インタビュー

第4回「実現の決め手はスピントロニクス」(安藤功兒 氏 / 産業技術総合研究所 フェロー)

2010.08.25

安藤功兒 氏 / 産業技術総合研究所 フェロー

「革命的な超低消費電力のコンピューターを目指す」

安藤功兒 氏
安藤功兒 氏

通常は電気が切れているコンピューターという意味の画期的な「ノーマリー・オフ・コンピューター」を産業技術総合研究所が産業界を巻き込み研究開発を進めている。この新しい概念の提唱者である産総研フェローの安藤功兒さんに、ノーマリー・オフ・コンピューターを実現するための革新技術について話してもらった。

―第1回で、電源を切っても情報を記憶し、蓄積できる高性能な「不揮発性メモリー」の開発が必要だとうかがいました。この高性能不揮発性メモリーを実現するキーとなる技術はどんなものなのでしょうか。

私個人は「スピントロニクス」(スピンエレクトロニクス)と呼ばれる磁石の性質を使った新しい量子物理による新メモリーの開発がキーだと思っています。電子は、マイナスの「電荷」と、コマのように自転する「スピン」の性質を持っています。スピンは究極の微小磁石といえます。従来の電子工学は、電荷(電気)の流れや移動だけを扱ってきました。これに加えて、スピンも利用すれば、不揮発性の機能を持つ新しい素子ができるはずです。なにしろ、情報を記憶する能力にかけてはピカ一のハードディスクは磁石の磁化の向きで情報を記憶しているのですから。

実は、初期のコンピューターでは、小さなドーナツ状の磁石を利用して情報を記憶する「コアメモリー」が使われていました。しかし情報の読み書きに電磁コイルを使っていたため、効率が悪く、高度集積化の点で行き詰ってしまい、結局、半導体メモリーによって駆逐されました。その際、不揮発性という特長も失われてしまいました。私たちは、コンピュータメモリーを再び不揮発化しようとしています。それを可能にするのが、スピントロニクス分野で近年次々と起こっているブレークスルーです。最初のブレークスルーは、トンネル磁気抵抗効果(TMR効果)の発見でした。

―トンネル磁気抵抗効果とはどんなものですか。

鉄やニッケルのような、磁場をかけなくとも自分で磁石の性質を持っているのを強磁性金属といいます。2つの強磁性金属の電極の間に、原子数個分という極めて薄い絶縁体をはさみます。この電極に電圧をかけると、不思議なことに絶縁体にもかかわらずトンネル電流と呼ばれる電流が流れます。TMR効果は、強磁性電極の磁化の方向に依存して、トンネル電流量の大きさが変わる量子現象です。これは、コイルを使わずに素子の抵抗値の変化だけから、磁化の方向を高効率に検出できるという画期的な意味を持っています。

TMR効果自体は1975年に発見されていましたが、極低温でのみ起こる効果とされ実用化できませんでした。1994年に東北大学の宮﨑照宣教授は、「鉄/アルミナ(酸化アルミニウム)/鉄」のサンドイッチ薄膜を持つTMR素子を使って、TMR効果が常温で動作することを発見しました。その10年後には、科学技術振興機構(JST)の「さきがけ研究」を行っていた産総研の湯浅新治さんが、従来のTMR素子のアルミナ部分を酸化マグネシウム単結晶で置き換えた新しいTMR素子を創り出し、磁化の読み出し性能を飛躍的に向上させました。

この段階の「酸化マグネシウム-TMR素子」には、実用化を阻む、常識では解決できないような大きな困難があったのですが、驚くべきことに、産総研と組んだアネルバ(現キヤノンアネルバ)は、偶然にも助けられて数ヶ月のうちに量産技術にまで発展させてしまいました。私たち関係者自身が、スピントロニクス技術の持つ勢いに神秘的なものを感じたほどの、凄まじい開発速度でした。この酸化マグネシウム-TMR素子は、ハードディスクの情報読み取りヘッドに活用され、現在市販されている世界中の全ての製品に搭載されています。

残る問題は情報の「書き込み能力」です。ハードディスクのように、コイルを使用して磁化情報を書き込むのではとてもギガ(10億)ビットの大容量を実現することはできません。ここでも、スピントロニクス技術を使って高効率に磁気情報を書き込むことのできる、「スピン注入磁化反転技術」と呼ばれる新しいブレークスルーが出てきました。情報の読み書きの両方でコイルを使用しないこのメモリーはスピンRAM(随時アクセスメモリー)と呼ばれていて、実用化を目指した世界的な競争が激化しています。現時点では、30ナノ(ナノは10億分の1)秒の動作速度で1ギガビットの大容量のスピンRAMを実現する技術を報告した、産総研、東芝、大阪大学、東北大学、電気通信大学の共同研究グループが、もっとも進んでいますが、油断は禁物です。

―それにしても、この分野では日本人関係者の業績と、層の厚さが目立ちますね。

実用化に関する大学や公的研究所では、宮﨑先生、湯浅さん、大野英夫東北大学教授などの成果が世界的な注目を集めていますし、産業界でも東芝やキャノンアネルバが世界トップの技術力を誇っています。また、次の世代のスピントロニクス技術の開拓に関しても、鈴木義茂大阪大学教授や、それに続く世代の研究者がきら星のごとく世界的な活躍をしています。たとえば、JST「さきがけ研究」の「革新的次世代デバイスを目指す材料とプロセス」(佐藤勝昭・研究総括)からは、高度な成果が続出しています。

スピントロニクス分野では日本は世界一の状態にあります。

―1980年代には磁性研究不要論がまん延し、産総研の前身の電総研で磁性材料研究室が解体されるという憂き目に遭いましたね。複数の研究室に分散されたものの、安藤さんを中心に実力と根性のある研究者たちが、協力関係を維持発展させ、いまでは世界的に注目されるスピントロニクスグループを復活させたわけです。20年以上前のあの“磁性研究行き詰まり論”は、一体なんだったのかという思いが残りますね。

いまからみると、スピントロニクスへの脱皮の時期でした。地道に研究を継続してきて良かったと思っています。流行に惑わされずに継続し続けることが重要です。ただし、独りよがりに陥らないためには、その分野ではトップレベルの研究者と、世界から認められていることが必要条件ですが。

量子力学を基にした「スピントロニクス」という言葉は、一般の人にはまだ馴染みが薄いかもしれませんが、従来の電子技術をひっくり返すようなインパクトを秘めています。ただし、この大言壮語も、実際にスピンRAMを実用できるかどうかにかかっています。開発課題は山積しています。だからまだまだ、大学や産総研の出番があるのです。

―コンピューター技術は既に成熟してしまって、飽和状態にきていると思われていますね。でも話を伺っていると、まだ大きな改良の余地があるというのは驚きです。

技術は果てしなく進化しています。私たちが将来を見通しながら知恵を働かせ、研究者と企業が良いものを作らないと、100年後の人たちから「昔はなぜこんな愚かしい技術を使っていたのだろう」と批判されかねません。

産総研は課題解決型の研究組織ですから、研究開発のテーマは尽きません。将来あるべき世界像を描きつつ、それに向かって戦略的な研究を進めることが必要です。基礎研究を担う大学にとっても、そうした出口までのストーリーに興味を持つことは有益だと思います。

そして、実際に製品化して産業にしていくのは企業の責任です。ここまでたどり着かないと何もならないのですが、最近、日本企業に元気が感じられないのが心配です。外国企業に比べてCPU(中央演算装置)開発は弱小で、メモリー開発にも強力なライバルがいるなど、問題山積な情勢はわからなくはないのですが、材料を中心とする世界一の大学・産総研の成果をいち早く製品化し、それをテコに弱い分野の挽回も図るという積極的な戦略をもって欲しいものです。

―企業との協力のありかたについて一言を。

実際の企業との共同研究では、秘密保持や発表制限など、各組織の性格の違いによる軋轢が頻繁に起きます。私たちも初期には問題を抱えていました。しかし、実用化に対する企業の本気度が伝われば、大学・産総研の現場の研究者も柔軟に対応する気になるというのが私の経験です。企業は、人的・資金的・事業化計画の点で本気度を見せる必要があります。そうなって、やっと実のある産学官連携への出発点に立てるのだと思います。

現在のスピントロニクスは、基礎物理的な新発見や理解が、デバイスの実用化に密接不可分に結びついているという大変面白い段階にあります。若い人たちが腕をふるう分野はたくさん広がっているので、是非とも参入していただき活躍して欲しいですね。私たちは企業や大学と共同して、ハードディスクヘッドに続いてスピンRAMも実用化させ、ノーマリー・オフ・コンピューターを誰もが普通に使える社会を実現する努力を続けていきます。

(科学ジャーナリスト 浅羽 雅晴)

(完)

安藤功兒 氏
(あんどう こうじ)
安藤功兒 氏
(あんどう こうじ)

安藤功兒(あんどう こうじ) 氏のプロフィール
神奈川県立横須賀高校卒、1973年名古屋大学理学部物理学科卒業、75年東京工業大学大学院理工学研究科(物理情報工学専攻)修士課程修了、同年通商産業省工業技術院電子技術総合研究所入所。工学博士。84-85年フランス国立科学研究センター(CNRS)客員研究員。2001年産業技術総合研究所エレクトロニクス研究部門 副研究部門長。10年4月から現職。東邦大学連携大学院教授。応用物理学会フェロー。
研究分野は、スピントロニクス、磁気メモリ(スピンRAM)、磁気光学、光集積回路、磁性半導体。1980年代には磁性研究不要論がまん延し、電総研の磁性研究室も解体の憂き目に遭ったが、複数の研究室に分散された研究者の協力関係を維持発展させ、今日、世界的に注目される産総研のスピントロニクスグループを復活させた。
2010年1月に総合科学技術会議の有識者議員が鳴り物入りで計上した「革新技術推進費」に、25件の応募の中から安藤 氏をリーダーとする「不揮発性メモリの高度化に関する研究」(スピントロニクス分野)が3件の1つに採択された。06年からは新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の「スピントロニクス不揮発性機能技術開発」のプロジェクトリーダーも務めている。趣味は、雑学乱読と日曜大工。またボーイスカウトの指導者として、地域の子供たちと野外を駆け巡っている。

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