インタビュー

第1回「連動型巨大地震なぜ無警戒だったか」(岡田義光 氏 / 防災科学研究所 理事長)

2011.04.27

岡田義光 氏 / 防災科学研究所 理事長

「マグニチュード9.0の衝撃」

岡田義光 氏
岡田義光 氏

東日本大震災は、福島第一原子力発電所事故の被害の深刻さに内外の目が集中している。これから原子力発電の是非を含めたエネルギー政策論議が高まるのは必至と見られる。原子力工学をはじめとする科学者、技術者は、これまで一般の国民にどれだけ正しいことを伝えてきたのか? そんな不信の声が、科学者、技術者に向けられることを心配する声も出ている。では、地震学者は今回のような地震が起きたことに対してどのように感じているのか。岡田義光・防災科学研究所理事長に聞いた。

―今回、起きた地震に対する率直な思いを聞かせてください。恐らく予期していたものを超えていたのではないかと想像しますが。

はるかに超えていました。想定外という言葉はあまり使いたくないんですけれども、ああいうタイプの地震が東北日本の沖合、東日本の沖合で起きるということは、本当に想像していなかったです。西日本、いわゆる東海から南海までの連動型地震というのは、過去400年の間にも何回かありましたが、福島の沖とか茨城の沖では、これまでにマグニチュード(M)8クラスの地震すら知られていないんです。やはり経験のないこと、過去に起きたことがないことをこれから起きると予想することは、なかなか勇気がいることです。理論的にはあるのかもしれないけれど、過去に一度もなかったことを、これから起きるぞと言うことはなかなか難しいです。

確かに869年に巨大津波を生じた貞観地震というのがあったことは知られていました。しかし、この地震もせいぜい宮城沖から福島沖にかけての長さ200キロぐらいの断層が動いた地震だと考えられていました。今回、動いた断層の大きさはさらにその倍以上ですので、まさかそこまで大きな地震は、という感じはありましたね。

―私は茨城育ちですから、小さいころから小さい地震には慣れており、地震を恐ろしいと感じずに育ちました。三陸沖などと違って、茨城沖では巨大地震が起きない地球科学的理由があるものだとばかり思っていましたが。

私も、つくば市民ですから同じです。この辺は日本でも一番有感地震が多い所なのです。平均すると年に50回、週に1回は揺れているわけですが、これは主にこの辺、関東地方の下に潜り込んで来ているフィリピン海プレートおよび太平洋プレートの活動が常時あって、M5ぐらいの地震は結構頻繁に起きるし、M6クラスのもたまに起きるんです。ただし、これらの地震の起こる場所はかなり深いので、建物を壊すような地震は歴史的にもほとんどありません。

一方、今回の地震と同じ沖合では、茨城県でも大体20年おきぐらいにM7クラスの地震が起きていることが、これまで知られていました。しかし、せいぜいM7止まりだと。政府の地震調査研究推進本部地震調査委員会の推定でも、予想マグニチュードはM6.7から7.2といった見積もりでした。過去のデータから統計をとるというやり方ですから、経験のないことまでは予測していません。ですから、私も茨城県、その中でも特に北部の方は自然災害がなくていい所だという感触を持っていました。茨城南部も、時々直下の地震で揺れは起きますけれども、地震の災害には割合縁が少ない所だと思っていましたね。それがとんでもない間違いだということを思い知らされました。

日本列島周辺のプレート構造
(提供:岡田 義光 氏)
日本列島周辺のプレート構造
(提供:岡田 義光 氏)

―地層を調べると500年から1,000年の間には巨大な地震が起きている、と指摘していた地質学者もいましたが(2011年3月20日オピニオン宍倉 正展氏・産業技術総合研究所 活断層・地震研究センター海溝型地震履歴研究チーム長「緊急寄稿『地層が訴えていた巨大津波の切迫性』」参照)。

はい。ただ、あの調査は仙台平野ですよね。仙台平野からせいぜい福島県の北の方ぐらいまでの調査なので、さらに南の茨城の方まで大きな津波の痕跡が見つかったというふうには聞いていませんでした。

―貞観地震は平安時代ですから、東日本は西日本に比べ歴史資料が少ないために地震についてもよく分かっていないということはあるのでしょうか。

それはあるみたいですね。西日本はいろいろな古文書が残っていますし、さらに巨大地震が過去400年の間に4回も繰り返しています。それと異なり、東北地方は三陸の沖合はかなり頻繁にM8クラスが起きていますが、福島、茨城沖というのは、今までにそういうのがあったという資料はないんです。

―今回は、三陸沖の断層と福島・茨城沖の断層が相次いで動いた連動型地震だと言われています。そもそも西日本でも東海、東南海、南海沖の断層が相次いで動く連動型巨大地震と全部が動かない普通の巨大地震がありますね。プレート沈み込みによる同じ海溝型地震で、なぜ連動型になるのかならないのか、という理由は分かっているのでしょうか。

いろいろな学説があります。1854年に安政東海地震(M8.4)が起きて、わずか32時間後に安政南海地震(M8.4)が起きました。次に起きたのが1944年の東南海地震(M7.9)と1946年の南海地震(M8.0)です。この時には東海だけが取り残されました。1854年には東海、東南海、南海のすべての断層が動く連動型だったのが、次は東南海と南海だけで、なぜ東海は動かなかったかです。その間を見ると、1891年に濃尾地震というのがあるのです。これは内陸の地震ですけれどもM8級で、日本の陸上で起きた中では例外的に大きな巨大地震です。この地震を起こした断層は岐阜から愛知にかけて延びていますが、それを延長してみるとちょうど東南海地震と東海地震の震源域の境目あたりに来ます。ですから、濃尾地震を起こした巨大な左横ずれの断層運動により、東海の方は少し地震の発生が遅れる形に、逆に東南海から西の方は地震発生を加速する形になったのではないかという説があります。苦しまぎれに考えた一つの説とも言えますが。

もう一つの考え方もあります。フィリピン海プレートは関東地方から西日本にかけての陸の下に潜り込んでいますが、伊豆半島というのは、フィリピン海プレートに乗って運ばれてきた島が、日本列島に衝突したといわれています。それで箱根や富士山という特異な地形をつくったという話になっています。ですから東海、南海というけれども、フィリピン海プレートは決して一様のスピードで潜り込んでいるわけではありません。静岡県の西部から紀伊半島辺りまでは、年間4-5センチのスピードで潜り込んでいるけれど、駿河湾の奥というのは衝突しているから進めないわけです。

沈み込むスピードが違っているので、西の方の東南海、南海と、東側の東海、特に駿河湾の辺りが全く同じ時間間隔で巨大地震を起こすというのは論理的におかしいんです。プレートの潜り込みのペースが違えば、ひずみの蓄積量も違うはずですから。駿河湾で起きる東海地震は時々お休みしてもいい。東海の領域は、1605年の慶長地震(M7.9)、1707年の宝永地震(M8.4)、1854年の安政東海・南海地震(M各8.4)と、たまたま過去3回は全部一緒におつき合いしていたけれども、前回はさぼった、という考え方もあります。

南海・駿河トラフで発生した海溝型巨大地震
(提供:岡田 義光 氏)
南海・駿河トラフで発生した海溝型巨大地震
(提供:岡田 義光 氏)

―それにしても、連動型の巨大地震が起きる間隔はそんなに開いていないですね。むしろ連動型で起きる方が普通のようにも見えますが。

宝永地震、その前の慶長地震といった巨大地震の場合は、勢い余って東海の方まで慣性で動いてしまったのではないかという感じもします。本当は、東南海と南海ぐらいのところで済むはずが、あまりにも巨大なので、ついでに東海も勢いで、というふうなイメージかなとも思うのですけれど。

―なるほど。そうは言っても、東海と、西側の東南海・南海ひずみの蓄積度は、やはり差があると考えた方が自然だということですか。

ええ、ひずみの違いはあるはずです。だって、東海の方はプレートがあまり動いていないんですから。

(続く)

岡田義光 氏
(おかだ よしみつ)
岡田義光 氏
(おかだ よしみつ)

岡田義光(おかだ よしみつ) 氏のプロフィール
東京生まれ。東京都立両国高校卒。1967年東京大学理学部地球物理学科卒、69年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了、70年東京大学地震研究所助手、80年理学博士号取得、国立防災科学技術センター第2研究部地殻力学研究室長、93年防災科学技術研究所地震予知研究センター長、96年同地震調査研究センター長、2001年同企画部長、06年から現職。専門は地球物理学(特に地震学および地殻変動論)。

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