第Ⅲ章 災害発生後の組織的対応状況
《事故発生後の国の対応》
国の対応の概観(官邸5階などにおける対応を含む)
- 3月11日14時46分の地震発生直後、経済産業省は、震災に関する災害対策本部を設置し、被災地に所在する原子力発電所の原子炉の状況などに関する情報収集を開始した。他方、官邸においては、同14時50分ごろ、伊藤哲朗内閣危機管理監が、地震対応に関する官邸対策室を設置するとともに、関係各省の担当局長などからなる緊急参集チームのメンバーを、官邸地下にある官邸危機管理センターに招集した。
- 東京電力福島第一原子力発電所の吉田昌郎所長は、同15時42 分ごろ、福島第一原発が津波到達後に全交流電源喪失の状態となったことから、原子力災害対策特別措置法(原災法)第10条第1項の特定事象に該当すると判断し、東京電力本店を介して、原子力安全・保安院などに対し、原災法第10条に基づく通報(10条通報)を行った。
- これを受け保安院は、官邸などに対してその旨の連絡を行い、経済産業省は、同省原子力災害警戒本部および同省原子力災害現地警戒本部を、同省内の緊急時対応センター(ERC)および福島県大熊町所在の緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)にそれぞれ設置した。
- 保安院から前記連絡を受けた官邸においては、伊藤危機管理監が同16時36分ごろ、当該事故に関する官邸対策室を設置した。なお、緊急参集チームについては、既に招集されていた地震対応に関する緊急参集チームを拡大し、原子力災害と併せて、引き続き対応に当たることとした。
- 原子力安全委員会は、同15時59分ごろ、保安院から、東京電力からの10条通報があった旨の連絡を受け、同16 時、臨時会合を開催し、緊急技術助言組織を立ち上げた。
- 17時ごろ、菅直人内閣総理大臣は、緊急参集チーム要員として官邸にいた寺坂信昭原子力安全・保安院長を官邸5階の総理執務室に呼び、福島第一原発の状況に関する説明を求めた。
- 寺坂保安院長は、福島第一原発の状況について、非常用ディーゼル発電機が津波で使用できなくなったことなどの断片的な情報は得ていたものの、福島第一原発の設計および現状の詳細について十分把握しておらず、例えば、菅総理から、非常用ディーゼル発電機の設置場所を尋ねられたのに対し、即座に明確な回答ができなかった。
- この寺坂保安院長とのやり取りの途中、菅総理は、東京電力に対しても説明者を派遣するよう要請し、東京電力は、武黒一郎東京電力フェロー、同社担当部長並びに技術系および事務系の職員各1名の合計4名を官邸に派遣して、菅総理に状況説明をさせることにした。
- しかしながら、武黒フェローらの東京電力幹部も、福島第一原発の詳細な情報を入手しておらず、(1)事態が悪化すれば水位が低下して比較的短時間で燃料損傷に至ること、(2)1号機から3号機の炉心冷却装置である非常用復水器(IC)や原子炉隔離時冷却系(RCIC)の運転制御に必要なバッテリーの持続時間は8 時間程度であること、(3)その間に電源を確保して、原子炉に継続的に注水する必要があること、などの一般的な説明のほか、東京電力では電源車を手配中であることなど、同社の当時における対応状況を簡単に説明しただけであった。
- 東京電力は、福島第一原発1、2号機に関して、非常用炉心冷却装置による注水ができなくなっている可能性があることから、同16時36分ごろ、安全性を重視して、原災法第15条第1項の特定事象(「すべての非常用炉心冷却装置による当該原子炉への注水ができないこと」)が発生したと判断し、同16時45分ごろ、保安院に対し、その旨報告した。
- 保安院は、技術的な確認を行い、原災法第15条第1項に規定する原子力緊急事態(15条事態)に該当すると判断し、同17時35分ごろ、平岡英治原子力安全・保安院次長らは、原災法第15条第2項に基づく原子力緊急事態宣言を発出することにつき、海江田万里経済産業大臣の了承を得た。
- 平岡保安院次長らは、海江田経産大臣に対し、福島第一原発において15条事態が発生したと認められる旨報告するとともに、(1)経済産業大臣は、原子力緊急事態が発生したと認めるときは、直ちに、内閣総理大臣に報告等を行う、(2)内閣総理大臣は、前記(1)の報告などがあったときは、直ちに、原子力緊急事態宣言をする、(3)内閣総理大臣は、原子力緊急事態宣言をした場合、原災法に基づき原子力災害対策本部(原災本部)を設置する、などの原災法上の手続などに関する説明を行い、海江田経産大臣は即座にこれを了承した。
- 同17時42分ごろ、海江田経産大臣は、緊急参集チーム要員として既に官邸に詰めていた寺坂保安院長らと共に、官邸5階の総理執務室において、菅総理に対し、15条事態の発生について報告するとともに、原子力緊急事態宣言の発出について了承を求めた。
- これに対し、菅総理は、爆発や燃料溶融の可能性を含めた福島第一原発の事故の状況および今後の見通し並びに同原発の各号機の出力といった技術的な事項などについて質問し、海江田経産大臣に同行した保安院職員が中心となってこれに回答したものの、多くの質問に対し、明確な回答をすることができなかった。
- また、菅総理は、原災法および関連法規の規定などについても質問したが、その場に同席した者は、関連法規の詳細についての資料を持ち合わせておらず、この点についても、菅総理に対し即座に明確な回答をすることができなかった。
- これらのやり取りの途中、菅総理は、同18時12分ごろから開催された与野党党首会談に出席する予定であったことから、上申手続は一旦中断した。
- 党首会談終了(同18時17分ごろ)後、遅くとも18時30分ごろまでに、菅総理は、原子力緊急事態宣言の発出を了承し、同19時3分、政府は同宣言を発出するとともに、原災本部、原子力災害現地対策本部(「現地対策本部」)などを設置した。その後の同19時45分ごろ、枝野幸男内閣官房長官は、記者会見において、原子力緊急事態宣言の発出および原災本部の設置を発表した。
- 原子力緊急事態宣言の発出後に開催された第1回原災本部会合、および同会合に引き続いて行われた緊急災害対策本部会合の終了後、菅総理は官邸5階の総理執務室において、海江田経産大臣、福山哲郎内閣官房副長官、細野豪志内閣総理大臣補佐官、寺田学内閣総理大臣補佐官らと事故対応などについて協議していたが、同20時30分ごろ、地震・津波災害および原発事故対応について並行して指揮をとるため、官邸地下の官邸危機管理センターに降りた。
- 官邸危機管理センターにおいては、伊藤危機管理監を中心に、関係省庁の職員が地震・津波災害および原発事故対応に当たっており、菅総理は、これらの職員に対し(1)相互の連絡を確実に行うこと、(2)コミュニケーションを十分に図ることなどの指示を口頭で行った。
- 菅総理は、大勢の各省関係者で騒然とする官邸危機管理センターの会議室で事故対応に当たるのは適当ではないと考え、同センター中2階の一室(「官邸地下中2階」)に入った。
- 以後、官邸地下中2階においては、多少の出入りはあったものの、菅総理のほか、枝野官房長官、海江田経産大臣、福山官房副長官、細野補佐官らが参集し、班目春樹原子力安全委員会委員長、平岡保安院次長、武黒フェローらの関係者も集められ、事故対応に関する協議が行われた。
- 官邸地下中2階に参集したメンバーは、官邸危機管理センターに集約された情報や、その場に参集していた武黒フェローら東京電力社員が電話で収集するなどした情報などを基に、班目委員長らの助言を仰ぎつつ、避難区域などの設定、福島第一原発内における具体的な措置(ベント、原子炉への注水など)、それらに必要な資機材調達などの後方支援などについて協議した。
- 東京電力自体が事故状況に関する情報を十分に把握できておらず、通信手段にも制約があったことから、収集された情報は十分なものではなかった。
- また、同日深夜以降、菅総理は、主に官邸5階の総理執務室において執務するようになったが、菅総理を除く前記メンバーの多くは、官邸地下中2階にとどまり、必要に応じ、官邸5階に赴いて菅総理に報告したり、総理執務室で事故対応について協議するなどした。
- 12日2時頃、菅総理は、原発事故対応に当たるべき現地対策本部が十分に機能しておらず、結果として官邸が種々の意思決定を行わなければならない状況にあるにもかかわらず、福島第一原発の状況が十分に把握できないことから、福島第一原発における現場対応の責任者(吉田所長)から福島第一原発の状況などを直接確認するとともに、併せて、被災地の地震・津波による被害状況をも確認する必要があると考え、総理大臣秘書官に対し、福島第一原発などの現地視察の準備を進めるよう指示した。
- この現地視察の実施は、菅総理が官邸を出発する直前の同6時ごろに最終決定された。菅総理は、他の閣僚等に比べ原子力分野の技術的事項に関する土地鑑があると考えていたことから、他の閣僚などを派遣することは考えず、菅総理自らが現地を視察することとした。
- 菅総理は、寺田補佐官、班目委員長らと共に、同6時15分ごろに官邸を発ち、同7時11分ごろ、福島第一原発内の免震重要棟において、吉田所長と面会した。また、オフサイトセンターからも、現地対策本部長として事故対応に当たっていた池田元久経済産業副大臣や武藤栄東京電力副社長らが、福島第一原発において合流し、菅総理に同行した。
- 官邸地下の官邸危機管理センターにおいては、携帯電話が使用できないようになっていたことに加え、菅総理への報告等を行うに際して官邸5階への移動に時間を要したことなどから、同日夕方以降、官邸地下中2階に詰めていたメンバーは、官邸5階の総理執務室に隣接する一室「総理応接室」に移動し、避難範囲の変更やプラント対応などについて協議するようになった。
- この官邸5階における協議には、同13日ごろまでに、久木田豊原子力安全委員会委員長代理、根井寿規原子力安全・保安院審議官(原子力安全・核燃料サイクル担当)、プラントメーカーの技術者、独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)職員も参加した。さらに、同日午後、事故発生後に急きょ保安院付に併任された安井正也資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部長が、平岡保安院次長や根井保安院審議官らの保安院幹部職員と交代して、この協議に加わるようになった。
- これらのメンバーによる総理応接室での協議に菅総理が加わることは少なかったが、プラントの挙動に大きな変化が見られたときなどには、海江田経産大臣、班目委員長らが、菅総理に対し、プラントの状況や意見交換の結果などを報告した。
- 官邸地下中2階や官邸5階には、官邸地下の官邸危機管理センターで収集した福島第一原発の各号機のプラント情報が届けられていたが、このほか、必要に応じ、東京電力の武黒フェローらが、同社本店や吉田所長に電話をかけ、さらには、細野補佐官が直接吉田所長に電話をかけることにより、同様の情報を直接に収集した。また、菅総理や枝野官房長官らも、吉田所長に直接電話をかけ、プラント状況を確認したり、意見を求めたりした。
- 官邸地下中2階や官邸5階での協議においては、単にプラントの状況に関して収集した情報を報告・説明するだけではなく、入手した情報を踏まえ「事態がどのように進展する可能性があるのか」「それに対しいかなる対応をなすべきか」といった点についても議論され、その結果を踏まえ、主に東京電力の武黒フェローや同社担当部長が、同社本店や吉田所長に電話をかけ、最善と考えられる作業手順など(原子炉への注水に海水を用いるか否か、何号機に優先的に注水すべきかなど)を助言した場合もあった。
- ほとんどの場合、既に吉田所長がこれらの助言内容と同旨の判断をし、その判断に基づき、現に具体的措置を講じ、又は講じようとしていたため、これらの助言が、現場における具体的措置に関する決定に影響を及ぼすことは少なかった。
- しかし、幾つかの場面では、東京電力本店や吉田所長が必要と考えていた措置が官邸からの助言に沿わないことがあり、その場合には、東京電力本店や吉田所長は、官邸からの助言を「官邸からの指示」と重く受け止めるなどして、現場における具体的措置に関する決定に影響を及ぼすこともあった(1号機原子炉への海水注入、2号機原子炉の減圧・注水、3号機原子炉への淡水注入に関する中間報告Ⅳを参照)。
- 官邸地下中2階や官邸5階での協議は、その性質上、福島第一原発のプラントの状況や作業状況などに関する情報が不可欠であり、この会合に参加していた武黒フェローらの東京電力幹部は、こうした情報を収集・把握することが自らに期待されているものと感じていた。しかし、もともと東京電力は、原子力災害への対応の際、国との関係では、保安院へ報告することは予定していたが、官邸に直接報告したり、官邸に連絡要員を派遣したりすることは予定していなかった。また、東京電力は、地震・津波発生後、官邸からの要請を受け、武黒フェローらを官邸に派遣したものの、その時点では、福島第一原発のプラント状況などに関する説明のための一時的なものと認識しており、その後も引き続き官邸にとどまり、継続的に官邸との連絡役を果たすことになるとは考えていなかった。
- 官邸と東京電力本店との間の情報伝達態勢は、両者の十分な役割の相互理解の下で出来上がったものではなく、いわば成り行きで出来たものであり、連絡役を担うこととなった武黒フェローらの東京電力幹部は、福島第一原発のプラント状況などに関する必要な情報を、とりあえずは手持ちの携帯電話などで入手するほかなく、入手できる情報は限られていた。
- 他方、事故の初期段階において、官邸地下中2階や官邸5階における協議に参加していたメンバーは、福島第一原発のプラント状況などに関する情報を十分には得られていないと感じていた。例えば、前記メンバーが12日15時36分に発生した1号機原子炉建屋の爆発を知ったのは、テレビ報道を通じてであり、この爆発についてのその後の情報も円滑に収集できなかった。
- そこで、武黒フェローは、12日夜に東京電力本店に戻った際、同社本店と官邸との間の情報伝達方法を改善する必要があるとの提案を行い、同社本店は、翌13日午前、連絡要員として同社社員3名を官邸に派遣するとともに、専用のFAXやパソコンを持ち込んで設置し、それ以降、東京電力本店から官邸への情報提供が改善された。
- 官邸5階での協議に参加していた保安院や東京電力関係者らは、14日朝までは、官邸5階の総理大臣秘書官室脇の小部屋で待機しつつ、1、2時間おきに開催される協議の都度、総理応接室に参集していたが、同日朝、官邸2階の一室が待機部屋として用意された。この部屋には電話が設置され、さらに東京電力本店が用意したFAX も設置されるなどしたため、以後、同部屋が東京電力と官邸との間の連絡中継点として機能するようになった。
保安院の対応、官邸危機管理センター(緊急参集チーム)の対応、安全委員会の対応は、中間報告Ⅲのとおり。
安全委員会の対応
「事務局の態勢強化」
- 安全委員会は、3月11日の地震発生以降、緊急技術助言組織会合を継続的に開催して、関係機関に対して種々の助言を行うとともに、班目委員長や久木田委員長代理らを官邸に派遣するなどして、事故対応に当たった。
- 他方、菅総理や枝野官房長官は、15日ごろまでに、安全委員会事務局の態勢強化を図る必要があるとの認識を持つに至り、枝野官房長官等の意向を受けた官房長官秘書官を中心に、安全委員会事務局の態勢強化に関する検討を開始した。
- 20日ごろまでに、前記官房長官秘書官は、保安院長および安全委員会事務局長の経験のある東海大学国際教育センターの広瀬研吉教授に内閣府参与への就任を打診し、関係機関などと調整の上、菅総理や枝野官房長官の了承を得た。
- 28日、政府は、広瀬参与を内閣府参与に任命するとともに、広瀬参与の任命と前後して、加藤重治・文部科学省大臣官房審議官を安全委員会事務局(兼任)に、吉田敏雄・財団法人放射線影響協会常務理事ら4名を安全委員会事務局技術参与に、それぞれ任命し、安全委員会事務局の態勢の強化を図った。
他の政府関係機関などの対応
「活動の概観」
- 菅総理は、福島第一原発事故への対応について、発災直後から、関係省庁などの職員による時宜を得た情報提供や十分納得のいく説明がなされていないと感じていたことから、事故対応に関する助言を得るため、小佐古敏荘東京大学大学院教授のほか、5名の内閣官房参与を任命した。
- ※ 菅総理は、3月20日に日比野靖・北陸先端科学技術大学院大学理事・副学長および山口昇・防衛大学校安全保障・危機管理教育センター長、同22日に有富正憲・東京工業大学原子炉工学研究所長・教授および齊藤正樹・東京工業大学原子炉工学研究所教授、同29日に田坂広志・多摩大学大学院教授を、いずれも内閣官房参与に任命した。
「福島第一原発における放水などの実施に係る指揮系統の整理」
- 3月17日以降、自衛隊、警視庁、東京消防庁などは、福島第一原発の使用済燃料プール(SFP)への放水・散水を開始した。
- これを受けて、自衛隊は翌18日、統合幕僚長指令により、常磐自動車道・四倉パーキングエリアに「現地調整所」を設置し、陸上自衛隊中央即応集団副司令官を所長として、自衛隊各部隊の調整を行うこととした。
- しかし、その後、放水・散水の実施に当たる各機関相互の指揮・命令系統の不明確さを原因とする混乱が生じたことから、同20日、原災本部長である菅総理は、警察庁、消防庁、防衛省、福島県及び東京電力に対し、(1)福島第一原発への放水などの作業等に関する現場における具体的な実施要領については、現地調整所において自衛隊が中心となり、関係行政機関および東京電力の間で調整の上、決定する、(2)当該要領に従った作業の実施については、現地に派遣されている自衛隊が現地調整所において一元的に管理する、との指示を行った。
「原子力被災者生活支援チームの設置」
- 3月29日、政府は、海江田経産大臣をチーム長とする原子力被災者生活支援チームを設置した。
- 同チームは、福島第一原発および東京電力福島第二原子力発電所の事故による原子力災害被災者の避難・受入先の確保(除染体制の確保を含む)、被災地周辺地域・避難所への物資の輸送および補給、原子力被災者への被ばくに係る医療などの確保、環境モニタリングと情報提供などの諸課題について、関係行政機関、地方自治体、東京電力などの関係団体との調整を行い、総合的かつ迅速に取り組むことを主な任務とし、原災本部の下に設置されたもので、福山官房副長官および平野達男内閣府副大臣がチーム長代理に、松下忠洋経済産業副大臣が事務局長にそれぞれ就任した。
- 同チームは、原子力被災者への対応に関するロードマップの策定および進捗管理、警戒区域への一時立入りの実施、計画的避難区域における避難の実施、福島県における健康管理調査などに関する活動などを行った。