インタビュー

「進歩目覚ましいDNA型鑑定 犯罪捜査で威力の一方問題も」 第2回「再鑑定の保証実現に国民の監視も」(押田茂實 氏 / 日本大学名誉教授)

2016.02.19

押田茂實 氏 / 日本大学名誉教授

押田茂實 氏
押田茂實 氏

1月12日、福岡高裁宮崎支部で冤罪(えんざい)に関心のある人々にとっては見逃せない判決(注1)が出た。強姦(ごうかん)罪に問われ鹿児島地裁で懲役4年の実刑判決を受けた男性が逆転無罪となったのだ。半月後、検察側が上告を断念し、男性の名誉はようやく回復した。この裁判では、DNA型鑑定の急速な進歩が明らかになった一方、警察の科学捜査のあり方も関心を集めた。さらに、科学リテラシーを備えた裁判官と、警察・検察の非科学的主張・行為を見逃さない良心的マスメディアの存在がないと、いったん有罪の判決が下された後で逆転無罪判決を得るのは困難という現実もまた…。逆転無罪判決に大きな役割を果たした法医学者、押田茂實(おしだ しげみ)日本大学名誉教授に、DNA型鑑定の効力とDNA型鑑定に関わる日本の科学捜査の問題点を聞いた。

―DNA型鑑定は急速に進歩した一方、警察側がそれにふさわしい対応ができていない。その結果、進歩に見合う強力な捜査技術になり得ていないばかりか、新たな冤罪を引き起こしかねない現実がある、ということでしょうか。もう少し先生が体験されたことを含め現状をご紹介願います。

 現在のDNA型鑑定の精度がどのくらい高まっているかについてもう少し詳しく説明しますと、目で見て血痕と分かる試料があれば相当古いものでも検査可能です。その結果は10の20乗分の1、つまり一卵性双生児を除けば地球上の人類に同じDNA型の人は存在しない精度であることは前に話した通りです。DNAの頭文字をとって、「どんなに(D)逃げても(N)足がつく(A)」ともいわれるくらいですから(笑い)。これ、最初に誰が言ったのか確認できないのですが。

 半面、微量でも検査ができるということで、よこしまな検査官がいたりすると偽造も簡単ということになります。科学的証拠とする以上、第三者が間違いないとチェックできる「再鑑定の保証」が必要ということになります。それなのに警察側委員の反対で、日本DNA多型学会が作成した「DNA型鑑定についての指針」に盛り込まれていないことも前にお話しました。

 一方、最高裁判所の司法研修所は、岡田雄一(おかだ ゆういち)東京地裁所長ら3人の裁判官と黒崎久仁彦(くろさき くにひこ)東邦大学医学部法医学講座教授が協力研究員となって研究を行い、結果を「科学的証拠とこれを用いた裁判の在り方」として2013年3月に発行しました。足利事件の反省に立って行われた研究の成果です。

 岡田氏は、東京電力女性社員殺害事件(注2)で無期懲役が確定していたネパール人受刑者に再審無罪の道を開いた東京高裁裁判長の1人です。この司法研究「科学的証拠とこれを用いた裁判の在り方」に記述されている通りに行われなかったDNA型鑑定は裁判で認められない。そう言ってもよいくらい、現在、裁判官にとってDNA型鑑定のバイブルともいうべき資料になっています。

 DNA型鑑定の評価で何が重要かというと、次の四つです。その一つは「試料をどのようにして採取したか」です。二つ目は「どのように検査を行ったか」で、三つ目は「出た結果がどのような意味を持つか考察したか」。四つ目は「再鑑定のために試料をどのくらい残したか」です。一つ目が最も注目される問題です。2005年に栃木県今市市で小学1年生の女児が行方不明になり、翌日、茨城県常陸大宮市の山林で遺体が見つかった事件がありました。9年後の一昨年、犯人とされた男性が逮捕され、現在、裁判中です。この事件は女児の遺体から男のDNA型が検出されたのですが、数年間犯人逮捕には結びつきませんでした。調べてみたら捜査幹部のDNA型でした。

―せっかく「科学的証拠とこれを用いた裁判の在り方」ができても、捜査現場までは十分、伝わっていないということでしょうか。

 この事件は数年前のことで、十分反省し再検討したので、現在ではこのようなことは問題外だとされました。ところが、似たようなケースは昨年、新潟で女性の白骨死体が見つかった事件でも発生しました。残された所持品から男性のDNA型が3人検出されたのですが、なんと3人とも警察官のDNA型でした。担当警察官は帽子・マスク・手袋を完備しているので、原因はわかりませんという報告でした。資料の採取をまずきちんとやるというのが一番大事だということです。

 私が弁護側鑑定人として関わったケースとしては、2010年11月28日に下関市で起きた放火・女児殺害事件があります。被告は無罪を主張しましたが、女児のトレーナーや現場にあったおもちゃなどから被告と同型のDNA型が検出されたとする証拠が検察側から提出されていました。ところが、山口県警の科学捜査研究所は、鑑定書も一切作成していないし、試料を採取した方法をはじめとする鑑定過程の記録写真も撮っていません。何が残っているかといえば、たった1ページの鑑定結果通知書なるものがあるだけです。「鑑定結果は表のような通り」「試料は全量消費した」といったことが書かれた通知書が、科学捜査研究所からファクスで鑑定を依頼した警察署に送られる。こうした処理が当たり前になっていたのです。

 実際に科学捜査研究所の職員は裁判で「DNA鑑定の件数が多いので、2006年から1件も鑑定書は作成していない」と証言しています。このようなことは異様で、他の地域では経験したことがないということを証言し、その後現地で記者会見もしたのですが、それにもかかわらず山口地裁も広島高裁も「懲役30年」の判決を下しています。

 もう一つひどい事例として、同じく私が証人尋問された宮城県の「犯人隠避事件」があります。昨年1月の1審判決では、男性会社員が運転していたにもかかわらず、「自分が運転していた」と虚偽の証言をしたとする「犯人隠避」の罪で、女性会社員に対し懲役1年執行猶予3年でした。判決理由は、エアバッグから得られた鑑定試料から男性会社員のDNA型が検出されなかったとしても、運転者が男性であることを否定するものとはいい難い、というものでした。

 私は1審の仙台地裁古川支部(2014年10月)に続き今年1月25日に仙台高裁で証言台に立ちました。今回の証人尋問は午前10時から午後3時までかかったのですが、衝突事故を起こした車のエアバッグに付着していたDNA型から運転していたのは女性会社員と判断されることを、詳細に説明しました。事故の7カ月後にDNA型鑑定を施行したというのもひどい話ですが、起訴2日前には、「女性のDNAが付着していると推測される」と記載された報告書が警察内部で提出されていたのです。

 いずれにしろ表面に凹凸のあるエアバッグに付着したDNAを取り除いて、偽造することは素人には絶対にできないことは明らかです。この日には、警察庁科学警察研究所の室長(DNA型鑑定専門)も証言したのですが、証言内容は法医学的常識のないひどいものでした。

―こうした現状は変わりようがないのでしょうか。司法研修所から立派な本も出ているというのに。

 司法研究「科学的証拠とこれを用いた裁判の在り方」は、ものすごい前進だと私は評価しています。「裁判員裁判を念頭に置いた上で、DNA型鑑定を中心に据えつつ、科学的証拠の問題点や限界等について検討した」と書かれており、DNA型鑑定に関しては当面、この司法研究の内容に基づいて裁判は行われる、と期待しています。

―全ての警察本部の科学捜査研究所が、この司法研究通りにDNA型鑑定を実施するかどうかに尽きるように見えますが、裁判官や弁護士の意識はちゃんと伴っているのでしょうか。

 現在のDNA型鑑定につながる論文が初めて出たのは1985年です。私が東北大学医学部助教授から日本大学医学部教授に異動した年でした。まず、英国レスター大学のジェフリーズらが、制限酵素を使いDNAを分解すると、断片の違いに個人差が出ることを突き止めました。これはDNAフィンガープリント法と呼ばれ、これを用いたジェフリーズ自身のDNA型鑑定で、連続強姦殺人事件の犯人が逮捕されました。続いて米国のグループが微量な試料でもDNA型鑑定を可能にするPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)増殖法を発表しました。こちらが、現在のDNA型鑑定の主流になっています。

 DNAフィンガープリント法も、英国からすぐにカナダやオーストラリアでも普及したのですが、塩基の数が数千から数万もの壊れていないDNA断片を多量に必要とし、技術的にも難しいなど、犯罪捜査の個人識別には向かないことが分かってきました。1990年代には刑事事件では実際に使われなくなったのですが、それ以前にこれを証拠に有罪とされたケースがたくさんあり、再審の問題が英国、カナダ、オーストラリアで多数発生しています。新しい技術が開発された時に、あわててそれに飛びついて実務に応用すると、予想外のとんでもない結果を招く危険があるという教訓が得られています。

 足利事件が起きた1990年当時のDNA型鑑定技術はまさにそうした問題を抱えており、私も最初の論文発表後には、技術も難しすぎて捜査に応用するのは無理と見ていました。研究する価値があると十分確信が持てるようになってから、集中的に研究を進めることにしました。それまで1週間かかっていた鑑定に要する時間を1日に短縮し、1993年には日本大学医学部の実習にDNA型鑑定を取り入れています。医学生実習にDNA型鑑定を実施したのは世界でも初めてだったと思います。医学生たちには、採血された自分の血液について自分でDNA型を判定(この当時には足利事件で使用されたMCT118型)させました。

 DNA型鑑定の実習を始めた年に、弁護士になっていた高校時代の同級生が「血液の凝集反応について教えてほしい」と大学に訪ねてきました。これがきっかけとなり、東京弁護士会会員や司法修習生もDNA型鑑定の医学生実習に参加するようになりました。さらに95年からは日本弁護士連合会の弁護士有志に対する年1回の鑑定実習も始め、日本大学名誉教授になるまで続けました。実習を体験した弁護士や司法修習生の数は、500人を超えており、弁護士たちのDNA型鑑定に関する理解を広げる一助になったと考えています。今、最高裁判事をしておられる鬼丸(おにまる)かおるさんも若い弁護士時代に友人の弁護士に連れられて実習を見学に来たことがありました。

―現在、力を入れておられる鑑定科学技術センターでの「DNA型鑑定実習」について、お聞かせ願います。

鑑定科学技術センターは、一般財団法人材料科学技術振興財団の1機関です。この財団の主たる仕事は材料、特に半導体に関する解析・評価ですが、社会に貢献できる新分野として筆跡鑑定や指紋鑑定に加えて、DNA型鑑定や薬毒物検査を施行したいということで協力依頼がありました。医師免許がないと生体試料を扱えませんので、2010年に小生が顧問となり、主としてDNA型鑑定分野の相談にのっています。法曹関係者向けに筆跡鑑定やDNA型鑑定のセミナーを実施したり、実験室を見てもらう見学会を行っていましたが、最先端のDNA型鑑定の実習も昨年から開始しました。

写真.DNA型鑑定実習のリハーサル(中央が押田茂實氏、2016年2月17日)=鑑定科学技術センター提供
写真.DNA型鑑定実習のリハーサル(中央が押田茂實氏、2016年2月17日)=鑑定科学技術センター提供

 DNA型鑑定実習は月1回程度の予定で、4〜6人を対象に実施しています。土曜日の午前9時半から午後5時半まで、本人の血液採取からDNA型判定まで最先端のDNA型検査を一通りやってもらいます。参加費は5万円で参加者のほとんどは弁護士ですが、ジャーナリストもいます。DNA型鑑定が絡む裁判で苦労している弁護士たちも、この実習を受けると、警察が実施したDNA型鑑定の問題点を見抜けるくらいになります。これまで7回実施しました。最近では、自分で苦労したDNA型判定結果が出て喜んでいるときに、わざと偽造したDNA型鑑定チャートを見せるといったこともしています。「お前は女性を強姦したな、この証拠を見ろ!」と言って(笑い)。

 DNA鑑定の進歩は目覚しい。しかし、それだけにあらゆる先端科学技術同様、表と裏があるということを多くの人たちに知ってもらいたいのです。犯罪捜査、冤罪防止に大きな威力を発揮する半面、いい加減な使い方をされると大変な結果も招きます。20年前に法医学者たちが主張した「再鑑定の保証」はいまだに警察実務に取り入れられていません。法医学者だけでなく、一般国民の監視も重要だということになります。

 (注1)2012年10月7日、鹿児島市の繁華街の路上で17歳の女性を強姦したとして23歳の男性が逮捕、起訴され、否認したものの鹿児島地裁で懲役4年の実刑判決を受ける。検察側は、女性の体内から精子が検出されたものの微量のためDNA型は特定できなかったが、女性の胸の付着物が男性のDNA型と一致したという鹿児島県警科学捜査研究所の検査結果を証拠として提出した。男性は控訴、福岡高裁宮崎支部の無罪判決が出る前の昨年3月、押田茂實氏の鑑定結果が出た後に釈放されている。

 (注2)1997年3月19日、東京都渋谷区のアパート空き室で東京電力女性社員の殺害死体が発見された。2003年10月最高裁は無罪を主張していたネパール人を無期懲役とした東京高裁の判決を支持した。検察官依頼のDNA型鑑定の結果、被害者の遺体や衣類などからネパール人以外にDNA型が多数検出されたことから再審決定となり、2012年11月に東京高裁で無罪が確定した。東京高裁の岡田雄一裁判長は検察側に物証の開示と鑑定を強く求め、これが無罪確定の決め手となる検察側依頼のDNA型鑑定結果につながった。弁護側の依頼で押田茂實氏は、当初の証拠とされたネパール人が便所に残した精液の古さを特定し、犯行推定日と合わないとする鑑定結果を最高裁に提出したが、最高裁はこれを無視し、無期懲役決定文では全く触れていない。

(小岩井忠道)

(完)

押田茂實 氏
押田茂實 氏

押田茂實(おしだ しげみ)氏プロフィール
埼玉県立熊谷高校卒。1967年東北大学医学部卒。同大学医学部助手、同医学部助教授を経て、85年日本大学医学部教授(法医学)。2008年定年で研究所教授に。10年MST鑑定科学技術センター顧問、11年日本大学名誉教授。12年神楽坂法医学研究所長。数多くの犯罪事件に関わる法医解剖、DNA型鑑定、薬毒物分析のほか、日航機御巣鷹山墜落事故、中華航空機墜落事故、阪神・淡路大震災など大事故・大災害現場での遺体身元確認作業などで重要な役割を果たす。編著書に「法医学者が見た再審無罪の真相」(祥伝社新書)、「Q&A見てわかるDNA型鑑定(DVD付)(GENJIN刑事弁護シリーズ13)」(押田茂實・岡部保男編著、現代人文社)、「法医学現場の真相-今だから語れる『事件・事故』の裏側」(祥伝社新書)、「医療事故:知っておきたい実情と問題点」(祥伝社新書)など。医療事故の解析もライフワークとしており、「実例に学ぶ-医療事故」(ビデオパックニッポン)などのビデオシリーズやDVDもある。

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