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福島原発事故についての政府事故調・最終報告書の要旨〈その5〉

2012.09.18

《福島第一原発から半径20km圏内の病院などにおける避難状況》

双葉病院などにおける避難状況

  • 3月12日早朝の福島第一原発から半径10km圏内の住民などに対する避難指示を受け、大熊町所在の双葉病院においても、同日12時ごろ、避難用に手配された大型バス5台などに、自力歩行可能な患者など209名と、鈴木市郎双葉病院院長を除く全ての病院スタッフが乗り込み、同14時ごろ、避難を開始した。
  • この時点で、双葉病院の患者約130名および鈴木院長、並びに同じく大熊町所在の双葉病院系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」の入所者98名および同施設職員2名が残留した。
  • しかしながら、大熊町は、前記バス5台を双葉病院に向けて手配したことから、双葉病院における避難は完了したものと考え、その後、避難状況を確認するなどの特段の措置を取らなかった。
  • 他方、12日15 時ごろ、陸上自衛隊第12 旅団輸送支援隊は、避難区域内の残留者を避難させるため、オフサイトセンターに向け郡山駐屯地を出発した。しかしながら、同輸送支援隊は、オフサイトセンターを発見できず、かつ、福島第一原発1号機で水素爆発があったことをラジオで知り、郡山に戻った。そのため、双葉病院の患者らの救出は、翌日以降となった。
  • 県災対本部は、13日午前、オフサイトセンターから「双葉病院などに患者が残留している。県災対本部で対応してほしい」との依頼を受け、同13時ごろ、県災対本部に派遣されていた陸上自衛隊リエゾンに対し、その救助・搬送要請を行った。
  • 当該要請を受け、第12旅団輸送支援隊は、14日零時ごろ、大型バス3台およびマイクロバス6台の編制で郡山駐屯地を出発し、同4時ごろ、「ドーヴィル双葉」および双葉病院に到着した。要請から出発まで約半日を要したのは、第12旅団司令部と陸上自衛隊東北方面総監部との調整のためであった。
  • このオフサイトセンターからの依頼を受け、県災対本部は、13日21時40分ごろまでに、福島第一原発から半径20km圏内の病院などと残留者のリストを作成し、県災対本部救援班は、このリストを基にスクリーニング場所や避難所の調整を開始した。スクリーニング場所は、リスト内の病院が相双地区に所在することから、相双地区を所管する相双保健所と決められた。
  • 避難所については、県内の病院に対して受入れ要請したものの、受入れ可能の回答はどこからも得られず、また、双葉病院の患者の多くが寝たきりであるとの情報が県災対本部において共有されず、県災対本部は、双葉病院は精神科の病院であるから、体力的に問題のある患者は少ないだろうと判断し、受入れ要請に応じた「いわき光洋高校」を避難所として選定し、同高校に対してその旨連絡した。

 ・3月14日の救出状況

  • 14日4時ごろに双葉病院などに到着した第12旅団輸送支援隊は、双葉病院に駐在していた双葉署長ら警察官とともに、鈴木院長などの指示の下、同10時30 分ごろまでに、ドーヴィル双葉に残留していた全入所者98名、および双葉病院に残留していた患者のうち34名を車両に乗せ、相双保健所に向けて搬送を開始した。
  • 同12時ごろ、同輸送支援隊は、相双保健所に到着し、患者らのスクリーニングが開始されたが、相双保健所長は、搬送された患者の容態を見て、スクリーニング会場に用意された民間バスへの乗換えは困難であると考え、同輸送支援隊に対し、搬送先であるいわき光洋高校まで自衛隊車両に乗せたまま搬送するよう要請した。
  • 本来であれば、同輸送支援隊は、双葉病院とスクリーニング会場との間を患者を乗せてピストン輸送する予定であったが、前記要請を受け、いわき光洋高校までの搬送を了承し、第12旅団司令部にその旨連絡した上で、15時ごろ、いわき光洋高校へ向けて出発した。その際、道案内として、相双保健所の職員1名が同行した。
  • この頃、精神科病院を所管する福島県保健福祉部障がい福祉課は、県災対本部とは別に、双葉病院の患者らの避難先がいわき光洋高校となっているとの情報を得て、最終的な搬送先としての病院を探し出す必要があると判断し、福島県立医科大学附属病院、福島県立会津病院、竹田総合病院および会津西病院から計82名の受入れの了承を得た。その段階で、双葉病院の患者を乗せたバスが既に避難先であるいわき光洋高校に向けて出発したという情報を得ていたため、82名の受入先が調整できた旨をいわき光洋高校に連絡したのみで、県災対本部には連絡しなかった。
  • 第12旅団輸送支援隊は、相双保健所からいわき光洋高校に向けた出発に先立ち、同11時ごろに福島第一原発3号機が水素爆発したとの情報を得ていたため、同輸送支援隊は、東北自動車道郡山IC経由でいわき市へ向かうルートを使うこととした。しかし、地震の道路への影響などから、高速道路においても速度を上げることができず、相双保健所を出発して約5時間後の同20時ごろ、いわき光洋高校に到着した。
  • いわき光洋高校は、患者を受け入れること自体については、県災対本部から連絡を受けて了承していたが、多くの患者が寝たきり状態であるとの情報を得ていなかったため、到着した患者の容態を見て、医師の付添いもなく医療設備もない体育館で受け入れることは困難と考え、受入れを拒否した。
  • その後、いわき開成病院がいわき光洋高校に医師などを派遣することを約束し、これを受けて、いわき光洋高校が受入れを承諾したことから、14日21時35分ごろから、患者をバスから降ろす作業が開始された。この時、双葉病院からの患者30名のうち8名の死亡が確認された。

 ・3月15日の救助前まで

  • 他方、第12旅団司令部は、14日13時30分ごろ、相双保健所に到着した第12旅団輸送支援隊から、双葉病院等に残留した患者の大多数が寝たきり患者であること、および患者の乗降が困難であることから、そのままいわき光洋高校へ向かうとの報告を受け、追加の救助部隊を救急車を中心に編制し、かつ、医官を同行させることとし、その場合、第12旅団のみで対応することが困難であることから、東北方面総監部に対して支援を要請した。
  • 東北方面総監部は、前記要請を受け、東北方面隊の直轄部隊である東北方面衛生隊(医官、看護師など含む)などからなる統合任務部隊の派遣を決めた。
  • 一方、第12旅団司令部は、14日夕方、第12旅団衛生隊に対し、双葉病院の患者の救助を指示し、同衛生隊は、救急車4台の編制で双葉病院に向けて郡山駐屯地を出発した。しかしながら、第12旅団司令部は、14日20時ごろから、報道などで「原発が危険な状態である」との情報を断続的に得たため、21時15分ごろ、第12旅団の全部隊に対し、「一時退避せよ」との指示を出した。
  • そのため、既に双葉病院に向けて出発していた第12旅団衛生隊は、郡山駐屯地に帰任した。その後、第12旅団司令部は、15日朝方、同衛生隊に対し、再度救助に向かうよう指示した。
  • 他方、双葉病院に詰めていた双葉署副署長は、14日21時58分、川内村役場に設置された双葉署緊急対策室から「原子炉が危険な状態であるから、現場から一時離脱せよ」との無線指示を受け、鈴木院長らを警察車両に乗せて川内村に位置する割山峠まで退避した。
  • 同22時10分、福島県警察本部災害警備本部(県警警備本部)から、「現時点で緊急の危険性はないので、救助活動を継続せよ」との指示があったため、双葉署副署長らは、双葉病院付近へ戻ったが、大熊町内の自衛隊車両がなくなり、辺りには資機材が散乱するなどしていたことから、大熊町内にとどまることは危険であると判断し、再度、割山峠へ退避した。
  • 再度の退避後、双葉署副署長は、県警警備本部に対して「割山峠付近で待機し、双葉病院救助の自衛隊を待つ」と連絡し、県警警備本部は、県災対本部に派遣されていた警察リエゾンに対して、同内容を連絡した。しかしながら、同情報は県災対本部内で共有されず、陸自リエゾンに伝わらなかったため、双葉署副署長、鈴木院長らは、双葉病院に向かった統合任務部隊および第12旅団衛生隊のいずれとも合流することができなかった。

 ・3月15日の救出状況

  • 15日1時30分ごろに双葉病院に向かった統合任務部隊は、同日9時ごろ、双葉病院に到着し、患者の救助・搬送活動を行ったが、活動中、携帯していた線量計の警報が連続して鳴るようになった。統合任務部隊は、女性の看護師5名を同行させていたため、女性の線量限度(5mSv)から、それ以上活動を続行することは困難であると判断し、47名の救助を行ったところで救助を中断し、11時ごろ、その47名のみの搬送を開始した。
  • 第12旅団衛生隊は、15日朝方、再度救助に向かうようにとの指示を受け、救急車4台で双葉病院に向かい、同11時30分ごろから、病院内に残っていた患者のうち7名を救助した。その頃、同病院別棟に更に35名の患者が残留していたが、同衛生隊は、先着していた統合任務部隊と合流して情報交換しなかったため、残留者の存在に気付かないまま救出は終了したものと誤認し、12時15分ごろ、その7名のみの搬送を開始した。
  • 同衛生隊は、搬送中、携帯電話が通じるエリアにおいて、第12旅団司令部に対して「双葉病院の救助は終了した」旨の報告を入れ、第12旅団司令部は、その旨を県災対本部の陸自リエゾンに対して連絡した。
  • しかし、第12旅団衛生隊の部隊長は、郡山駐屯地へ帰任途中、隊員から「スクリーニング場所で、統合任務部隊の医官から、双葉病院の別棟にまだ患者が残っているはずとの情報提供を受けた」との報告を受け、態勢を整えた上で再度残留患者の救助に向かわなければならないと考え、第12旅団旅団長らにその旨を告げた。
  • 第12旅団司令部は、その救助のため、同輸送支援隊の大型バス1台、マイクロバス2台および同衛生隊などの救急車7台から成る混成部隊を編制し、21時15分ごろ、双葉病院に向けて出発し、16日零時35分ごろ、同病院別棟から残留患者35名の救助を開始した。

 ・3月17日の広報状況

  • 17日朝、一部報道機関が、14日にいわき光洋高校に搬送された双葉病院の患者の状況について報道したことから、他の報道各社は、県災対本部に対して状況の説明を求め、同救援班は17日16時ごろに急きょ、これまで救援班が収集した情報などに基づき、双葉病院からの救出状況などにつき「14日から16日にかけて救出したが、病院関係者は一人も残っていなかった」旨広報した。
  • しかしながら鈴木院長は、14日午前中の救出の際は立ち会って搬送を指揮しており、また同日22 時以降も、自衛隊との合流のため割山峠付近で待機していたものであるから、前記広報内容は、そのような事実に反し、あたかも14日以降病院関係者が一切救出に立ち会わず、病院を放棄して立ち去っていたような印象を与える不正確、または不適切な内容と言わざるを得ないものであった。これは、前記事実が県災対本部内で共有されていなかったことなど、救援班が十分な状況の把握をしていなかったことによるものと考えられる。

《被ばくへの対応》

「東京電力における放射線管理態勢」

APD(警報付きポケット線量計)

  • 東京電力は、福島第一原発1号機から6号機の管理区域の入口や集中廃棄物処理施設などにAPD約5,000個を分散配備していたが、その大部分は津波により被水して使用できなくなった。そのため、免震重要棟に置かれていたものなど、約320個のAPDにより、作業員の当面の放射線管理をすることとなった。
  • 東京電力柏崎刈羽原発は、3月11日から12日にかけて、福島第一原発への支援物資としてAPD530個、APD用の充電器8台(10個用3台、100個用5台)およびAPD用の警報設定器を送付した。このうち、APD30個、充電器3台(10個用)および警報設定器は12日、福島第一原発に届き、同日から使用された。
  • しかし残りのAPD500個のうち300個は12日に、200個は13日に、それぞれ福島第一原発に届いたものの、これに適合する充電器が届いていなかったことから使用されず、さらに、未使用のまま保管していることを知っていた福島第一原発保安班員も、14日には福島第一原発を離れたことなどから、このAPD500 個は、3月末まで福島第一原発の免震重要棟に保管されたまま使われなかった。
  • また、充電器5台(100個用)は前記APD200個と共に12日、福島第二原発に向かうトラックに積載されたものであったが、13日に福島第二原発に到着した後、直ちに積替え可能なAPD200個のみが福島第一原発に届けられ、充電器5台は福島第二原発の倉庫に保管されたままとなった。
  • また、3月17日、東京電力本店は、電気事業連合会の幹事社であった中部電力株式会社を介して、四国電力にAPDの提供を依頼した。四国電力は、依頼に応じてAPD450個のほか充電器5台(100個用4 台、50個用1台)および警報設定器2台を発送し、これらは同月21日ごろまでにJヴィレッジに届けられた。
  • しかし、Jヴィレッジで資材管理を担当していた東京電力社員は、届いた資材の内容を確認した際、警報設定器を発見できなかったので、APDおよび充電器のみを福島第一原発に送付した。
  • 送付の連絡を受けた福島第一原発保安班班長は、警報設定器がないことや、福島第一原発の警報設定器をそのAPDに転用できないことを認識した。しかし同班長は、当時福島第一原発で行っていた代表者運用を続けても問題はないと考えており、APDを早急に確保しなければならないという意識もなかったことから、東京電力本店に警報設定器の確保を依頼することもなく、また警報設定値を変更しない状態でそのAPDを使用することにも思い至らないまま、そのAPDおよび充電器をJヴィレッジに送り返した。そのため、四国電力から送られたAPD などは、そのままJヴィレッジに保管され、結局、使用されなかった。
  • その後、3月31日、代表者運用の事実を知った保安院が、東京電力に対し、代表者運用は望ましい状況ではないとして、作業員の放射線管理に万全を期するよう注意喚起をしたことなどから、同日、東京電力は、代表者運用を解消することを決めた。また、これを知った柏崎刈羽原発の指摘を受けるなどして、福島第一原発及び福島第二原発内の捜索を行ったところ、同日中に、福島第一原発で前記APD500個が、また、翌日の4月1日に福島第二原発で前記充電器5台(100個用)が、それぞれ発見された。
  • さらに、柏崎刈羽原発から追加的にAPD190個および充電器2台(100個用1台、50個用1台)が送付されたことから、4月1日中に十分な数のAPDなどが確保されるに至り、同日から作業員各自がAPDを装着する通常の運用が再開された。

《国民に対する情報提供に関して問題があり得るものの事実経緯》

福島原発事故に係る広報態勢

  • 原子力発電所事故に係る広報は、安全規制担当省庁が当該省庁およびオフサイトセンターにおいて行うこととされており、オフサイトセンターにおいては、事故の詳細などに関する説明のため、原子力事業者にも対応を要請することとされている。原子力緊急事態宣言の発出後は、内閣官房長官、内閣官房副長官又は内閣危機管理監が必要に応じて記者会見を行う(安全規制担当省庁担当局長が同席する)こととされている(政府の原子力災害対策マニュアル、以下「原災マニュアル」)。
  • また、原災法第15条第1項に規定する原子力緊急事態発生時においては、経済産業省原子力災害対策本部事務局広報班は、プレス発表を行い、かつ、官邸対策室及び内閣府情報対策室に対し、発表の内容・状況を連絡するとともに、プレス発表資料をFAX で送付することとされている(経済産業省原子力防災業務マニュアル)。
  • 今般の福島第一原発事故に係る実際の広報は、当初(1)内閣官房長官、(2)東京電力の規制担当省庁である保安院、(3)現地対策本部(3月15日に福島県庁へ移転した以降のみ)、(4)福島県、(5)東京電力がそれぞれ独自に行っていたが、3月12日以降、保安院および東京電力は、事前に官邸の了解を得るようになり、4月25日からは、政府と東京電力の広報を一元化し、福島原子力発電所事故対策統合本部においてプレス発表が行われるようになった。
  • なお、3月12日から15日までの間は、現地対策本部が置かれたオフサイトセンターが避難区域内(大熊町)にあったため、現地対策本部はプレス発表を実施しなかった。

炉心に関する保安院の説明の変遷

  • 保安院においては、原災マニュアル、経済産業省原子力防災業務マニュアルなどにより、審議官(原子力安全基盤担当)および首席統括安全審査官が交代で保安院のプレス発表を担当することとなっていた。3月11日は、中村幸一郎・原子力安全・保安院審議官(原子力安全基盤担当)の担当日であった。
  • 同日23時48分、保安院は、東京電力から、福島第一原発1号機タービン建屋1階北側において高い線量(1.2mSv/h)が測定されたとの報告を受け、さらに、翌12日未明以降、1号機原子炉格納容器の圧力が設計上の最高使用圧力を超えた状態になっていること、福島第一原発正門付近における放射線量が同日早朝から急上昇したことなどの報告を受けた。
  • 中村保安院審議官は、これらの情報を踏まえ、12日9時45分ごろのプレス発表(第12報)において、「燃料の一部がこの数字(同9時15分現在の水位データ)からすると露出しているので、被覆管が一部溶け始めていることも考えられる」と説明し、記者からの「燃料の一部が溶け始めている可能性があるということか」との質問に、「可能性を否定できない」とのみ説明した。
  • その後、同日14時ごろのプレス発表(第14報)前、中村保安院審議官は、経済産業省緊急時対応センター(ERC)において、寺坂信昭原子力安全・保安院長に対し、福島第一原発敷地内のモニタリング測定値が高くなっていること、全交流電源喪失から相当時間が経過し、非常用復水器(IC)が稼働しているとは考えられない上に、水位が燃料頂部より下の状態が続き、さらに水位が低下し続けていることから、1号機において炉心溶融が発生している可能性が高いと考えられる旨報告した。
  • 寺坂保安院長は、同日午前、福島第一原発周辺でセシウムが検出されていることなどから燃料棒に問題が起きていると考えざるを得ない旨の報告も受けていたため、中村保安院審議官に対して「(事実がそうであるなら)そのように言うしかない」旨告げた。
  • 同日14時ごろの保安院プレス発表(第14報)において、中村保安院審議官は、同日9時45分ごろのプレス発表(第12 報)の説明よりもさらに踏み込んで、「炉心溶融の可能性がある。炉心溶融がほぼ進んでいるのではないだろうかと」と説明した。
  • 当時、保安院のプレス発表内容は、官邸に事前連絡されていなかった。この第14報においても、事前連絡なしに「炉心溶融」という重要な事象についてプレス発表されたこと、それ以前から事故に関して官邸に届く情報が極めて乏しく、枝野官房長官らが広報に苦慮している状況にあったことなどもあいまって、これらの状況を認識していた総理大臣秘書官や官房長官秘書官らは、保安院の情報共有姿勢に不信感を抱くに至り、そのような中で、経済産業省から出向していた貞森恵祐内閣総理大臣秘書官は、保安院職員に対し、保安院のプレス発表内容を官邸に事前連絡するよう要請した。
  • 貞森総理秘書官は、保安院が官邸の了解を得た上で広報するよう求めたものではなく、広報内容を事前に共有することを求めたにすぎなかったが、このような要請があったことを知った寺坂保安院長は、保安院の広報担当者に対し、プレス発表の際は官邸に事前連絡した上、官邸の了解を得て行うよう指示した。しかしながら、そのプロセスが明確ではなかったため、それ以前は1、2時間おきに行われていた保安院のプレス発表の間隔が広がることとなった。
  • 中村保安院審議官は、同17時50分のプレス発表(第15報、12日15時36分の1号機原子炉建屋爆発に関する説明)まで担当したが、その後、寺坂保安院長に広報官を交代してほしい旨願い出たため、寺坂保安院長は、広報官を野口哲男原子力安全・保安院首席統括安全審査官と交代するよう指示した。その後の2回の保安院プレス発表は、野口首席統括安全審査官が担当した。
  • 野口首席統括安全審査官らは、12日21時30分のプレス発表(第16報)において、「テレビなどでは、今回日本で初めての炉心溶融ということで報道されているが、それが正しいかどうかも含めて、その意味を国民に分かるような立場からおっしゃってください」との質問に対し、「まだ炉心の状況は正確には確認できていないので、これからどこまでできるか分からないが、確認をしていきたい」「炉心が破損しているということは、かなり高い確率だと思うが、状況がどういうふうになっているか、現状では正確には分からない状況だ」と説明し、「炉心溶融」という表現を使わずに説明した。
  • 13日5時30分(第18報)のプレス発表は根井寿規原子力安全・保安院審議官(原子力安全・核燃料サイクル担当)が担当し、1号機の炉心溶融の可能性に関する問いに対し、「可能性として否定ができないことは、もう既にそういう物質(セシウム)が出てきているということに関すれば、それは念頭に置いておかなければいけない」と説明した。
  • 同日17時15分(第20報)のプレス発表以降は、西山英彦原子力安全・保安院付が広報官として専従することとなった。その発表において、西山保安院付は「炉心の状況はデータからははっきり言えることではないため、溶融しているかどうかは分からない」旨発言した上、その後のプレス発表においては、「少なくとも炉心の毀損が起こっていることは間違いないと思います。溶融までいっているのかどうかはよく分かりません」と、「炉心溶融」という表現を使わずに説明し、炉心溶融の可能性についても否定も肯定もせず、不明と答えるにとどまった。
  • このように、12日から13日にかけての保安院のプレスに対する説明は、「炉心溶融」という表現を使わなくなったこと、その可能性について肯定的な説明から不明との説明に変わったことの2 点で内容が変遷した。
  • その後の14日9時15分(第22報)のプレス発表においては、西山保安院付は「1号機および3号機について炉心溶融の可能性がある」旨、炉心溶融の可能性を肯定する説明をしたが、その直後、同席した保安院職員は「水素が出てくるというのを考えると、やはり燃料を覆っている被覆材(ジルカロイ)との反応で出てきているのかなと推測されるので、まだ溶融とかそういう段階では決してないと思っております」と、炉心溶融の可能性を否定するかのような説明をした。
  • さらに、同日16時45分のプレス発表においても、「水素が出ているということは溶けていることだから、溶融(しているということ)でいいですね」との質問に対して、西山保安院付が「損傷の段階でも水素が出る場合もあると考えられます」と説明した直後、同席した保安院職員は「水素との関係で言うと、燃料、被覆材の部分と反応して水素が出てきているということなので、溶融という言葉では適切ではないと思います」と、前同様、炉心溶融の可能性を否定するかのような説明をした。
  • このように保安院は、一方では西山保安院付が炉心溶融の可能性を肯定する説明又は肯定も否定もしない説明をしながら、他方で、炉心溶融の可能性を積極的に否定するかのような広報をした。このような広報が、その後、事故状況について「保安院が事実を隠そうとしているのではないか」との疑念を与えた原因となったと考えられる。
  • 4月10日、保安院は、海江田経産大臣からの指示に基づき、炉心状況を説明する用語の整理と炉心状況の分析に着手した。その頃、統合本部において、海江田経産大臣、東京電力社員らが炉心状況を説明する用語を議論していた際、その中の一人が「炉心溶融」ではなく「燃料ペレットの溶融」との言葉を用いて炉心の状態を説明する方が正確で適切であると述べ、その場にいた海江田経産大臣も、これに同意した。
  • その後、保安院職員は、東京電力社員からそのような議論があったことを聞き、以後、炉心状況を説明する際には、「炉心溶融」という用語に代えて「燃料ペレットの溶融」という用語を使うこととし、その旨東京電力にも連絡した。
  • 保安院は、4月18日、第23回原子力安全委員会臨時会議において、福島第一原発1号機から3号機の炉内状況についての分析及び評価について報告したが、その際、炉心の状況を説明する用語について整理した文書を作成し、その中で、(1)「炉心損傷」について、「原子炉炉心の冷却が不十分な状態の継続や、炉心の異常な出力上昇により、炉心温度(燃料温度)が上昇することによって、相当量の燃料被覆管が損傷する状態。この場合は燃料ペレットが溶融しているわけではない」、(2)「燃料ペレットの溶融」について、「燃料集合体で構成される原子炉の炉心の冷却が不十分な状態が続き、あるいは炉心の異常な出力上昇により、炉心温度(燃料温度)が上昇し、燃料が溶融する状態に至ることをいう。この場合は燃料集合体および燃料ペレットが溶融し、燃料集合体の形状は維持されない」、(3)「メルトダウン」について、「燃料集合体が溶融した場合、燃料集合体の形状が維持できなくなり、溶融物が重力で原子炉の炉心下部へ落ちていく状態をいう」とそれぞれ定義した上、1号炉から3号炉については「燃料ペレットの溶融」が起きている旨記載した。

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