インタビュー

第1回「外遊びを忘れたこどもたち」(仙田 満 氏 / 日本学術会議「子どもを元気にする環境づくり戦略・政策検討委員会」委員長/環境建築家)

2006.11.21

「こどもに安全で楽しい遊び場を!」

仙田 満 氏
仙田 満 氏

「人生にとって必要な知恵は、すべて幼稚園の砂場にあった」。米国の作家、ロバート・フルガムは書いている。

しかし、子どもたちの遊び場は、都市、地方を問わず急速に失われている。外で遊べない子どもたち、外で伸び伸び遊んだ経験を持たないまま大きくなってしまった大人たち。そんな人間が増えてしまった日本社会は、どのようなツケを負わされるのか。

仙田 満・日本学術会議「子どもを元気にする環境づくり戦略・政策検討委員会」委員長(東京工業大学名誉教授)に、子どもに遊び場を戻してやることの大切さと、対応策を聞いた。

—子どもが遊ぶというのは、当たり前のように見えます。もし、遊ばなくなったらどういう弊害が考えられるか、ほとんどの人は真剣に考えていないのではないでしょうか。

私が、子どもの遊びにかかわるようになったのは、1964年に大学を卒業し、勤めた建築設計事務所の仕事で、「こどもの国」(横浜市)の設計にかかわったのがきっかけでした。

「こどもの国」は、今上天皇が皇太子時代のご結婚(1959年)を記念してつくられた自然型の児童遊園地です。1年半ほど、近くの農家に寄宿して、遊園地内の施設である林間学校の設計に当たったものです。完成したのは、65年です。

この65年というのが重要な節目になったということが、その後、いくつか実施した全国調査でも明らかになりました。皇太子ご結婚ということでテレビが全国に普及し、それまで外で遊んでいた子どもたちが、家で遊ぶように転換していく時期なのです。

当時、22歳から24歳でしたから、私自身、10年前は子どもです。自分の子ども時代と比べ、時代の変化が非常によくわかりました。例えば、多くの家族が「こどもの国」に来ましたが、マイカーでやって来て、ボール遊びやスケートで遊ぶわけです。(園内にある)自然、野山では遊ばないで。

そんな姿を見て、感じたわけです。われわれのころとは違ったなあ、と。

—テレビの影響というのは、大きかったのでしょうか。先進国を考えれば、テレビの登場は日本に限ったことではありませんね。

テレビによって、子どもたちは「あそびは、あそび集団というものに参加しなければならない」という呪縛(じゅばく)を、解かれてしまったのです。テレビによって、あそび集団は解体していった、と言っても言い過ぎではありません。80年代のテレビゲームは参加性をもっていますから、ますます子どもたちは外遊びをしなくなってしまいました。

この10年間で、子どもたちの体力・運動能力は約10%減少しているという文部科学省のデータがあります。さらに、学習意欲もこの25年で25ポイントも減少している、という研究報告も出ています。あそび環境が悪化したことによって、子どもが外で遊ばなくなったことが、最も大きな原因だと考えています。

こうした現象が日本だけなのかどうか、を調べるため帰国子女との比較調査を90年前後に行いました。小学校時代を欧米で過ごし、中学、高校生になって帰国した子どもたちの多くが、やはり、日本では「伸び伸びと遊べない」、「忙しくて遊ぶ時間がない」、「遊ぶ場所もない」と言っているのです。

子供の国 林間学校 (提供:仙田 満 氏)
子供の国 林間学校 (提供:仙田 満 氏)

仙田 満 氏
仙田 満 氏

仙田 満 氏のプロフィール
1964年東京工業大学建築科卒業、68年、環境デザイン研究所を創設。82年「こどもの遊び環境の構造の研究」で学位(工学博士)取得。84年琉球大学工学部教授、88年名古屋工業大学教授、92年東京工業大学工学部・大学院教授、2005年 (株)環境デザイン研究所会長、同年日本学術会議会員。大学卒業直後から子どもの遊びについて関心を持ち続け、著書、論文多数。設計したこどもの国、科学館、博物館なども数多い。

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