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コラム - インタビュー -

第3回「自然科学は権威がこけていく物語」

甲南大学 教授、京都大学 名誉教授 佐藤文隆 氏

掲載日:2009年12月18日

「科学技術エンタープライズで雇用拡大を」

行政刷新会議の事業仕分けで科学技術予算にも国民の大きな関心が向いている。研究者たちの反撃は素早く、厳しい評価も一部見直されそうな雲行きだ。しかし、こうした動きを冷静に見ている研究者もいる。16年前、政権交代で建設途中に計画中止となった米国の超巨大加速器「SSC」の例などを引き、科学技術と国家の関係のとらえ方が日本はまだ未成熟ではないか、という見方だ。京都大学基礎物理学研究所長、同理学部長などを務めた佐藤文隆・甲南大学教授に今回の動きと科学技術政策のありようなどについて聞いた。佐藤氏の話のキーワードは、「科学技術エンタープライズ」と「雇用」のようにみえる。

- 科学技術の世界を構造化してみる。そうすれば税金をつぎ込むことの合意は得られる、ということかと思いますが、以前「科学にロマンを」などという奇妙なスローガンでは駄目、ということを言われていますね。

佐藤文隆 氏

佐藤文隆 氏

 

「日本人の科学」(河合隼雄、佐藤文隆編著、岩波書店)で書いたことです。ヨーロッパ近代の「ロマン主義」は明確に科学の勃(ぼっ)興に抵抗する心性を基礎にした運動だったからです。こうした混線が登場するのは、精神世界での科学という営みの特殊性と限界を明確にしないで、ただオール・プラスイメージでとらえようとするからです。それでも夢を語るだけならまだいいのです。科学技術がSF小説の予想を超えていたからといって「何でも夢は実現する」と錯覚するのは困ります。「挑戦しなければ夢は実現しない」が、「挑戦すれば何でも実現する」わけではありません。そういう次元の科学技術の課題は税金とあまり直結すべきでなく、また「ロマン」というのは自己実現の意味であって科学にロマンを詰め込んではいけないと思います。

もっとも、行政刷新会議の事業仕分けで話題になった次世代スーパーコンピュータの開発は国家の政治の次元の課題であって、参加者や時間のセッテイングを別にすれば、ああいう俎(そ)上での議論があるべきテーマだと思います。当初開発に加わっていたNECが途中で降りたとかニュースになったりしてましたから。多くの巨大資源を使う長期プロジェクトは何本も並行して走らすのが困難になってきています。周知を集める必要もあるし、同時にウロチョロせず一貫してやるべし、という二律背反的な課題を克服しなければなりません。従来のように科学技術の専門家だけには任すべきでない新しい政治政策上の課題だと思いますね。

スパコンなどは日本の産業競争力強化の課題ですが、そこから遠い位置にある多くの基礎科学の巨大なプロジェクトは次第に国際共同になっていくのではないかと思います。ただしこうなると20世紀に流行った「わが国にノーベル賞をもたらす!」という訴えを無意味化しますから、新世紀風の訴え方に改めなければならないでしょうね。前にも云いましたが、科学や技術は国の政治や政策とは別の自立した存在です。この自立した存在である科学技術を利用して国家を運営するために税金を大量にその営みに投入しているわけです。そこには目先のことだけでない長期的な人材育成や基礎研究への布石も当然組み込まれるべきです。私はうーんと基礎的な研究課題は「創造的人材の育成には研究で教育するのがいい」という形で国家的要請である人材育成に組み込んで税金と結び合うのが一つの姿だろうと考えています。

いずれにせよ、今回、研究と税金が話題になった機会に、研究費の実態を認識した方がいいと思います。日本の科学研究費は年間十数兆円で、うち国が出しているのは2割に満たず、文教・科学技術で年間3兆数千億円、このうち京都大学が年間に使う金が約1,200億円、東京大学は約2,000億円です。先日、南極に向けて初出航した南極観測船「しらせ」の建造費約400億円、東海村に完成した大強度陽子加速器施設「J-PARC」は約1,800億円…。科学にもっと税金を投入すべきだと言うなら、こういう数字を見て議論すべきです。税金の話は“すばらしいもの”の積み上げでなく、所詮(しょせん)は限られた額の分配の話しなのですから。

- 科学、あるいは科学者の役割というものについてもう少しうかがいたいのですが。

自然科学が人文科学や宗教と違うところは、それまで正しいと信じられていたことを否定することで発展してきたということです。私は「権威がこけていく物語である」と言っています。

「アインシュタインの反乱と量子コンピュータ」(京都大学出版会)にも書いたことですが、アインシュタインのイメージにしてもそう単純ではないのです。21世紀の先端技術分野を目指している量子情報技術のキーワードの一つに「EPR」という言葉があります。1935年にアインシュタインがポドルスキー、ローゼンと一緒に書いた論文の著者の頭文字をとって「EPR」と呼ばれています。当時、登場したばかりの新しい理論「量子力学」の定説となった解釈に納得のいかないアインシュタインが、量子力学に根本的な疑問を呈したのがEPR論文でした。「シュレディンガーの猫」のパラドックスも、量子力学創始者の一人なのにやはり不満を抱くシュレディンガーがこの論文に刺激されて語ったものです。しかし物理学の大きな流れはEPR論文を完全に無視した量子力学を使って大躍進をして今日のハイテク時代を招来しました。

ではアインシュタインの批判は無意味だったのでしょうか? アインシュタイン自身は「相対論より百倍も量子論について考えた」と語っていたといいます。量子論が、物理学の枠を超える意味で、相対論よりはるかに大きな革新的理論であることを見抜いていたと言えます。シュレディンガーも同様ですが、そんなことでいくなら量子力学の一歩は「こんなところまで拡大するよ」と直感していたのです。

EPRが今は量子情報技術のキーワードのようになっていると言ったのは、EPR論文で提起したことが逆転した意味で、量子コンピュータなど21世紀に実現しそうな量子情報技術につながっているということなのです。ご本人は予想もしなかったでしょうが、量子情報技術だけでなく、ノーベル賞の受賞対象となった光電効果を原点とする太陽電池やCCD(電荷結合素子)、レーザーの基礎もアインシュタインに帰すると言えます。さらにカーナビなどを支えるGPS(衛星利用測位)システムの精密計時には一般相対論が役だっていることなどを考えると、21世紀的にはアインシュタインはまさに“ハイテクの父“とも言えるのです。

アインシュタインだけでなくニュートンもまた今の科学者に「あなたの業績はこうだ」といわれたら、「いや、それは自分の考えとは違う」と言うはずです。自然科学というのはそれほど変わってきているものです。

(続く)
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佐藤文隆 氏
佐藤文隆 氏
(さとう ふみたか)

佐藤文隆 (さとう ふみたか)氏のプロフィール
1956年山形県立長井高校卒、60年京都大学理学部卒、64年同大学院中退、理学部助手、同助教授を経て74年京都大学教授。京都大学基礎物理学研究所所長、理学部長を歴任し、2001年から現職。理学博士。基礎物理学研究所所長時代、湯川記念財団の依頼で「湯川秀樹選集」をまとめる。日本物理学会会長、日本学術会議会員、物研連委員長なども務め、現在はきっづ光科学館ふぉとん名誉館長、理化学研究所相談役、核融合エネルギーフォーラム議長、平成基礎科学財団評議員なども。「アインシュタインの反乱と量子コンピュータ」(京大学術出版会)「異色と意外の科学者列伝」「雲はなぜ落ちてこないのか」「火星の夕焼けはなぜ青い」「孤独になったアインシュタイン」「科学者の将来」「宇宙物理」「一般相対性理論」「科学と幸福」(岩波書店)、「宇宙物理への道」「湯川秀樹が考えたこと」「アインシュタインが考えたこと」「宇宙物理への道」(岩波ジュニア新書)など著書多数。

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