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社会の絆としてのコミュニケーション研究を(安西祐一郎 氏 / 慶應義塾 塾長)

2009.03.27

安西祐一郎 氏 / 慶應義塾 塾長

社会技術フォーラム「智(knowledge)・技(arts)・絆(communication) -科学技術コミュニケーション社会の創造」(2009年3月20日、社会技術研究開発センター主催)基調講演から

慶應義塾 塾長 安西祐一郎 氏
安西祐一郎 氏

 人間が科学技術をベースにし、いいコミュニケーションを持ち、いい社会を作っていこう、という掛け声はあるのですが、それが実践されていくためには、先に考えなければならないことが多くあります。特に、日本においては抜けているものがあるように思います。

 人間は、目標あるいは解くべき問題、もしくはやりたいこと、それらがあれば、いろいろな知識を身に付けていくことが苦にならないのですが、そういうことなしで、ただ覚えろ、科学技術は大事だから身に付けろ、と言われても、それはなかなかそうはできません。ここでの「できない」というのは精神論ではありません。心理学的あるいは生物学的に、人間のメカニズムというのはそういうふうにできている、と考えるのが私の人間観です。

 科学哲学者カール・ポパーは「人間によって産出された知識は、ミツバチによって産出された蜜と類似のものだと考えることができる」と述べています。蜜は、どのミツバチによって産み出されてもどれも同じ蜜であり、つまり、生み出された知識は、ある程度客観的なものである、ということです。動物行動学者コンラート・ローレンツは、それとは違う見方をしています。「世界についてわれわれが知っていることすべては、われわれの主観的経験を通して知識となったものである」。主観的な見方を通して、知識が得られる、と述べています。

 これは知識の裏表ですから、どっちが間違っていてどっちが正しい、ということではありません。やはり社会と知識と、それから技術のことを考えるときには、私はローレンツの考え方のほうが、やはり人間らしいと感じます。人間を主体として、科学技術とコミュニケーション社会をつくるのであれば、ローレンツの見方をする必要があるのではないかと思います。「科学技術は冷蔵庫なり携帯電話なり、箱を作ってくれればいいのであって、私たちはその中身が分かっている必要はない」というのが、サイレント・マジョリティー(物言わぬ集団)の考え方だと思われます。これを突破する必要があります。それに対して、社会技術はそういう人間観に対してどう応えることができるのか、ということが基本的な課題になるのです。

 技(art)とはなにか。視覚、運動、記憶、思考、感情などが、脳の機能としてあります。その機能がどういうふうに組み合わさって、技(art)が生まれてくるのか、ということについては、まだまだ、ほとんど分かっていません。今、脳科学の研究はずいぶん進歩していますが、そこのメカニズムの研究は、極めて大事だと感じています。

 コミュニケーションというときに、通信工学から始まって技術系の理論が存在しますが、「社会と技術」という側面からみれば「コミュニケーション=社会の絆」ですね。これは必ずしも言語的な知識だけではなくて、非言語的なコミュニケーションも正面から取り上げないといけないのではないでしょうか。これは、認知科学、認知心理学、あるいは認知神経科学の分野における、これからの研究の方向ではないかと思われます。コミュニケーションの研究は、いろいろな角度があって、こういった基礎研究はまだまだ足らないはずです。社会技術の関係者はこれらの研究を大事にしていただきたい。

 要素技術の進展にのみ注目するのではなく、実践も大切にしていかねばなりません。地域の方の理解をいただいて、社会と技術の関係をみんなでいっしょに創っていくという、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の構築がとても重要なのです。

(SciencePortal特派員 安田和宏)

慶應義塾 塾長 安西祐一郎 氏
安西祐一郎 氏
(あんざい ゆういちろ)

安西祐一郎(あんざい ゆういちろう)氏のプロフィール
1965年慶應義塾高校卒、69年慶應義塾大学工学部応用化学科卒業、74年同大学院博士課程修了。カーネギーメロン大学客員助教授、北海道大学文学部助教授、慶應義塾大学理工学部教授、同大学理工学部長、マギル大学客員教授などを経て2001年から現職。工学博士。専門領域は情報科学、認知科学、知的社会基盤工学。文部科学省中央教育審議会大学分科会会長、教育再生懇談会座長も。著書に「教育が日本をひらく - グローバル世紀への提言」(慶應義塾大学出版会)、「認識と学習」(岩波書店)、「問題解決の心理学」(1985年)など。

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