高校生の時に一冊のSF小説と出会って理系に進み研究者になった。実験が性に合って修士課程では「表面界面物性」を学んだ。走査型トンネル顕微鏡(STM)で一つ一つの原子を動かすことができ、そんな研究が面白かった。そうした研究の延長線上にナノテクノロジーがあった。今、脳の仕組みをナノ材料の構造体で作る研究を続ける。女性であり、母親になった。女性比率が極端に低い工学分野で苦労もした。でも「自由な発想」との出会いがあった。これからの若い人、特に女性には「夢見る自由を持つ大切さ」を、と語る。自分自身の夢は研究成果という現実がSFを超えることだという。そんな「一人の女性研究者」、大阪大学大学院工学研究科助教の赤井恵さんから「いろんなこと」を聴いた。
—子供のころから研究者になりたかったのですか
私は徳島県の田舎で育ちました。夏の夜は窓の外に蛍が飛んで、玄関を出ると野生のキジの親子が歩いてる。そんな大自然に囲まれていたのに私は家の中で本ばかり読んでいましたね。母は惜しむことなく本だけは町から買ってきてくれて、小学校の図書館にも通いましたがそれでも足りず、家にあった父の車の本、母の大人の小説、読むものがなくなって土井勝さんの料理本まで熟読していたのを覚えています。今思うとちょっとした活字中毒ですね。小学生で兄のコレクションの落合信彦氏や西村寿行氏のハードボイルド作品が大好きで、ほぼ全巻読破しました。将来スパイになりたいと卒業文集には書いていましたね。
中学校では背伸びして純文学にも行ってみました。コクトーやボードレールの詩集、トルストイの原著の直訳を読んでみたり。名作文学と言われるものの中に何があるのか確かめてみたかったんです。正直トルストイはちょっと無理しすぎましたね。喜びのない100キロマラソンみたいだった。でもゴールしたのが誇りです。とにかく小説も漫画もたくさん読んでいて、高校一年生の段階では文系とも理系とも決めかねていました。そんな時に偶然出会ったのが一冊のSF小説です。本屋さんの平積みで偶然手にとった、日本SF大賞の第1回受賞作品で、後に日本で最初のハードSFと言われた堀晃さんの「太陽風交点」という短編集でした。
エリート街道から落っこちて飲んだくれてる「星間パイロット」が、科学宇宙庁から突然呼び出される。ある星系前線基地のマザーコンピューターが変調を訴えているから、そこに行って調査してほしいと。そのコンピューターは、実は事故で死んだ宇宙物理科学者だった彼の元妻の脳を模したバイオコンピューターシステムで、今なにかの幻聴に悩まされているらしい・・・。そんな風な物理法則とか技術用語で記述される科学性が強い「ハードSF」の世界にすっかり魅せられました。
さらに高校では理系のいい先生に恵まれました。あまり成績が良い方ではなかったのですが、塾にも行ってない私を心配してくれたのでしょうか、数学の先生が個人的に一日一問出してくれて、それを提出する交換日記形式の演習をしていました。ほかにも物理の先生が「これを読んだら」とブルーバックスを勧めてくれたり。その影響もあり、選んだのは理学部の物理学科でした。純文学を選んだ時に似ていますね。またまたそこに何があるのか確かめたかったんです。物理自体はもちろん大変面白かったですが、結局今は純粋物理ではなく工学系の研究をしています。
—SFでどんな夢を持てたのですか。SFの魅力は何ですか
今人工知能(AI)が流行りですよね。AIによってものを考えるロボットが出現すると思いますか? SFには昔から喜んだり悲しんだりするロボットが普通に出てきます。こうしたロボットは使い古されたコンテンツだけどいつの時代もみんなの夢ですね。でも昔のSFは21世紀の未来でも家のパソコンは大きいままで、電話もものすごく大きかったりする。現在のように小さくて高機能な携帯電話を近未来に予言したSFはほとんどないと言われています。つまりSFという「科学の仮定」や「科学の夢」は現実の科学技術の進歩とは異なっていた結果だと私は思うんです。ただ、SFの面白さはそんな未来の技術予測が当らなかったとしても失われないです。人や社会の心理を含めて練られたSF作品に一番感銘を受けます。当然ですが人間が登場しないSFはないです。空想の科学と心理学と社会科学の「協演」。SFの面白さはそこにあると思います。
—どういう経緯で現在の研究分野を選んだのですか
岡山大学の学部では最初、理論物理の研究室に入ったんです。ところがまたあまり勉強しなかったので、大学院試験では、研究室の教授が「女の子は要らん」と言ったとかで落ちたと聞きました。それならば、と後期試験で実験系の研究室を志望し、修士では表面界面物性を学びました。半導体表面の反応を調べたり、表面に違う材料を積んでその界面の物性を調べたり。電子顕微鏡で原子を一つずつ観察していました。実験は性にあっていたようで楽しかったですね。修士過程から初めてちゃんと勉強をしたなあ、という実感があります。その当時STM(走査型トンネル顕微鏡)という物質の表面をスキャンして見る最先端技術が登場していました。電子顕微鏡は観るだけでしたが、STMでは一つ一つ原子を動かすこともできた。この研究をしてみたいと、大阪大学の博士課程に進みました。これらの研究がその後のナノテクノロジー(ナノテク)につながりました。今は、脳の仕組みをナノ材料の構造体で作ろうと思って研究しています。
—現在の研究内容を紹介してください
今、人工知能(AI)と呼ばれているものの多くには「ニューラルネットワーク」という人間の脳の構造を模倣した仕組みが応用されています。これはコンピューターの中にあるソフトウェアで動いているのですが、これを構造体としてモノで置き換えて作ろうとしています。今どんな研究をしているのかと聞かれると「ナノ構造の科学」とか、「ナノデバイス」とか、「ニューロモーフィック」などと答えることが多いです。「フィジカルAI」という言葉もいいですね。いずれにしてもこれまでなかった領域をやろうとしていると思っています。
—どんなことを目指して研究していますか?
今AIと呼ばれるものは、スーパーコンピューターなどの中にあるソフトウェアの機能で計算していますよね。ニューラルネットワーク自体は脳の機能を模しているので、実際の脳のように低消費電力でできるような仕組みなのですが、そのソフトウェアが入っているコンピューター自体は全ての情報をメモリに読みに行くので、処理に膨大な電力を消費することになります。脳が消費電力1ワットで考えられる計算を、スーパーコンピューター「京」に解かせたら約10の6乗倍ものワット数がかかるそうです。スピードは脳より10の7乗倍速いです。コンピューターに脳の形を模した計算の経路をソフトウェアとして入れ込むことで、脳の機能が本来持っている低消費性やコンパクト性が犠牲になっているわけです。本来だったら脳機能のように小さくできるはずだということは、私だけでなく多くの研究者が考えていることです。そうした課題をナノ材料なら解決できるのではないか、というのが今の私の研究の出発点です。
—今の研究を始めたきっかけは何でしたか
5年ほど前、材料系の学会に情報分野の研究者をお呼びして、AIについてのお話を聞く機会がありました。ある研究者が「この点からこの点に自分で伸びていって自由にないでくれる線となるような、夢のような物質があったらいいんですが・・・」と話していたんです。それを聞いて、自分が扱っている導電性ポリマーがすぐに思い浮びました。その頃は、表面に流した電流にそって重合するポリマーの研究を始めようとしている時でした。学会が終わった後、彼に「そういうものありますけど」と言いに行ったんです。AIの実際の仕組みなどは何も知らなかったのに、です。当時、多くの人がその話を聞いたのですが、実際にその発表の後に具体的な材料を提案して近寄ってきたのは私だけだったみたいですね。そうしたら「是非作ってください」と簡単に言われてしまって。私も「じゃあやってみようかな」と気軽に始めてしまった。でも実際作るのは発表のポンチ絵に書いたようなそんな簡単なものではなくて、材料達もまったく夢のようには動いてはくれなくて、大変苦労しています(笑)。
—AIのプログラムとナノテクはどんな関係があるのですか
AIの説明で、よく「丸」と「線」をたくさんつなげたような模式図が出てくると思います。AIの「ディープラーニング(機械学習の一つ)」では、あの丸が何万個もあって、線がそれ以上にあるという構造なのですが、あの丸と線の理論というのは1950年代からあるものです。脳の動きを研究していた人たちが考えたもので「ニューラルネットワーク」と呼ばれています。図1左の模式図で言うと、丸は脳にある「ニューロン」、線は「シナプス」にそれぞれ対応します。脳の中では、情報がニューロンに伝わると、その情報の量に応じてニューロンが反応(発火)します。反応したニューロンは、ニューロン同士をつなぐ接点であるシナプスを通じて、次のニューロンに情報を伝達します。こうしたことが膨大な数のニューロンとシナプスが複雑につながり合う中で常に行われています。シナプスが、学習する過程で「情報の伝わりやすさ」のネットワークを作りあげていくのです。本物の脳はもちろんもっと複雑ないろいろな機構があってその知能をもたらす仕組みはまだ謎である部分が多く残されています。ニューラルネットワークはその仕組みを究極に単純化し、シナプスの「情報の伝わりやすさ」を線の重みの値に変え、情報を単純な積和演算によって進めていくことが出来るのです。そして今、機械学習によって膨大なニューラルネットワークのシナプスの重みをコンピュータープログラムの中で最適化させることで、AIとしての能力を持つに至っています。
ニューラルネットワークを応用した仕組みは、2012年にトロント大学(カナダ)のジェフリー・ヒントン教授が、画像認識の分野で大きなブレイクスルーを果たしました。それがディープラーニングです。AIがこれだけもてはやされるのは、同じ仕組みが画像認識だけでなく、パターン認識などの分野分けや予測機能による会話や翻訳など、現実の社会に利用価値が大いにあり、さらに誰でも扱える単純性があるためです。今後どのような画期的な仕組みが作られるかは分かりませんが「あれがAIの黎明(れいめい)期だったね」と将来言われるものには間違いないと思います。
—現在の具体的な研究内容を紹介してください
コンピューターは整然としていて情報の伝達にミスは許されません。一方で脳の情報伝達は乱雑でいい加減です。それなのに脳は仕事ができます。私の場合は是非この”いい加減さ”や”乱雑性”を現実の物質を使うことで脳の機能に似たものを発現させられないかと考えています。私が今やっている研究の一つは、端子の間に有機物である導電性ポリマーを成長させてニューラルネットワークを作ることです。科学技術振興機構(JST)の「さきがけ」で3年間研究をさせもらいました。ニューラルネットワークの「丸」になるのが端子で、そこの間に「線」となる導電性ポリマーをアルゴリズムで成長させました。まだ54本しかできていませんが、このレベルでも3つの文字の認識ができるニューラルネットワークになっています。
私は巨大なニューラルネットワークを作りたいというよりは、有機物の特性を活かしてできるだけ小さいものを作りたいんです。脳の中は各領域が専門化されていて、音を聴く脳とか、目で見る脳とか、運動中枢を司る脳とか。そうした専門化された脳の機能のうちの一つぐらいをモノで作れないかと研究しています。たいそうなシステムではなくて、小さな仕事をしてくれる小さなシステム。例えばカメラのチップにちょっと入れたら、人間の顔だけを認識できるといったイメージです。先ほど線が54本で3つの文字が読めると言いましたが、1万本くらいあれば人間の顔が認識できるんです。そういったものを作っていきたいと考えています。また有機材料には”いい加減さ”や”乱雑性”を持っている。ゆくゆくはこういった材料の特性を有効に利用したいです。ニューラルネットワークのプログラムにも確率や揺らぎが有効に効果するという最新の研究もあります。このような研究を進めるにあたって、情報や機械学習分野の内容も理解しなければなりません。私にとってAIのプログラムを読み解くのも大変に楽しい作業です。
でも実は、自分が作った導電性ポリマーの成長を毎日顕微鏡で見ていたら、これどこかで見たことあるな、とデジャブ(既視感)を感じました。あるとき思い出したのですが、それは、20年程前に深夜のテレビ放送でやっていた「スタートレック・ヴォイジャー」に登場する「成長する脳コンピューター」が成長する様子とそっくりだったんです。何か新しいことをやっているつもりだったのに、結局SFでは使い古されたコンテンツだったのだなと、ちょっと悔しくなりました。でも現実にこんな研究やっているのは、きっと今は私だけと思いながら楽しくやっています。
—AIがどこまで進化するかという怖れのようなものがありますが。
今注目されているAIは、画像を認識したり、パターンで分けたり、短期予測したりという、人間の脳がやれるうちの一部の認知機能や判断機能のことですよね。今までのコンピューターができなかった処理をするから「知能」と言っているだけで、何かを自ら考え出す知能かというとそうではないと思います。私は本当の知能とは、感情を持つものではないかと思うんです。それは例えば映画「2001年宇宙の旅」の「HAL 9000」みたいに。これをAIが持ってしまうのは本当に怖いのですが、個人的にはしばらく、そういうことにはならないのではないかと思っています。例えば今、会話をするAIはありますが、あれはパターン認識で会話をしているだけであって、感情を持って話しているわけではありません。会話のパターン、自分が話したこと、相手が話したことを一定のアルゴリズムを持って処理して、次の言葉を決めているだけです。コンピューター同士の会話も、パターンを学習してオウム返しのようなことはできますが、感情があるわけではない。昔パソコンが出てきた時に、人間の仕事が奪われるのでは、と言われたのと同じで、AIが登場してもそれを使うのは、これから何十年かの間は人間であると思います。
—研究者における女性比率はどうしたら高くなりますか。女性研究者を全体の3割にするという数値目標がありますが
フランスによく行きますがフランスでは国会議員はもちろんのこと、研究者の女性比率も3割に達していますね。先日二次大戦後のフランスを描いた「タイピスト」という映画を観たのですが、大変驚きました。当時はフランスでも日本と同じような男尊女卑社会だったんですね。60年前はフランスも日本とほとんど同じだったのに今はなぜこんなに違うのかと、知り合いのフランス人に尋ねると、「法律で決めたんだよ。それだけだよ」のひと言でした。制度は重要だと思います。
もう一つ。個人的な話ですが、上に男の子、下に女の子の子供がいるのですが、下の子には「女の子なんだから・・」とつい言ってしまう。男だから女だからと言われ続けてきた、教育のやり方が身に染みついているのかもしれないです。そういう染みついたものから逃れてる人もいると思いますが、逃れることがなかなかできない人も多いと思います。私たちの時代でも子供の頃は「女の子はあまり勉強するとお嫁に行けなくなる」と言われていました。ばかばかしい話ですよね。
私は結局勉強して研究者になったのですが、正直に言うとそれでも「女だから我慢しなくては」と思ってしまうことがありましたね。大学は分野にもよるのですが、今でも古い社会規範で動いているところがあって、その組織の中に入ってしまうとつい男性に遠慮してしまう。私のいる分野は学問領域でも実質5%を切るのではないかというくらい女性比率が最も少ない分野です。私はポスドクもたくさん経験してきましたが研究現場では色々ひどいこと言われてもそれらを流してきた。そういうことはありました。ただ、私自身は今もその研究現場の中にあって、自由に研究させていただいていると思っています。それは研究を通じて男性の自由な発想との出会いがあったからこそです。夢を見ること、ばかをやってしまうこと、女の子がなかなか許されなかった自由です。そうした自由を見ているうちに私もいろいろなしがらみから逃れて自由になれた気がします。そのような自由な発想が科学の発展をもたらすと信じています。
女性にとって経済的自立は精神にも影響与えますね。以前、大学で「女性研究者になろう」というテーマで若い学生さんをエンカレッジする講演をしたときに私が用意したスライドに、「お金がないと喧嘩も出来ない」という一枚があって、それを見せたらみなさん大変喜んでくれました。そう。お金をちゃんと持っていないと夫婦の間で対等に喧嘩をしたり交渉したりということもできません。結婚して家庭を持った場合、パートナーとどうやって仕事を分担していくかは女性研究者として本当に切実な問題です。実は研究の現場でもお金を取るということは研究の自立をする意味ですごく大事だと思っています。下世話な話ですが、お金を持つということと女性研究者としてやっていくということはとても密接な関係があるのです。先日ある研究会で「あの先生の講演を聞いて博士過程に進んで研究者になりました」という卒業生の方にお会いして、とても嬉しかったです。「研究が好き、勉強が好き」だけでは研究者は続けていけません。ただこれは男性も女性もないことかもしれませんね。
— 一人の研究者として、これから研究の道を目指す若い女性たちに伝えたいことは何ですか
「夢見る自由を持つことの大切さ」です。私の場合、職業を選ぶ段階でも、また実際に働いている中でも、「自分は女子だからこのくらいが限界でいいかも」と思うことがあったように思います。今はそれをとても後悔している。自分の中に勝手に“硝子の天井”を作っていたんですね。私の場合夢を見ることの大切さを与えてくれ、今また思い出させてくれたのがSFでした。
—これからの夢は何ですか
自分の研究で昔SFが描いた未来を開拓することを許されて研究してきたので、これからはSFを超える夢を見ていきたいです。「スタートレック・ヴォイジャー」は実は西暦2300年の話なんです。その中で成長するバイオコンピューターは最新技術として紹介されている。今のAIの劇的な発展や脳科学の発展を目の当たりにしていると、現実はSFを超えるかもしれないと本気で思っています。その発展の一端となり得たら最高ですね。日本の誇る材料化学からこの分野に貢献できたらと思っています。
(サイエンスポータル編集部 腰高直樹、内城喜貴)
赤井恵さんのプロフィール
1988年岡山大学理学部入学、94年同大学大学院理学研究科修士課程修了、97年大阪大学大学院理学研究科無機・物理化学専攻修了。99年同大学大学院工学研究科精密科学・応用物理学専攻精密科学講座研究員。2005年科学技術振興機構(JST)戦略的創造究推進事業「さきがけ」研究員、07年大阪大学大学院工学研究科助教、15年、科学技術振興機構(JST)戦略的創造究推進事業「さきがけ」研究員。現在の主な研究テーマは、ナノテクノロジー、 分子素子、 ニューロモルフィック素子。信条は「楽しいことはいいことだ」。「趣味」は空手、ボルダリング 、スピードカート、読書
関連リンク