
2008年2月下旬、わが法医学教室は、コンピュ−タ断層撮影(以後CTと呼ぶ)による遺体の非破壊検査施行(AI-autopsy imaging)開始のプレスリリースを行った。その後1年という歳月を要したが、新品ではないものの各都道府県法医学教室への提供という形をとり(一部不要大学は除く)、日本の検死業務に進化を与えた形となった。
CTで生体の中をのぞく行為はなんら珍しいことではない。しかし死体の中をCTで調べることは、未知なる学問への入り口であり、このような使い方は『発想の転換』であった。今回、わが教室は単一塩基多型(single nucleotide polymorphism、以後SNPsと呼ぶ)の法医学的転用を提唱した。これも前回と同様『発想の転換』である。
「ヒト」1人には、30億個の塩基がある。その30億個のうち、個人ごとに違いがある一塩基多型(個人差)は約500万個存在する。その約500万個の一塩基多型に注目したヒトSNPsの解明手法は現在、悪性腫瘍(しゅよう)や難病そしてそれらの治療効果の判定など世界の最先端臨床現場で急速に導入されている。しかし、SNPsの法医学的転用は、米国やヨーロッパ諸国の一部の機関で始まったばかりと言っても過言ではない。
では今なぜ法医学分野にSNPsを導入しなければならないのか。DNA鑑定を行う検査試料が、その量も豊富で状態がよければ現在の主流である反復配列多型(short tandem repeats、以後STRと呼ぶ)で十分である。STRは、DNAのある領域にある長さの塩基配列が繰り返す反復回数の相違によって判定する方法であり、検出する塩基配列の繰り返しを見るためには、それ相当の長さが必要だ。そのような条件を満たすためには、DNAがバラバラになるような悪条件(例えば、腐敗や年数が経っているなど)ではSTRでの判定は困難を極める。また、試料が他の体液と混在した場合でも、塩基配列は読めなくなる。
その点、わが教室のSNPs検出システムは、その必要性に応じてSNPsから数十個を選択し、おのおのにつき1塩基を同定するSNPs検出するシステムであるため、ほとんどの悪条件にも対応可能である。つまり、STRでは判定できないような古くて微量な試料でも細胞の痕跡が含まれれば、分析可能だ。
よって、このSNPs検出法だからできる、いや、このSNPs検出法でしかできないことがある。例えば、ほんの1例であるが、厄介者と思われた不純物(contamination)に対し対応できるということだ。つまり、私が忌み嫌う最も憎むべき犯罪の一つである、強制わいせつ事件や親告罪である強姦(かん)罪において、科学的に加害者にたどりつける可能性がある。最初の試料(この場合、被疑者から採取した腟(ちつ)内容物を意味する)を分析し、被害者以外の不純物(contamination)が検出された場合、被害者固有のSNPsを分析データから削除し、残ったデータと被害者と思われる人物のSNPsと比較し、一致すれば、真犯人にたどり着けることになる。被害者は思い出したくもない事実を供述しなくてすむ。か弱き女性の強い味方になるだろう。
また、人種間の同定にもこのSNPsは役立つであろう。現に米国では既に、白人系、黒人系、ラテン-アメリカ人系およびアジア人系の分類が可能との情報がある。日本に3世代以上日本人として住んでいるヒトを日本人と定義した場合、日本人と、例えば「A」という国に3世代以上「A人」として住んでいるヒトとを、このSNPs検出法で分別できるかと言うと、可能だ。理論的には、1人種につき百数十人分の試料があれば、高等な統計学的解析を要するが、人種間比較はできる。
現在、日本国内における凶悪未解決事件の一部には、日本人以外の人物の関与の可能性が示唆されているものがある。このようにデータベースを着実に構築し、解析することによって、刑事事件や外事事件の解決に貢献できるであろう。
また、SNPsの情報解析によっては、瞳の色彩や頭髪の色調や骨格の特徴などに関与するSNPsを検出することで、腐敗や白骨化した身許不詳遺体のより正確な顔の複製にも応用可能になる。事件解決の最も重要な身許判明の足がかりにも貢献できるであろう。
以上のことをまとめてみると、
- ほぼ100%の確率で個人同定・親子鑑定
- 従来不可能であった古く劣化した細胞の痕跡からのSNPs検出
- 1ナノグラム(10億分の1グラム)のDNA量での分析
- ヒトか獣かの区別
- 人種の区別
- 個人の瞳の色・頭髪の色や癖・特徴ある骨格の認識
などが可能になってくるのである。SNPsの法医学的応用のアイデアは尽きなく、無限の可能性を感じずにはいられない。
いろいろな事情や法改正で法医鑑定は様変わりする。今年春、殺人事件の時効が撤廃された。未解決凶悪事件(通称コールドケース)の進展はないが、もし、残された試料が古くなっても細胞の痕跡さえあれば、このSNPs検出法は役立つであろう。
法医学のスペシャリストは減りつつある現状にもかかわらず、法医学者の権威も、法医学者に対する一般の人々の敬意も下がりに下がりつつある。
しかし、こうした厳しい現実を真摯(しんし)に受け止め、法医学的証明を公平かつ客観的に分かりやすく定量的に供給することをこれからも続けたい。

(たつみ しんじ)
巽 信二(たつみ しんじ) 氏のプロフィール
大阪府立花園高校卒。1980年近畿大学医学部卒。助手・医学部講師・講師・助教授を経て、2007年から現職。医学博士。法務大臣賞・大阪高等検察庁検事長賞を今年受賞したのをはじめ、大阪府警察本部本部長賞や奈良県警察本部本部長賞など多数。2010年10月25日現在、総解剖数4,278体、うち司法解剖実施数2,395体、AI(CT検査による遺体非破壊検査)数346件。昨年3月からすべての公判出廷において、裁判員裁判に焦点を合わせ、イメージ図をふんだんに使用した動画(アニメーション)を導入したパワーポイントを作成、裁判官や裁判員から好評を得ている。現在パワーポイントをリメイクした解説本「致命傷のメカニズム」(仮題)を執筆中で、検死に役立つ語録を集めたトランプ「面白トランプ-刑事編」(仮題)も製作中。