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ブダペスト宣言から10年-国際的科学コミュニティの役割(黒田玲子 氏 / 国際科学会議(ICSU)副会長、東京大学大学院 教授)

2009.09.22

黒田玲子 氏 / 国際科学会議(ICSU)副会長、東京大学大学院 教授

公開シンポジウム「ブダペスト宣言から10年 過去・現在・未来-社会における、社会のための科学を考える-」(2009年9月9日、日本学術会議など主催)講演から

国際科学会議(ICSU)副会長、東京大学大学院 教授 黒田玲子 氏
黒田玲子 氏

 ことしはICSU(国際科学会議)とユネスコ(国連教育科学文化機関)の共催で開かれた世界科学会議で「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」いわゆるブダペスト宣言が採択されて10年目となる。

 私はこの会議に参加しており、宣言の素晴らしい文章に感動したことを覚えている。特に宣言の4つ目に「社会における科学と社会のための科学」(Science in society and science for society)が記されたことは、大変素晴らしいことだと思った。開発途上国には違った受け止められ方をされたものの、「The practice of scientific research and the use of knowledge from that research」(科学研究の遂行と、その研究によって生じる知識の利用は)で始まる分章にブダペスト宣言の根幹がある、と考えている(注)

 実は宣言が出る3年前の1996年に、私自身「社会の中の科学 科学にとっての社会」という文章を書いている。英語にするとブダペスト宣言の4つ目と全く同じで、その符合に喜んだ。そこで書いたことは、科学と社会との関係、理系の科学者と社会科学者との交流や科学コミュニケーションの必要性、科学が進めば進むほどグレーゾーン(灰色の領域)が広がって白黒がつきにくくなる、といったことだ。

 それに重なるが、21世紀は科学、学問の流れも科学と社会との関係も20世紀とは違うということも書いている。これまでの科学は共通原理や根本原理を分析して見つけることに力を注いできたが、いくら分析してDNAが分かったところでチンパンジーと私との違いは分からない。総合、融合を大事にしないと多様性や複雑系の証明はできない。科学そのものが変わり、同時に社会の中の位置づけが変わっていく。ますます科学が社会に短期間で大きな影響を与えるようになっていく。地球規模の問題の解決には科学にもブレークスルーが必要で、社会、市民も科学が進むべき方向の決定に参画する必要がある。こうしたことが、21世紀の科学がそれまでと大きく変わることだ、と指摘した。

 科学が社会に与える影響のスピードがどのくらい変わっていくのか。イノベーションが生まれてそれが市民の25%に広がるまでにどのくらいかかるかということを示した米国の数字がある。自動車は55年かかった、電話は35年、ラジオ22年、パソコン17年、携帯電話12-13年、wwwが7年となっている。世界の社会構造が変わっていることと、科学が社会に与える影響の変化を端的に示す数字といえる。

 では、ブダペスト宣言から10年で何が変わっただろうか。科学や次世代のためにわれわれはいろいろ考えなければならない、と宣言は言ったが、人口、エネルギー、水をはじめ地球規模、世界規模で起きているいろいろな問題は一層深刻化しているのが現状だ。従って、国際的科学コミュニティの役割はますます重要になっている。国際的、学際的な活動を通じ、基礎的な知を蓄積し、新たな知を創造していかなければならない。信頼性のある高度な科学的データを長期にわたって蓄積することが必要。例えば地球温暖化であれ、いろいろな汚染のレベルといったものに対して、高度な科学的データを長期にわたって提供することが重要になる、ということだ。

 科学コミュニティの間の会話と、科学と社会との間の会話の両方が必要で、単に科学と社会との間だけでなく、科学者同士の学際的な会話も必要となっている。次世代への知の伝授、次世代の創造力を育てることが科学者として、科学コミュニティの大きな役割だと思っている。以上の役割を果たすため国際科学会議(ICSU)はいろいろなことをやってきている。気候変動に関する政府間会議(IPCC)も、その基盤を作ったのはICSUだ。

 問題解決に向けては目的指向型研究と、将来、思わぬ飛躍に結びつく純粋基礎研究の両方が必要となる。どちらの研究においても重要なことは、時間軸と空間軸を宇宙の誕生から素粒子の世界まで広げて広い視野でとらえ、現在の自分を考えてみることではないか。社会の中の科学、社会のための科学の視点を持ち最先端の研究をやり、知の創造と継承を行っていく。ここで言う社会とは自分の住む狭い社会ではない。エコシステム、地球までを含めたものを「社会」と私は読み替えて言っている。それが私の考える「社会のための科学 科学における社会」ということだ。

  • 注)
    「科学研究の遂行と、その研究によって生じる知識の利用は、貧困の軽減などの人類の福祉を常に目的とし、人間の尊厳と諸権利、そして世界環境を尊重するものであり、しかも今日の世代と未来の世代に対する責任を十分に考慮するものでなければならない。この点に関して、すべての当事者は、これらの重要な原則に対して、自らの約束を新たにしなければならない」
国際科学会議(ICSU)副会長、東京大学大学院 教授 黒田玲子 氏
黒田玲子 氏
(くろだ れいこ)

黒田玲子(くろだ れいこ)氏のプロフィール
宮城県生まれ。1970年お茶の水女子大学理学部化学科卒、75年東京大学大学院理学系研究科化学専門課程博士課程修了、英ロンドン大学キングスカレッジ化学科 Research Associate、71年同生物物理学科フェロー、85年英がん研究所Non-clinical Senior Staff Scientist兼ロンドン大学キングスカレッジ生物物理学科 HonoraryLecture、86年東京大学教養学部化学教室助教授、92年同教授、96年東京大学大学院総合文化研究科教授。2008年国際科学会議(ICSU)の副会長に。2001-07年総合科学技術会議議員。そのほかこれまで中央教育審議会委員など政府の審議会、委員会委員などを数多く務める。専門は生物物理化学、特に物質界、生物界両方に現れるキラリティー(左右性)の研究業績で知られる。著書に「科学を育む」(中公新書)、「生命世界の非対象性」(中央公論社)、「日本人の科学」(共著、岩波書店)など。

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