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環境と人間の生き方(ナチンションホル・ウリヤンハイ 氏 / 日本学術振興会 外国人特別研究員、国立民族学博物館 外来研究員)

2008.08.20

ナチンションホル・ウリヤンハイ 氏 / 日本学術振興会 外国人特別研究員、国立民族学博物館 外来研究員

日本学術振興会 外国人特別研究員、国立民族学博物館 外来研究員 ナチンションホル・ウリヤンハイ 氏
ナチンションホル・ウリヤンハイ 氏

 私は生まれ育ったモンゴル高原から初めて日本の土を踏んだのが1994年の冬で、今から14年あまり前のことであった。

 モンゴルと言うと草原、遊牧とのイメージが浮かびがちであるが、モンゴル高原の中心に位置するモンゴル国でも、人口の1.4割弱しか遊牧業に携わっていない(Mongolian Statistical Yearbook 2007)。つまり多くのモンゴル人は遊牧以外の仕事で生計を立てていることになる。

 私の実家はモンゴル高原の東の端に広がる豊かな草原に横たわるハイラル(Hailar)という小さな町にある。母親は娘の時代に遊牧生活を送っていたが、歌がうまかったので、のち地元のナーダム(夏祭り)でスカウトされて歌手としてハイラルの町に暮らすようになった。そこで知り合った父は、モンゴル高原の南の地域から移住してきた農耕モンゴル人で、地元の新聞社で編集の仕事をしていた。私は遊牧とかけ離れた環境で育った。

 人間はみなそれなり大きな目標を持っているが、それを実現させる方法が異なる。日本では、行動をとる前に必ず緻密な計画を立てて、確実に遂行されていく。私は日本に来てから、そんな周りの人々の活動ぶりを見て自分の行動が計画性に欠けていることに気づかされた。

 モンゴル高原では、気候が乾燥かつ寒冷で、雨の降る時期、地域も一定していないため、ほとんどの地域が耕作には向いていない。そこで、人々は降水量に生活と生産活動を合わせるため、家畜を追って時間的空間的に移動しながら、遊牧を営んできた。目まぐるしく変動する環境の中、詳細な計画が立てられない、立てたとしても実現しにくい。緻密な計画よりも、環境の変動に対する迅速な対応がより求められる風土である。

 母は少女時代を過ごしたメネン草原(Menengiin tal)のことを語ってくれたことがある。地表水のないメネン草原では、雪が降らない限り放牧地として利用できないが、冬になると雪が降り積もって、人の生活用水と家畜の飲用水が保証されるようになるので、冬営地として利用される。一夏の間に蓄積された草原の一次生産物も冬になると天然の乾し草に化し、家畜には絶好なえさになる。そして春先、天候が暖かくなって雪が解け始めると家畜とともにその草原を後にしなければならない。

 母たちは雪解け前線を追って毎日のように北の方に向かって移動する。毎日、朝起きると、ゲル(移動式住居)をたたんで家畜を追いながら北に向かう、夕方やっと北に退く雪溶け前線に追いつくと、そこに家畜をまとめてゲルを立てる。でも、次の朝に起きたら前の日にたどりついた草原の雪がうそのように消えている。このような移動を繰り返しながら地表水のある草原までたどり着くのである。雪が解ける時期が年によって大きくずれるし、雪解け前線の移動速度も年によって異なる。遊牧民にはその変動への適応力が求められるのである。

 私は夏になるといつも野外調査のためモンゴルに行っている。最初は、500キロ先の調査地まで何時間かかるだろうと運転手さんに聞いても、はっきりした返事が返ってこなかった。長い旅路で少しずつ溶け込んでくる運転手さんが、「いつ、何があるのかわからないので、旅をする時に時間のことをあまり気に留めないのがモンゴル流だ」と教えてくれた。

 モンゴル高原のほとんどの地域では、年間気温が約35℃から零下35℃、場所によってもっと広い範囲で変動しているので、舗装された道路が簡単に傷んでしまう。それ故、田舎に行く道のほとんどが自然道路の状態のままである。自然条件がインフラの整備に影響を与え、それが社会要素として人間の思考回路と行動パターンに与える影響が大きい。結局500キロ先の調査地には途中で一泊しながらたどりついた。

 日本は、気候条件に恵まれて自然環境が比較的に穏やかであるため、自然の生産力が高く、一カ所に落ち着いて耕作することが可能である。そこにインフラが整備されて、社会的な環境も安定してくるのである。安定した環境の中で、きめ細かく練った計画もほぼ予定通り実行できる。

 私は遊牧の暮らしを経験したことがないが、モンゴル高原の変動に富んだ自然の中で育った。日本にいると安定した環境の中で、周りに負けないように緻密な計画を立てながら行動するように心がけているが、モンゴルに行くといつも変化に富む環境に対応するように励んでいる。異なる環境を生きる自分の中に一つの変身スイッチがあり、いつも日本とモンゴルの間で切り替えて自分を変身させている。

 温暖化をはじめ、エネルギー問題、食糧問題など地球規模の問題が多く生じている今日の世の中は、モンゴル高原の気候条件に負けないほど変化に富んでいる。人間には変化する環境に迅速に対応する能力が一層要求されるようになった。変動がもたらすネガティブ影響を予測し、計画的に回避することも大変重要である。変化に迅速な対応を示すモンゴルの柔軟さと、物事を慎重に扱う日本の丁寧さが一体になれたら、世界がもっと広くなるだろう。

日本学術振興会 外国人特別研究員、国立民族学博物館 外来研究員 ナチンションホル・ウリヤンハイ 氏
ナチンションホル・ウリヤンハイ 氏
(Nachinshonhor・Urianhai)

ナチンションホル・ウリヤンハイ(Nachinshonhor・Urianhai)氏のプロフィール
内モンゴル生まれ。内モンゴル師範大学生物学部卒。1994年12月に初来日し、社会福祉法人南高愛隣会研修生を経て、東北大学大学院理学研究科修士課程修了、同大学院博士課程修了。専攻は植物生態学、モンゴル草原の植物群集における気候と遊牧の影響を中心に調査研究を行っている。

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