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乳がんの早期発見・治療を目指して起業《東志保さんインタビュー》【未来を創る発明家たち】

2022.03.09

Lily MedTech代表取締役の東志保さん
Lily MedTech代表取締役の東志保さん

 2016年に創業し、異例のスピードで「乳房用リング型超音波画像診断装置 COCOLY(ココリー)」の実用化を達成した、東大発ベンチャー企業のLily MedTech(東京都文京区)。今回は、社会課題の解決を目指す発明家の一人として、乳がんの見落としを改善し、的確に早期発見を行う新たな技術を発明して起業した、同社代表取締役の東志保さんにお話を伺った。

マンモグラフィーのがん見落とし問題

 2020年、女性の新規罹患者数が肺がんを上回り、世界第一位に上った「乳がん」。高齢で患うことの多い他のがんとは異なり、働き盛りの30代後半から罹患率が大きく上昇する傾向にある。現在、乳がんの罹患者および死亡者数は、世界的に増加傾向にあり、生活習慣の改善による予防をはじめ、国や地域に偏りのない早期発見と治療が急務とされる。

*1 国立がん研究センターがん対策情報センター“がん情報サービス”より。*2 厚生労働省人口動態統計より
日本における乳がん罹患者数、死亡者数の推移(Lily MedTech提供  )
*1 国立がん研究センターがん対策情報センター“がん情報サービス”より。*2 厚生労働省人口動態統計より
日本における乳がん罹患者数、死亡者数の推移(Lily MedTech提供)
日本における乳がん罹患年齢の推移(Lily MedTech提供)
日本における乳がん罹患年齢の推移(Lily MedTech提供)

 一方で、乳がんの検診技術そのものにも、根本的な課題があるという。「乳がん検診では、世界的にマンモグラフィーが用いられていますが、見落としが問題視され続けてきました」と指摘するのは、株式会社Lily MedTechの代表である東志保さんだ。

 マンモグラフィーは、乳房専用の検査機器で、圧迫した乳房にエックス線を照射し、透過率の違いから生じる白黒の濃淡を見分けて診断を行う。この時、脂肪が少なく、乳腺の発達した乳房では、乳腺もがんもともに白く映し出されるため、がんが隠れて見落とされる場合がある。アジア人と65歳未満の欧米人には、このタイプの乳房が多く、米国では法改正が進むなど、がんの見落としが社会問題にまで発展しているという。

 東さんは、「人口の半分を占める女性の問題であるにも関わらず、解決策がない状況でした」と説明する。対象が女性に限られ、乳房に特化した専門装置の新規開発には、かけられるコストに制限があるなど、二の足が踏まれる状況が続いてきた。しかし東さんは、そこにこそ参入と貢献の余地があると確信したという。

ベッド型の検査機器、ココリー

 東さんらが開発した「ココリー」は、ベッド型の検査機器で、中央の穴にリング型の超音波送受信機が設置されている。うつ伏せで穴に乳房を挿入すると、乳房を取り囲むように内部構造のスキャンがはじまり、3D画像が簡単に得られる仕組みとなっている。マンモグラフィーのように乳房を圧迫することもない。体温程度の湯に乳房を浸してスキャンすることで、脂肪と乳腺のコントラストに差がつき、見分けがつきやすくなる。結果的に、痛みがなく、温かい湯の中に乳房を浸して行う快適な検査が実現した。

乳房用リング型超音波画像診断装置 COCOLY(ココリー)。うつ伏せに寝る姿勢で中央の穴に乳房を入れ、スキャンを行う。圧迫による痛みがなく、乳房を見たり触れられたりすることなく快適に受診できる(Lily MedTech提供)
乳房用リング型超音波画像診断装置 COCOLY(ココリー)。うつ伏せに寝る姿勢で中央の穴に乳房を入れ、スキャンを行う。圧迫による痛みがなく、乳房を見られたり触れられたりすることなく快適に受診できる(Lily MedTech提供)

 超音波では、乳腺が白く、がんは黒く映し出されるため、乳腺が発達した女性のがんの検出にも適している。特に、乳腺を食い破り、内部に進行する浸潤性のがんを見つけるのが得意な特徴もあるという。

 ココリーは、この超音波送受信機をリング状に配した、リングエコーを基幹技術とする。検査対象に向かって、360度の多方向から超音波を放出し、反射を受信する。平面的な超音波検査と異なり、多方向から取得されたデータからは、MRIで撮影されたかのような、高精度な3D画像の構築が可能となる。さらに、マンモグラフィーでは検出できない小さな病変も捉えることができるという。早期発見が、その後の生存率を飛躍的に高める乳がん診断において、大きなアドバンテージとなる。見落としを防ぎ、的確に診断へと導く画期的な発明となったわけだ。

 さらに、周辺技術のイノベーションも発明の後押しになったという。例えば、約2000もの素子から取得される膨大なスキャンデータを、画像に変換、再構築する技術には、GPU(Graphics Processing Unit)が用いられている。GPUは、3D世界を体感できるゲーム機などにも搭載され、すでに広く普及する技術だ。そのため安価で手に入り、開発コストを抑えることもできた。さまざまな技術のイノベーションと、社会的ニーズが一致するタイミングで開発を進めることができたのだという。

リングエコーの研究技術を社会実装

1997年公開の映画「コンタクト」に衝撃を受けたという東さんは、航空宇宙工学を学ぶため、アメリカ留学を決意した。思い込みや既成概念に捕らわれず、まず自分自身で考えることを大事にしているという
1997年公開の映画「コンタクト」に衝撃を受けたという東さんは、航空宇宙工学を学ぶため、アメリカ留学を決意した。思い込みや既成概念に捕らわれず、まず自分自身で考えることを大事にしているという

 幼い頃から、物理が好きだったという東さんは、大学では航空宇宙工学を専攻した。博士課程では惑星探査機の研究を行い、その後は、物質の分子構造を原子レベルで解析する装置を扱う仕事に従事した。複雑な科学の世界に、面白さとロマンを感じていたという東さんだが、メーカー勤務の父の影響を受け、「日本人の得意を生かした物づくりがしたい」という想いを変わらず持ち続けてきたという。

 そのような中、東京大学で研究の進んでいた、リングエコーを用いた医療技術を、装置として開発し、製品化するという課題と出会った。

 超音波による画像診断は、被ばくの心配や造影剤の使用がなく、受診者への負担を最小限にとどめることができる。医療分野では、すでに長年活用されてきた実績があるものの、的確な病変の検出には、経験とスキルを要する一面もある。そのため、画像診断の主流はMRIやX線CTとされ、超音波は、補助的な診断ツールの域を脱しないものだった。しかし超音波は、照射エネルギーを熱に変え、ターゲットとなる組織や細胞を熱凝固させることもでき、治療応用への可能性も秘めた、新たな発展のすそ野が広がる技術でもあった。これに注目し、超音波診断と治療技術の研究を進めていたのが、東さんの夫である、東隆さんだった。

 隆さんが研究するリングエコーは、その形状と特性から、乳房の画像診断に適している。折しも、増加傾向にある乳がんの早期発見と、治療へのニーズが高まりを見せていた。東さんは夫の研究技術を用いた社会実装の可能性を共に考えるようになった。

科学のロマンから社会課題の解決へ

 乳がんの早期発見に貢献する診断装置を、製品として開発する。母親をがんで亡くした経験と、悔しい想いを抱き続けていた東さんに、「社会問題と医療に関わるものならば、やらなければいけない」という、強い使命感が湧き上がった。隆さんからの協力依頼を受け、東さんは、科学に潜むロマンの追求から、社会課題の解決に向けた取り組みへと、大きく舵をきることとなる。

 超音波機器は、東さんがこれまでに扱ってきた装置と比べると、シンプルな物理現象を利用した技術でもあった。東さんは、装置の開発に際して、まず想定されるプログラムとその容量、処理にかかる時間やデータの大きさなどを、全て自身で書きだし、検証するところからはじめた。

 どんなに優れた技術を基盤としても、事業として成功できるとは限らない。事業として成功に導くことができなければ、技術を社会に還元する道も失ってしまう。さらに、維持や改良も含めて、長く受け入れられるものでなくてはならない。メーカーで開発者として過ごした経験と、複雑な科学の面白さに魅せられてきた視野を通し、自身の検証結果から、「これなら実現できる」という確信にたどり着いたのだという。

 社会的なニーズとシーズを、的確に捉えた発明を可能とした背景には、東さんの科学への探究心と、好奇心に従い行動し、学んできた経験が生かされている。

人生の選択を支援する技術の開発を

 東さんらが次に目指すものは、ココリーによる医師の画像診断を支援する人工知能(AI)と、超音波を用いた早期治療法の開発だ。最終的には、AIが画像を撮り、診断までの全工程を完結できるシステムに成長させたいと考えている。診断から治療、その後の経過観察に至るまで、同じ患者を一貫してフォローアップし続けられることも、大きなメリットの一つとなる。

 東さんは、「私たちの仕事は、女性のさまざまなライフステージに寄り添うものでありたいと思っています」と開発に込めた想いを語る。

 超音波を用いた検査は、妊娠している可能性のある人、放射線の影響が気になる人など、幅広い女性の不安に応えることができる。また、超音波による侵襲性の少ない早期治療は、より早くもとの生活に戻ることを可能にする。さらに、これらが実現すれば、質を維持した診断と治療が、場所を問わず行えるようになる。

 また世界的な動向を見ると、乳がんの罹患率と死亡率は、開発途上国において特に高率となっている。世界の乳がん罹患者と死亡者の半数以上は、ともに開発途上国の女性たちであるとの報告も出されており、地域偏在が課題とされる。東さんらの開発する技術が、国内外の医療サービス体制が行き届かない地域においても、早期発見と治療の一手となり、世界規模の課題の解決へ貢献する未来にも期待したい。

理想の未来への展望を語る東さん。自身は、興味のあること、自分の内から湧き上がる想いに従い、行動し、それが今を切り拓いてきたと話す。
理想の未来への展望を語る東さん。自身は、興味のあること、自分の内から湧き上がる想いに従い、行動し、それが今を切り拓いてきたと話す

 ライフスタイルや価値観の変化が著しい昨今。「これからは、人生のいろいろな選択を実現できる社会に変わっていくことでしょう。それを支援する技術を開発していきたいと思います」と未来を展望し、意欲をにじませる。

 さまざまな体験を糧に、「自分の内側から自然にわき出てくる想い」を大切にし、先入観なく取り組んできた、と歩みを振り返る東さんは、誰もが自分らしく生きられる社会の実現へ、物づくりからアプローチしていく。発明に込めた信念が、自信とともに伝わってきた。

東志保(あずま・しほ)
Lily MedTech代表取締役CEO。
電気通信大学を2005年に卒業し、日立製作所に入社。退社後、米国アリゾナ州立大学へ留学し、航空宇宙工学修士課程を修了。国内2社に勤務した後、2016年5月にLily MedTechを設立。

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