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「Suica」の社会インフラ化と産学官連携(椎橋章夫 氏 / 東日本旅客鉄道 理事・IT・Suica事業本部 副本部長)

2008.04.30

椎橋章夫 氏 / 東日本旅客鉄道 理事・IT・Suica事業本部 副本部長

東日本旅客鉄道 理事・IT・Suica事業本部 副本部長 椎橋章夫 氏
椎橋章夫 氏

はじめに

 JR東日本は約1,700の駅と約7,500Km(日本の鉄道の27%)の営業路線、そして、毎日約1,600万人のお客様にご利用いただいている鉄道会社である。いわば、鉄道インフラは重要な社会基盤インフラである。この鉄道インフラのうち、特に重要な戦略拠点は駅である。

 当社が2001年11月18日に、その駅での鉄道乗車券としての利用にICカードSuicaを導入した。Suicaは、デビュー以来、順調に発行枚数を伸ばし、2008年3月末現在、2,400万枚を超える規模に達している。現在も1日約1万枚のペースで発行枚数を伸ばしている。

進化する「Suica」システム

 Suicaは、ICカードの「大容量、高セキュリティ」という特徴を活かして技術改良を加え、これまでさまざまなサービス(機能)アップを図ってきた。

 鉄道利用の面では、デジタル化したグリーン券をSuicaカード上に発券することで、チケットレスで湘南新宿ラインなどのグリーン車をご利用いただけるシステムを実現してきた。

 これらは当社の事業ドメインである鉄道事業におけるサービスアップであったが、当社の事業ドメインに変革を起こすエポックメイキングなSuica機能の「進化」が2つあった。

 ひとつは2004年3月に開始された「電子マネー」サービスである。ICカード乗車券システムとしてスタートしたSuicaインフラは人々の移動のためのツール(乗車券)として機能する「鉄道インフラ」に過ぎなかったが、この電子マネー機能(=決済機能)を得て、「生活インフラ」へとステージを移したといえる。

 Suicaのもうひとつの大きな進化形が、2006年1月にサービスを開始した「モバイルSuica」である。モバイルSuicaは、Suicaが外部ネットワークと結合した初めての事例であり、Suicaインフラがこれまでの自社インフラからオープンな社会インフラへと進化したことを意味している。

 モバイルSuicaは携帯電話の通信機能を得たことにより、いつでもどこでもチャージが可能となり、時間的空間的制約からSuicaを解放することとなった。
このように、Suicaは鉄道インフラから解放されることにより、「生活インフラ」から「社会インフラ」へとさらに発展している。

「首都圏ICカード相互利用サービス」のインパクト

 2007年3月18日、首都圏の交通事業者が新たに発行するIC乗車券「PASMO」と当社のSuiceによる「首都圏ICカード相互利用サービス」を開始した。

 本プロジェクトには、首都圏の鉄道・バス会社106事業者が参画し、最終的に鉄道は119路線1,755駅、バスは約14,000車両にのぼる、交通ネットワークが形成される。これにより、SuicaかPASMOのどちらか一枚を持っていれば、首都圏のほとんどの交通機関がシームレスに利用できる。さらに、電子マネーの相互利用も同時に開始したため、駅などの店舗で買い物もできるようになった。

 この巨大インフラは首都圏のお客さまの利便性を飛躍的に向上させた。導入後、SuicaとPASMO双方の利用が大幅に増加している。

 この巨大インフラは大きなトラブルも無く、円滑にサービスを開始し、現在も安定的な稼動を続けている。本サービスのインパクトは非常に大きく、Suica発行枚数、電子マネー利用件数などが著しく増加し、これまでの最大記録の更新を続けている。また、Suicaのデータを管理しているセンターサーバのトランザクション数(利用件数の最大値)は1日当り2,000万件となり、導入前の800万件から倍増している。

社会インフラ化したICカード乗車券システムへの取り組み

 首都圏のお客さまの生活に必要不可欠となった、この巨大インフラの安定的な稼動を実現していくことが、今後の最重要課題である。これまでも、Suicaシステムの信頼性とセキュリティレベルの向上には継続的に取り組んできたが、さらなるレベルアップに向けて、社内にシステムの信頼性とセキュリティを専任で担当する「セキュリティマネジャー」を設置して、システムの根本からのレビュー、標準化、技術管理などを推進している。

 今後ともSuicaをベースにしたICカード乗車券の導入は全国に拡大する見込みである。Suicaの社会インフラ化により、当社はそれを支える企業として、社会的に重い責任を負うものと考えている。このため、システムの信頼性とセキュリティレベルの向上に対しては、妥協することなく継続的に取り組んでいくが、「ICカード相互利用インフラ」の安定稼動確保については当社1社だけでは完結せず、社会と連携してサステナブルなインフラ管理の仕組みを構築すべきである。

 今回のSuicaのように新しい技術が社会インフラへと発展するとき、特に産学官の連携が重要なポイントであると考えている。

社会インフラ化と産学官連携

 今後とも、Suicaはオープンで大規模な社会インフラ化の方向に展開するだろう。オープンな社会インフラは、多くのインフラ参加者(プレイヤー)を呼び込むこととなる。さまざまなプレイヤーがSuicaを活用し、その改善が結果として社会の利便性を向上し、さらなるプレイヤーの参加と改善が進んでいく。

 このような好循環を生み出すための必須要件は、当該インフラの安定稼動に資する「信頼性・セキュリティの向上」である。このためには、(1)大学などによる先端技術の研究・開発、産業技術への転換、(2)産業界による技術の標準化・規格化の取り組み、さらには(3)官による技術の実用化に際しての制度や仕組みの整備など、といった流れ(連携)の構築が不可欠である。

 特に私は最近、社会人ドクターとして大学に入学し、産学連携を実体験した。その中で感じたことがある。企業のシステムは必ずしも理論的に裏づけされたものばかりでは無く、経験工学によるものも多くある。企業には、実システム(フィールドデータ)とその対策技術は多くあるが、その解析や理論化、一般化は不得手である。

 一方、大学は先端技術の研究をパイロット的に行い、企業に比べて新技術実用化への挑戦的研究は優れている。しかし、実システムを十分に知らないため、実システムの詳細な状況を理解するには時間がかかり、今回も、システムの現状とそのモデル化に当たって情報の共有化や研究の方向合わせに苦労した。

 今後の産学連携は大学から企業への知識移転という「Transfer型」から企業との「Collaboration型」が望まれる。具体的には、もっと初期(大学は基礎研究、企業はシステム構想段階)から「人と情報の連携」を密にすることが重要である。

 今後、Suicaが安定的な真の「社会インフラ」に進化するよう、当社としても最大限の取り組みをしていきたい。

東日本旅客鉄道 理事・IT・Suica事業本部 副本部長 椎橋章夫 氏
椎橋章夫 氏
(しいばし あきお)

椎橋章夫(しいばし あきお)氏のプロフィール
1976年埼玉大学理工学部卒、日本国有鉄道入社、87年東日本旅客鉄道株式会社入社、98年同社設備部旅客設備課長、2002年同社Suicaシステム推進プロジェクト担当部長、04年同社理事・鉄道事業本部Suica部長、07年から現職。工学博士。東日本旅客鉄道(JR東日本)の自動改札システムを磁気式カードから、ICカード出改札システム「Suica」に切り替えるプロジェクトの中心になり、このSuica開発成功に至る経緯は、NHKの番組「プロジェクトX」でも取り上げられた。著書に「自動改札のひみつ」(成山堂書店)。

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