好奇心・探究心が育まれていない。その結果、自発的な学習意欲がない、読書の習慣がない”、“何でもマニュアル頼りで暗記しようとするだけで自分の頭で思考しない”、“本や定説に従順なだけで、多角的に分析したり疑問を感じて深く思考しない”、“自分の意見や考えがない”、“初めて出会った問題や状況に直面すると思考や行動が停止してしまう”…。こういう若者が少なくない。こうした状況が示唆しているのは、学習量の問題というよりも、むしろ、学習の質に問題があるのではなかろうか。

 この10年くらい前から、3年に1回、OECD(経済協力開発機構)が先進国の子どもたちを対象にし、国際学力比較「PISA」を行っている。PISAで問おうとしている知的能力は、旧来の学力テストで測定しようとしていたものとは多少異なる。即ち、例えばPISAの科学リテラシーの試験では、クモの足は何本あるかとか、周期律表を覚えているか、という類の、知識の有無を問う問題はほとんど出題されていない。これらの能力(従来は、日本ではこの能力が主に学力とされていた)は、教室で比較的簡単に伝授できるものだ。これに対し、PISAのテストではグローバルなネット社会において活用できる知的能力を問うている。もう少し具体的に述べるならば、

  1. 様々なものに好奇心を持ち、学ぶことに関心を抱けているか
  2. 様々な分野の知識を自分の頭でつなぎ合わせ、正解に導いていく思考力があるか
  3. 混沌とした状況を自分で分析し、論理的に他人にも伝達でき、臨機応変に対応する能力があるか。

 こういった能力を調査しているのだ。生徒たちに“これはこうだ”、“これはこう処理する”といった一方的教育や反復学習は、計算、綴(つづ)り、パターン化された問題の解法など、知的作業の中でも比較的に単純な部分の到達のためだけに有効である。例えば、学力世界一とされるフィンランドの教育は、生徒自身が常に「なぜ?」、「どうして?」、「条件が違ったら?」、「違う立場だったら?」と各人が主体的に疑問や不思議を抱くことから出発させている。そして、各人が能動的に深く考える学びを授業でも生活の中でも取り入れ、その中でそれぞれの子供の潜在能力を伸ばすことに大いに力を入れているそうだ。こんな教育を実践するためには、教師の高い力量と、異なる能力を持った子ども一人一人の個性を尊重する心を国民が共有していることが不可欠であろう。

 日本でも、「世界の動向に遅れるな」というスローガンの下、10年くらい前の学習指導要領から、“従来の知識注入一辺倒の学習ではない、生徒の興味、関心を喚起し生徒自身が主体的にとりくむ学習を取り入れる”という目的で、“総合学習の時間”が導入された。当初、理想の理数系の学習活動が始まるのではないかと大いに期待していた。しかしながら、“生徒の興味、関心に合わせた体験活動”という方向に目が向けられすぎていた所為か、「単に、こんなことをやってみました」と、ただのイベントや遊びに終始してしまったところもあり、残念ながら期待されていた成果を挙げることができなかった。

 単に体験して終わりでは、本当の学びとは言えない。生徒の主体性に任せるといっても生徒にそれほどアイディアがあるとは限らない。そうなると遊びレベルで終わってしまう危険性も高い。米国のある学校で実施されている主体的学習活動では「学びがいある課題」を先生方が豊富に用意して、生徒が「これをやってみたい」と思うものを選択し、取り組むようにさせている。そして、そのようにして選択させた課題を、自分の理解や調査の深まりとともに膨らませていけるよう、先生は決して結果や答に直結してしまうような指示はせず、わざと、思考錯誤に陥らせるようにナビゲートし、生徒一人、一人の思考プロセスを重視した指導をしているそうだ。

 現在日本では、高校レベルでは文科省がSSH(スーパー・サイエンス・ハイスクール)やSPP(サイエンス・パートナーシップ・プロジェクト)などを導入し、それなりの成果を挙げているが、小中学校のレベルではなかなか明るい見通しが立たない。しかし、理数離れは小学校高学年ぐらいから始まっている。では、どうしたら良いのだろうか。こうしたスタイルの教育を成功させるためには、それなりの準備をしなければならない。まず、自分自身が体験したことのない活動を指導しなければならない先生方への研修や支援、学びがいのある体験課題の提供、どういった課題に取り組むことで、どういう能力を身に付けられるのかの指導書の開発、などが考えられる。しかし、このどれも実際に行うのは至難であろう。

 そんなことを考えていたころ、私たちもただ思案しているだけでなく、理数系の体験教育を見よう見まねで実践してみようという声が仲間たちから持ち上がった。そこで、十数人の専門家が集まり3年ほど前から「体験型科学教育研究所」というNPO法人を立ち上げた。幸いなことに、この趣旨に東芝から賛同を得ることができ、社会的貢献活動(CSR)のひとつとして大きなバックアップを受けることもできた。

 現在、このNPOが活動していることは、先生たちを対象にした体験型の授業を指導できる指導者の育成(マイスター講座)、体験型の学習プログラムの開発、子供たちを対象に行う科学体験プログラムの授業の実践などを年に延べ200回ぐらい行っている。まだまだ試行錯誤している部分も多々あるが、皆様方からのご支援、ご鞭撻(べんたつ)をお願いいたし、拙稿を終わらせていただく。

東海大学 教育開発研究所 所長、NPO法人 体験型科学教育研究所 理事長 秋山 仁 氏
秋山 仁 氏
(あきやま じん)

秋山 仁(あきやま じん)氏のプロフィール
駒場東邦高校卒。1969年東京理科大学 理学部応用数学科卒、72年上智大学大学院理学研究科数学専攻修士課程修了。ミシガン大学数学客員研究員、米国AT&Tベル研究所科学コンサルタント(非常勤)、日本医科大学助教授、東京理科大学教授などを経て、2007年から東海大学教育開発研究所所長。理学博士。専門はグラフ理論、離散幾何学。工夫された教材を使った独特の授業で知られ、08年にNPO法人「体験型科学教育研究所」を設立、理事長に就任。現在、NHK高校講座「数学基礎」の講師も務める。著書は「数学に恋したくなる話」(共著、PHPサイエンス・ワールド新書)、「こんなところにも数学が!」(扶桑社文庫)、「知性の織りなす数学美-定理づくりの実況中継」(中公新書)、「秋山仁の放課後無宿」(朝日文庫)など。

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