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国会事故調報告書が抱える問題点(鈴木一人 氏 / 北海道大学大学院 法学研究科 教授)

2012.07.10

鈴木一人 氏 / 北海道大学大学院 法学研究科 教授

北海道大学大学院 法学研究科 教授 鈴木一人 氏
鈴木一人 氏

 7月5日に発表された国会事故調(国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)の報告書は本編だけで670ページを超え、極めて詳細な調査に基づく資料を提供している。6カ月という限られた調査期間しかなかったにも関わらず、これだけの報告書をまとめたことに敬意を表したい。

 私自身、民間事故調(福島原発事故独立検証委員会)のワーキンググループ(WG)のメンバーとして事故の調査を行い、これまでの安全規制を中心に、歴史的・構造的要因に関する記述の取りまとめを行った立場として、これだけの資料を集め、報告書としてまとめる苦労はよく知っている。ただ同時に、事故の調査報告書を仕上げる過程を知っているからこそ、国会事故調の報告書に示されたいくつかの点について、違和感を拭えない点も散見された。本稿ではそれらの点を明らかにしながら、この報告書が持つ価値について考えてみたい。

 まず気になったのは、やや強引ともいえる論理展開である。国会事故調の報告書では、事故の性格を「人災」と認定し、これまでの備えの欠如や規制当局の不作為、法制度の不備を重要な問題としつつ、他方で、今回の事故は「複合災害」であるとも認定している。報告書は「複合災害に対する備えが欠如していた」から人災であるという論理を用いているが、この論理で言えば、世の中で起こるさまざまな問題がすべて「人災」になってしまう。確かに国会事故調の任務として、事故の責任を明確にするということがあり、「誰か」の責任にすることが求められているが、事故の再発を防止するためには、事故の遠因である法制度や過去の安全規制に原因を求めるのではなく、直接的な原因、間接的な原因を区別し、それぞれに対応を考える必要がある。しかし、この報告書では7つある提言のどれもが間接的な原因である制度的対応に限定され、複合災害であるが故に起こった事故であるという点に重点が置かれていない。

 また、福島原発事故を「人災」と性格付けるとしても、もう少し丁寧な分析がなされるべきではないかと思われる。この報告書では、法制度の不備も、官邸の介入も、不適切な避難措置も全てまとめて「人災」とされているが、事故への寄与度に応じて、タイプ分けをしたうえで、それぞれに適切な提言をすることができたのではないかと思われる。「人災」というくくりで考える場合、事故対処に直接当たった事業者や保安院、原子力安全委員会が過酷事故対策に十分備えていなかった「直接的人災」、官邸の介入により事故対処が混乱した「中間的人災」、そして政治家や歴史的なシステムとして作り上げられていった法制度や因習といった「構造的人災」に分けて分析をし、それぞれに合致した提言をなすべきではなかったか、と考える。

 この報告書の中で、「構造的人災」と「直接的人災」をまたぐ形で示されているのが「規制の虜(とりこ=Regulatory Capture)」という概念である。これはノーベル経済学賞を受賞したジョージ・スティーグラーが提唱した概念であり、「規制される側」が情報の非対称性などを利用して、「規制する側」を取り込んでいくことを示す概念であり、規制当局と事業者の間の関係を雄弁に語る概念となっている。また、この概念を用いることで、手あかのついた「安全神話」や「原子力ムラ」といった定義のはっきりしない言葉を使わずに事故の「構造的人災」の問題を明らかにし、かつ、それが「直接的人災」に及んだことを説明している。

 しかし、「規制の虜」という概念を用いることでいくつかの弊害もあるだろう。一つは規制当局と事業者(+有識者)の間の問題に焦点が当たりすぎ、従来「原子力ムラ」に含まれてきた、政治家や立地自治体、広い意味での財界などとの相互依存関係が捨象されてしまうことである。第二に、「安全神話」という概念を使わず、規制当局と事業者との関係を説明してしまうことで、原子力政策を進める上での国民的合意をつくっていった過程や、立地自治体との関係の分析に踏み込めていないという問題が生まれる。国会事故調は最初から「国民による、国民のための」事故調という立場をとっていることで、この事故の「構造的人災」に当たる部分での国民の役割(加えてメディアの役割)などが十分論じられていないと言える。

 国会によって設置された事故調であるため、国会に向けて提言を行うのだから、法制度や安全規制について提言するのは当然であり、妥当である。しかし、そう考えると7つ挙げられた提言はいずれも抽象的なものに過ぎず、具体的な法制度の不備を特定した提言とみられるものは「提言6:原子力法規制の見直し」の中のバックフィット(新しいルールを既存の原子炉に適用すること)を原則とする、という点以外に見いだせない。新たな法規制や危機管理体制を提言するのであれば「複合災害」への対応や、立地自治体、警察、消防、自衛隊などとの連携について具体的な提言がなされるべきであるが、そうした提言は見受けられない。なお、本編では福島県の対応などは記述されているが、自衛隊や警察、消防の対応などについては必ずしも十分な検証が行われていない。

 論理の強引さは、報告書公開直後から指摘されている、英語版と日本語版のニュアンスの違いにも表れる。日本語版では、「人災」は特定の個人の責任ではなく、組織、制度、法的枠組み、無知と慢心、組織の利益を最優先とする組織依存のマインドセットにあるとしている。しかし、英語版(Executive Summary)ではdisaster“Made in Japan”(日本製の災害)という位置づけを示し、Its fundamental causes are to be found in the ingrained conventions of Japanese culture(事故の根本的原因は日本文化の根深い習慣にある)としている。これは黒川清委員長のメッセージであり、国会事故調の調査そのものを反映したというよりは、委員長の個人的な思いが現れたメッセージと言えるが、それでも日本語版にはない強いトーンで「日本の」事故であるという点を強調している。

 この論理構成はさまざまな意味で弊害があるといえよう。なぜなら、福島原発事故を「日本の」事故にしてしまうことで、他の国から見れば「わが国は日本とは違うから大丈夫」という論理を導き出してしまうからだ。これこそ、日本がスリーマイルアイランド原発事故やチェルノブイリ原発事故の後に使った論理であり、「日本は米国やソ連とは違う」として過去の過酷事故から学ばなかった理屈である。それを国会事故調という権威ある機関が外国に向けて英語で発信するというのは大きな問題であろう。

 私が民間事故調で歴史的・構造的要因に触れた記述をする際に、最も気を使ったのもこの点であり、可能な限り「日本の」特殊性を強調しないように心がけた。しかし、報告書の公開以降に日本語版と英語版の違いを指摘された際、黒川委員長は英語版を修正するのではなく、日本語版を修正し、「日本の」事故であることを書き込むとの発言をしている。これは事態をより悪化させることになると思われる。というのも、本報告書で使われた「規制の虜」という概念をスティーグラーが説明する時に用いたのは、皮肉なことに、米国のNRC(原子力規制委員会)の例だったからである! つまり、この報告書は一般論として理解されることを前提に「規制の虜」という概念を使いながら、日本の特殊性にこだわってしまうという矛盾を起こしているのである。

 国会事故調の報告書は、東京電力福島原子力事故調査報告書の自己弁護のような報告書よりははるかに詳細に事故の経緯を分析し、東電の協力を得られなかった民間事故調の報告書より、幅広い視野をもって分析した優れた報告書であることは間違いない。しかし、限られた時間の中で、広範にわたる事象の分析をまとめるために、やや強引な論理構成と矛盾した理念を抱えてしまったことで誤ったメッセージを発する結果となってしまったように見える。

 また、国会が大飯原発をはじめとする再稼働問題を優先したため、報告書が出る前に原子力規制委員会設置法が通ってしまい、この報告書の提言の価値が半減してしまったことも残念である。しかし、この報告書を適切に踏まえ、これからの原子力法制度、原子力行政のあり方を決める責任を持つのは、他ならぬ国会である。つまらない権力闘争や与野党間の争いに埋没させることなく、この報告書に基づいて不断の努力で原子力安全の向上に努めてもらいたい。

北海道大学大学院 法学研究科 教授 鈴木一人 氏
鈴木一人 氏
(すずき かずと)

鈴木一人 (すずき かずと)氏のプロフィール
長野県上田市生まれ、89年米カリフォルニア州サンマリノ高校卒、95年立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了、2000年英国サセックス大学ヨーロッパ研究所博士課程修了、筑波大学社会科学系・国際総合学類専任講師、05年から筑波大学大学院人文社会科学研究科 助教授(後准教授)、08年から北海道大学公共政策大学院 准教授、11年から現職。国際宇宙アカデミー会員。専門は国際政治経済学、欧州連合(EU)研究、科学技術政策。主な著書・論文は、『宇宙開発と国際政治』『EUの規制力』(共編著)「『ボーダーフル』な世界で生まれる『ボーダーレス』な現象-欧州統合における『実態としての国境』と『制度としての国境』」など。2月に報告書をまとめた福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)ではワーキンググループ22人の一人として調査・報告書執筆を分担した。

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