シンポジウム「社会性の脳科学-激動する現代社会を互いに協力して生き抜くには」(2008年12月20日、社会技術研究開発センター 主催)あいさつから
来年2009年は、ハンガリーの首都ブダペストで行われたユネスコと国際学術連合会議(ICSU)主催の「世界科学会議」から10年目にあたる。21世紀の科学のあり方について、世界各国から科学・技術の各界の関係者2000人が1週間大議論し、21世紀の科学は知識を生産するだけでなく、それをどう使って社会に還元するか、という強い理念が表明された。「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」いわゆるブダペスト宣言は、「科学のための科学」だけでなく「社会のための科学」、科学を社会へ還元しないと社会の信頼と支持は得られないということを確認したものだ。
社会技術研究開発センターは、ブダペスト宣言を受けて生まれた。その最初の研究開発領域としてスタートしたのが「脳科学と社会」だ。行政としてはスタートする時、脳科学の成果を社会に還元するという目標について、そこまで研究と開発が進んでいるのか不安が無いわけではなかった。しかし、文部省と科学技術庁が合併するに当たって、ふさわしいプロジェクトとしてスタートした。次第によい成果が出ていると思う。一流の科学者ほど自分の理論、研究における限界を知っている。脳科学も自らの限界を知った上でそれを踏まえて、社会に成果を届ける。そのようなバランスの上で先行的にやっていると考えている。
現在の第3期科学技術基本計画に続き、第4期科学技術基本計画が2年半後に閣議決定される。このための準備として、社会の諸問題に対する解決策を提供するため、脳科学研究の今後のあり方について議論が始められたところだ。たとえば脳科学と社会の研究開発にとって基本的なデータ取得を目的とするコホート研究についていえば、規模が大きければ大きいほどよいのは分かるが、限られたリソースの中でどんどん大きくするわけには行かない。一方で、できるだけエビデンスを社会に提示していくことが求められている。このバランスをどうするか。
20世紀最大の哲学者の一人といわれるカール・ポパーは、社会を変革するにはそのための社会技術が必要だと言っている。さらに、社会は常に変動するのでピースミール社会技術が重要だ、と主張した。ピースミールというのは細かいものの積み上げという意味だ。ユートピア的理想の実現を目指して、一挙に大規模な形で社会を変革しようとしても混乱と弊害が生じるだけだから、社会の諸条件を人智でコントロールしうる範囲で徐々に改良していこうという考え方である。現在の経済危機の反省点でもあるだろう。社会技術研究開発センターの現在の手法とも一致する。
脳科学の成果を、どのようなタイミングで社会に制度として導入するのか。ピースミール社会技術の視点から真剣な議論が必要になる。人智の限界を知りながら、社会への還元を出来るところから、進めていかなければならないと思う。
有本建男(ありもと たてお)氏プロフィール
広島修道高卒、1974年京都大学大学院理学研究科修士課程修了、科学技術庁入庁。同庁国際科学技術博覧会企画管理官、宇宙開発事業団調査国際部調査役、科学技術庁科学技術情報課長、海洋科学技術センター企画部長、科学技術庁原子力局廃棄物政策課長、日本原子力研究所広報部長、科学技術庁科学技術政策局政策課長、理化学研究所横浜研究所研究推進部長、内閣府大臣官房審議官(科学技術政策担当)文部科学省大臣官房審議官(生涯学習政策局担当)などを経て、2004年文部科学省科学技術・学術政策局長。05年内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官、06年から現職。04年から政策研究大学院大学客員教授(科学技術政策)も。著書に「高度情報社会のガバナンス」(共著、NTT出版)。幅広い経験を持つ科学技術官僚として第2期、第3期の科学技術基本計画づくりでも中心的な役割を果たした。