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人間と情報環境の「知の調和」(東倉洋一 氏 / 国立情報学研究所 教授・副所長)

2009.06.24

東倉洋一 氏 / 国立情報学研究所 教授・副所長

国立情報学研究所 教授・副所長 東倉洋一 氏
東倉洋一 氏

 ユーザである人間とコンピュータなどの情報機器との「調和」は、ヒューマンインタフェース研究の長年の課題である。情報化社会の進歩が多様な情報機器を生み出した今、人間と情報機器の調和を目指した調和型情報技術に関しても、新しいページが拓かれつつある。

情報機器から情報環境へ

 少し前までは、人間と情報機器のかかわりを考える場合、「人間が携帯電話を使う」「人間がパソコンを使う」といった情報機器との「一対一」のかかわりを考えれば十分であった。すなわち、人間にとって情報機器は特定用途の存在でしかなかった。しかし、現在では、携帯電話やパソコンに、ロボット、センサ機器、RFIDタグなどが加わり、情報機器の多様性が飛躍的に増した。極言すれば、すべてのモノに、情報端末、タグやセンサが装着され、これらが、ネットワークを介して、情報の共有とコミュニケーションを行うことが可能になった。このように、人間と個別の情報機器とのかかわりは、人間と情報環境(多様な情報機器とネットワークで形成される環境)とのかかわりへと変化した。

ウェブ環境への広がり

 さらに重要なことは、この情報環境は地球規模のウェブ世界につながっていることである。すなわち、情報機器とネットワークで形成された物理空間が仮想的に拡張され、無限に近いウェブ空間に広がっていく。この情報環境の変化が、人間にとってどんな意味をもつかを考えるために、音声対話技術を例にとろう。

 一般に、人間とコンピュータやロボットの対話では、人間が自由に発話した音声をコンピュータやロボットが認識し、これに基づいてさまざまな言語解析を行い、意味を理解する。そして、理解した内容に対応した言語を生成し、この言語に基づいた音声を、肉声に近い品質で、コンピュータやロボットに発声させる。このとき、ウェブ環境が「頭脳」のように働けば、人間とコンピュータやロボットとのやり取りは円滑に繰り返される。こうなったとき、音声対話として、一定レベルの調和が図られたとみなすことができる。

「調和」の脆弱性

 しかし、この従来技術は極めて脆弱(ぜいじゃく)である。例えば、音声対話の音声認識に用いる語彙(ごい)数や発話の形式などの制限、さらに、音声入力に用いるマイクや電話機の種類やマイクまでの距離、周囲の雑音の種類や信号対雑音比、話者の声質・話し方や感情、位置、姿勢までが認識率を大きく左右する。認識率の低下は、言語解析や意味解析に大きく影響し、コンピュータやロボットが、人間が話した内容を理解できない状況が容易に起こりうる。すなわち、従来技術は、限られた条件下では音声対話技術として調和的に働きうるが、技術の頑健性という視点からは、改善の余地が大きい。

情報環境が「知能」をもつ

 一方、新しい情報環境では、五感センサ、生体センサやRFIDタグなどの活用によって、ユーザである人間の状態に関して、極めて豊かな多面的・多元的な情報を獲得できるようになった。再び、音声対話を例にとれば、音声情報に加えて、ユーザの顔の向き、位置、姿勢、表情や口の動き、視線などの情報とそのダイナミックスをコンピューティング技術、適応処理技術、リアルタイム処理技術と融合させれば、ユーザの外見的な表層情報の活用にとどまらず、ユーザの注意、行動の予測から意図の推定までを導き出す可能性をもつ。すなわち、あたかも、「情報環境が知能をもつ」状況が期待できるわけである。

調和の「多様性」と「深さ」

 果たして、人間が知能をもつ情報環境にかかわることによって、音声対話技術、コンテンツ技術、コミュニケーション・ロボット技術などの従来技術において、より広範な適用範囲の調和が達成されるであろうか。これには、まず、「調和」という言葉のもつ多様な意味をより深く考えてみる必要がある。一般に、調和とは多面的であり、広義には、人間に対する情報環境の「親和」「適応」「支援」、あるいは、人間にとって「優しい」「自由な」「円滑な」「柔軟な」「快適な」「便利な」情報環境を含む。しかし、「調和」の検証を目指すには、定性的な表現を、定量的な評価尺度上に位置づける努力が求められる。このためには、人間の認知プロセスの理解に関する研究の助けをかりる必要があろう。

「知の調和」を目指す

 人間の知と情報環境の知能は、それぞれ異なる特徴をもつ。人間は、五感で情報獲得し、情報の記憶容量や計算速度は限られているが、予測や推定に関しては柔軟である。これに対して、情報環境はセンサで情報を取得し、記憶容量や計算速度は無限に近いが、柔軟性を欠く。これらの二つの特徴をうまく融合させることによって、人間と情報環境を「相乗的」「相互適応的」に作用させる状態に導ければ、「知の調和」に到達できる可能性がある。すなわち、人間にとっての知の調和とは、情報環境の存在によって、従来に比べて、多様性と柔軟性が増大し、適度な意識と努力によって、より大きな知的能力を発揮できることである。

国立情報学研究所 教授・副所長 東倉洋一 氏
東倉洋一 氏
(とうくら よういち)

東倉洋一(とうくら よういち) 氏のプロフィール
三重県生まれ。1972年東京大学大学院工学系研究科修士課程修了、日本電信電話公社(現NTT)入社。武蔵野電気通信研究所、ATR人間情報通信研究所社長、NTT先端技術総合研究所所長などを経て2003年、国立情報学研究所教授、05年から現職。09年から科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業CRESTタイプ「共生社会に向けた人間調和型情報技術の構築」研究総括を務める。工学博士。専門は人間情報学、音声情報処理、情報制度論。特に情報通信技術と人間・社会学との今後のかかわりに興味を持つ。「未来をさがそう」(責任編集、ダイヤモンド社)、「情報セキュリティと法制度」(共著、丸善)、「高度情報化社会のガバナンス」(共編著、NTT出版)、「ITは人間を賢くするか デジタル時代を考えるヒント」(ダイヤモンド社)、「22世紀への手紙」(編著、NTT出版)など著書多数。IEEE(米国電子電気学会)、米国音響学会、電子情報通信学会フェロー。

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