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「科学成果しっかり地球に」諏訪さんと米田さん、宇宙飛行士正式認定

2024.11.21

草下健夫 / サイエンスポータル編集部

 宇宙飛行士となるための基礎訓練を受けてきた諏訪理(まこと)さん(47)と米田(よねだ)あゆさん(29)を飛行士として正式に認定したと、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が発表した。JAXAの飛行士認定は2011年以来13年ぶりで、月面の活動も視野に、将来にわたり宇宙開発を支える人材となる。会見した2人は「科学成果をしっかり地球に届けたい」「若者に宇宙の魅力を伝えたい」と、喜びや意気込みを語った。飛行士候補に選ばれた昨年2月の会見で、志望動機などを熱く語っていた2人。訓練の成果をよどみなく語り、その後の成長をうかがわせた。

宇宙飛行士に正式認定され、会見する米田さん(左)と諏訪さん=先月23日、東京都千代田区
宇宙飛行士に正式認定され、会見する米田さん(左)と諏訪さん=先月23日、東京都千代田区

月探査「アルテミス」見据え、意気込み

 前職は諏訪さんが世界銀行上級防災専門官、米田さんが日本赤十字社医療センター外科医。応募者4127人の中から飛行士候補に選出され、米田さんは昨年4月、諏訪さんは同7月にJAXAに入職。理工学や国際宇宙ステーション(ISS)の知識、サバイバル技術、運動、語学、取材対応などの訓練を国内外で受けてきた。JAXAの現役飛行士は2人が加わり、7人となった。2010年に15日間の初飛行をした山崎直子さん(53)が翌年に退職して以来、女性の不在が続いていたが、米田さんの認定により復活した。

 2人はさらに米航空宇宙局(NASA)ジョンソン宇宙センター(テキサス州ヒューストン)を拠点に訓練を継続する。今後、国際的な調整によって具体的な飛行計画が決まれば、それに応じた訓練を開始することになる。

 認定証は先月21日、2人に渡された。2日後に都内で行われた会見で、2人は晴れ晴れとした表情を浮かべ登壇。冒頭で諏訪さんは「宇宙開発はISSから探査の時代へと、過渡期にある。商業の参入もある。変わる環境に適応しつつ貢献できる飛行士を目指したい。しっかりと科学的成果などを創出し、地球に届けたい」、米田さんは「(国際協力で月を探査する)アルテミス計画の下、人類が月、そして火星に向かう中でどう活躍していけるかしっかり考えたい。若い世代に宇宙の魅力や、一生懸命取り組むことの楽しさを伝えられる飛行士になりたい」と決意を語った。

「無重力、想像と違った」訓練の苦楽を振り返る

 基礎訓練を振り返り、印象的なものとして諏訪さんは、飛行機の飛行の工夫で短時間、機内に無重力状態を作って体験する「パラボリックフライト(放物線飛行)」を挙げた。「ISSで飛行士がふわふわ浮いている映像を見て想像するのと、実際に体験するのとは結構違い、本当に不思議な感覚だった。飛行機の天井に腹を向けて、無重力のときにぐるっと回る動きをした時、天井が急に床になった感覚があり、非常に面白かった。ISSではこれがずっと続いているのだと、想像力をかき立てられた」

ロボットアームに関する訓練は国内のほか、カナダや米国でも受けた=今年9月(JAXA、カナダ宇宙庁、有人宇宙システム提供)
ロボットアームに関する訓練は国内のほか、カナダや米国でも受けた=今年9月(JAXA、カナダ宇宙庁、有人宇宙システム提供)

 米田さんは、宇宙船内の急減圧を想定した訓練を語った。「急減圧による低酸素症は、苦しく感じないまま認識能力や色覚がだんだん落ち、意識を失ってしまうことがあるが、これは知らないと気づけないと感じた。座学で聞くだけでなく自分の体で感覚を知っておけば、すぐ対応できる。実際に訓練でき、興味深かった」という。

 一方、諏訪さんが困難を感じたのは、飛行機操縦に関する訓練。「交信と操縦のどちらがおろそかになっても駄目で、まさにマルチタスクだった」。米田さんはロボットアームで、「限られた台数のカメラを操作し、アームの動きが捉えやすいカメラを認識するのに時間がかかった。ISSは90分で地球を1周するので、明暗(昼夜)が45分で繰り返される。そのため見やすい時も見にくい時もあり、難しかった」と語った。

 2人は一緒に訓練を受け続けた。諏訪さんは米田さんについて「理解が早い。座学でも私とは違った観点の質問が多く、経歴が違うので非常に興味深かった」と、米田さんは諏訪さんを「緊急対応の訓練でどんなケースでも落ち着いていて、救われた。人が集まると場が温まり、笑いが起きるような側面も持ち、コミュニケーション能力をたくさん学んだ」と、互いをたたえ合った。

「米国人以外で初」日本人が月面へ

ゲートウェー(右)と、地球との往復に使う有人宇宙船の想像図(NASA、アルベルト・ベルトリン氏提供)
ゲートウェー(右)と、地球との往復に使う有人宇宙船の想像図(NASA、アルベルト・ベルトリン氏提供)

 2人が将来の活躍を期待されている重要な舞台は、アルテミス計画だ。米国がISSに続く、大規模な国際宇宙探査として主導。1972年のアポロ17号以来となる有人月面着陸を目指す。月上空の基地「ゲートウェー」を建設して実験や観測を行い、将来の火星探査も視野に技術実証を進める。日本は2019年に参加を決定しており、欧州やカナダも加わっている。

 日米は今年4月、アルテミス計画で日本人2人が月面着陸することに、正式に合意している。日本が有人月面探査車を提供する一方、米国は日本人の着陸を「なるべく早期に」実現するよう考慮する。同計画で米国人以外の月面着陸は、日本人が初めてになるという。実現すれば、諏訪さんと米田さんを含む、JAXA飛行士のいずれかが月面に立つ。2人の基礎訓練では月面探査の素養を身に着けるため、地質学の野外実習も行った。なお2人には初飛行も含め、ISSのような地球低軌道の基地などに向かう機会もあり得る。

 月探査をめぐり、諏訪さんは「技術開発が進むのを間近で見ながら訓練を受けられ、本当に幸せ。月を目指すことには科学的意義があり、それ自体がわくわくすることでもある。自分ができることを考えつつ、訓練に励みたい」、米田さんは「月に行くには何が必要か、改めて考えさせられている」と、それぞれ語った。

月面で活動する飛行士の想像図(NASA提供)
月面で活動する飛行士の想像図(NASA提供)

月面を日本車が走る日「待ち遠しい」

 日本がアルテミス計画で提供する有人月面探査車は「ルナクルーザー」。月面を走って探査しながら、車内で飛行士2人が30日ほど生活できる。半世紀前の米アポロ計画で使われた探査車がバギーのような非与圧型だったのに対し、ルナクルーザーは車内でシャツで暮らせる与圧型。トヨタ自動車が本格開発を進め、ISSの日本実験棟「きぼう」開発などの実績を持つ三菱重工業なども連携している。

 ルナクルーザーについて、諏訪さんは「モックアップ(模型)の中を見て、知恵とアイデア、日本が培ってきた技術が詰まっていると感じた。実現までには技術的課題があるが、楽しそうに開発に取り組まれていて本当に心強い気がした。月面を走る姿を想像するとわくわくする。シミュレーターの体験も面白かった」と語った。

 米田さんは「飛行士が滞在しやすいようにと、すごく考えられている印象を受けた。内部の空間などの制限があり、飛行士が滞在するためにいろいろな課題がある中で、開発者の皆さんが、培ってきた技術だけでなく、新たな可能性を深く考えていたのが印象的。JAXAや企業の方が一緒に、宇宙開発を盛り上げていく意気込みを感じた。待ち遠しく、もちろん運転してみたい」とした。

(左)開発中のルナクルーザーの縮小模型、(右)モックアップの車内。四畳半ほどで、飛行士2人が暮らすという。いずれも昨年11月、「ジャパンモビリティショー」でトヨタ自動車が展示した
(左)開発中のルナクルーザーの縮小模型、(右)モックアップの車内。四畳半ほどで、飛行士2人が暮らすという。いずれも昨年11月、「ジャパンモビリティショー」でトヨタ自動車が展示した

きっかけは「科学博」「向井さんの伝記」

 諏訪さんは1977年、東京都生まれ。茨城県つくば市育ち。米プリンストン大学大学院地球科学研究科修了。青年海外協力隊のルワンダ派遣、世界気象機関(WMO)を経て、2014年に世界銀行に入行した。アフリカの気候変動や防災に関する取り組みに従事した。

会見する米田さん
会見する米田さん

 飛行士候補に選ばれた昨年2月の会見で、諏訪さんは「飛行士は本当に小さい時からの夢。いくつかの体験を通じ、思いが強くなっていった」と振り返っている。「おそらくその最初は、小学3年生の時に近所(現在のつくば市)で科学博が行われ、両親にねだって何回も連れて行ってもらったこと。科学や宇宙にまず興味を持った。そして、小学5年でアポロ17号の船長に会ったこと」。その後も、秋山豊寛さんが1990年、旧ソ連の宇宙船で日本人で初めて宇宙に行ったできごとや、毛利衛さんが92年、日本人として米スペースシャトルに初搭乗したことを通じ、「宇宙に行った人が語る言葉の重み、キラキラしたものに惹(ひ)かれ、飛行士になりたい考えを新たにしていった」と話した。

 海外で開発に深く関わる中で、宇宙開発の成果を世界の国々でもっと感じるようになるべきだとの思いを強めていった。「日本がリーダーシップを取ることに(自分が)貢献できるとの思いもあり、飛行士選抜に参加した」という。

 一方、米田さんは1995年、東京都生まれ。京都市育ち。東京大学医学部卒業。同大医学部付属病院(東京都)を経て2021年に日赤医療センター(同)に入職し、虎の門病院(同)に派遣されるなどした。

 米田さんは昨年2月の会見で、飛行士を志すようになった経緯について「父からもらった飛行士、向井千秋さんの伝記の漫画を読んだ。宇宙から地球を眺めて感動する姿に大きな感銘を受け、飛行士の職業を知るきっかけになった。医師の経験を、宇宙空間での人体の変化に生かせると考えた」。JAXAが飛行士募集を発表した日、気持ちが高まっていたところ、勤務先の病院からの帰り道に人々が月食を眺める光景に遭遇した。「月はみんなが見つめ、憧れる所。いつも優しい光を地球に届け、見守ってくれている。私も挑戦したい」と、決意を固めたという。

「肩の力抜いて」再挑戦実った諏訪さん

会見する諏訪さん
会見する諏訪さん

 ちなみに諏訪さんは2008年、前回の飛行士募集にも応募したものの1次選抜で不合格に終わっており、再挑戦が実っている。訓練を始めた昨年7月、筆者は「自己評価で、何が合否を分けたと思うか」と尋ねてみた。すると「難しい質問」と面食らった様子を見せながらも「この13、14年間、与えられた場で仕事を一生懸命してきた。また今回は前回に比べ、本当に肩の力を抜いて受けられた。正直、それほど期待値が高くなかった。年齢も行っていたし。ただ、自分がやってきたことを全力でぶつけ、後悔のないようにとの心持ちで受けた。それが結果として良かったと思っている」と教えてくれた。

 地球から38万キロ離れた月面へと、人類が最後に降り立ったのは、1972年12月。それから実に半世紀以上、有人飛行は地球上空の数百キロにとどまってきた。あえてヘソ曲がりな言い方をすると、地球の大気という薄皮のほんの外側で、しかも船外活動を除けば宇宙船や宇宙基地の中に“引きこもり”、実験などを続けてきた。ISS計画を国際協力で継続できた成果を糧に、再び月面の荒野に立つことで、有人宇宙開発は一気に「探査」の性格を強め、新しい次元に突入する。宇宙大国の米国にとってもブランクが長く、日本としては未踏の領域。これまでの飛行士とは、活動が質的に大きく変わる。終始和やかだった今回の会見とは裏腹に、命の危険が伴うことも忘れてはならない。なぜ月へ? なぜ日本人が? 月面に降り立つ日、私たちは大いに沸くだろうが、そこから何を感じ、学び取れるかが大切だろう。

会見終了時に撮影に応じる米田さん(左)と諏訪さん
会見終了時に撮影に応じる米田さん(左)と諏訪さん

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