日米両政府は、米国が主導する国際月探査「アルテミス計画」で、日本人2人が月面に着陸することに正式に合意した。日本が有人月面探査車を提供する一方、米国は日本人の着陸を「なるべく早期に」実現するよう考慮する。同計画で米国人以外の月面着陸は、日本人が初めてとなる。日本の科学技術の歴史的到達点となると同時に、将来にわたる月面開発に道を開く探査車の開発と運用を委ねられるなど、重い責務を負うこととなった。
日米首脳「日本人が月面着陸する初の非米国人に」
岸田文雄首相とバイデン米大統領は日米首脳会談で、日本人の月面着陸などを盛り込んだ共同声明を取りまとめ、「日本人が月面に着陸する初の非米国人になるとの共通の目標」を発表。合わせて訪米した盛山正仁文部科学相が日本時間10日、米航空宇宙局(NASA)のビル・ネルソン長官と、有人月探査の実施取り決めに関する文書に署名した。
アルテミス計画は、米国が国際宇宙ステーション(ISS)に続く大規模な国際宇宙探査として主導。1972年のアポロ17号以来となる有人月面着陸を目指す。月上空の基地「ゲートウェー」の建設を進めて実験や観測を行い、将来の火星探査も視野に技術実証を進める。日本は2019年に参加を決定。欧州やカナダも参加する。20年の文科省とNASAの共同宣言、22年の日米首脳会談などを通じ、日本人着陸の機運が高まっていた。
同計画の有人月面着陸の初回は「アルテミス3」と呼ばれ、NASAは2026年9月の実現を目指している。その後も着陸を繰り返す。これに先立ち、有人月周回飛行「アルテミス2」が来年9月にも行われる。日本人の着陸時期は未定だが1人目が28年、2人目は32年を目指すとされる。
なお米説明責任局(GAO)は昨年11月「必要な準備期間を考慮すると、アルテミス3は2027年に実施される」との見方を提示。NASAは今年1月、それまで25年末としていた目標を26年9月に延期した。そもそもNASAは28年頃を構想していたが、トランプ政権の強い意向でいったん24年に前倒しされた過去もあり、今後も変更の可能性はあるとみるべきだろう。
日本が提供する月面探査車は「ルナクルーザー」。月面を走行して探査しながら、内部で飛行士2人が30日ほど生活できる。米アポロ15~17号(1971~72年)で使われた探査車が運転席むき出しの非与圧型だったのに対し、ルナクルーザーは車内でシャツで暮らせる与圧型。トヨタ自動車が本格開発を進め、2031年の打ち上げを目指すとされる。開発には、ISSの日本実験棟「きぼう」開発などの実績を持つ三菱重工業なども連携する。ネルソン長官は「米国はもはや、単独で月面を歩くことはない。われわれは新しい探査車で画期的な発見をし、人類に利益をもたらす」と期待を語った。
宇宙技術と信頼、積み重ねた日本
月面着陸の決定は、日本が宇宙先進国として高い水準に到達していることを象徴するできごとだ。有人技術とそれによる国際的な信頼を40年にわたり、地道に積み重ねた結果といえる。
日本人初の飛行士は1985年に3人が選ばれ、訓練を開始した。その1人の向井千秋さんを筆者が取材した際、当時の状況を「NASAから見れば『仕方ない、1人連れていくか』というレベル」と回想してくれたのが印象に残っている。92年に毛利衛さんが、機体の運用に直接関わらない科学者の立場で、米スペースシャトルに日本人として初搭乗。日本はシャトル搭乗を通じ、その後も宇宙実験の水準を高めていった。3人に続いて選ばれた若田光一さんが96年、機体を運用する立場での搭乗にこぎ着けた。
なお日本人初飛行を果たしたのはTBS記者(当時)の秋山豊寛さん。旧ソ連で宇宙飛行士となり1990年、商業飛行の形で実現している。
日本が技術を飛躍させた舞台はISSだ。宇宙大国の米露に比べ、ノウハウを持たなかった日本が厳しい技術条件を満たして2009年、ISSの実験棟「きぼう」を完成させた。ISSへの物資補給機「こうのとり」を09~20年、全9回にわたり無事に飛行させた。
きぼうは米国棟などに比べ不具合が少なく、棟内が静謐(せいひつ)で各国飛行士の評価が高い上に、船外実験や衛星放出の機能も備え、ISSに欠かせない構成要素となった。こうのとりはロボットアームで捕捉してISSに結合、分離する新方式を初めて採用。この方式の安全性の高さを実証し、米国の民間補給機2機種がこれに倣った。こうのとりのISS接近時の通信システムも米民間補給機が採用している。
ISS船長に、若田さん(2014年)や星出彰彦さん(21年)が就任。日本人飛行士は地上でも活躍し、NASA管制室で飛行士と直接交信するCAPCOM(キャプコム)を務めることが多く見られるようになった。飛行士育成や管制などの運用技術、管理ノウハウを高めてきた宇宙航空研究開発機構(JAXA)のチーム力も大きい。
こうのとりを打ち上げたH2Bロケットにみられる輸送技術、また月周回機「かぐや」の成功(2007~09年)や、記憶に新しい「スリム」の月面軟着陸(今年1月)といった宇宙科学の技術も世界の評価を高めてきた。
得意技術を磨き「欠かせない国」に
そして日本人が月に立つ。月面に至るまでのロケットや宇宙船は他国に頼るため、アポロのような一国の独力ではない。しかし国際協力が前提の計画であり、日本が不可欠かつ重要な存在と認知されての実現だ。当然、向井さんが回顧したような黎明(れいめい)期の“連れていってもらう”状況とは本質的に異なる。
決定の背景には、人種や性別など属性の多様性「ダイバーシティー」を重視する気運の世界的な高まりも感じられる。若田さんがISS船長に就任(2014年)した際には、「日本はISSへの貢献度が大きいわりに、欧州(09年)やカナダ(13年)に比べ就任が遅すぎた」とささやかれた。政府関係者のこれまでの外交努力も大きかったに違いない。
一方、月上空の基地「ゲートウェー」への日本の貢献は(1)居住棟への環境制御・生命維持システム、熱制御機能、カメラの提供、(2)居住棟などへのバッテリーの提供、(3)物資補給機の運用――が求められている。いずれも日本の得意領域といえる。ルナクルーザーの開発も、自動車産業の強い日本が本領を発揮する展開だ。日本が一国で全ての有人技術を網羅することはハードルが高すぎるにせよ、有人宇宙活動に欠かせない複数の得意技術を今後も磨いていけば、不可欠の国として将来にわたり世界に貢献でき、結果的に外交上の地位も高まるだろう。
到達点が高ければ、課題もまた大きい。巨額を投じ、日本人は何のために月面に行くのか。これまでも期待が高まり、当事者の動きなどが報道されてきたが、話の大きさのわりに国民的な盛り上がりは今一つだ。有人宇宙活動が将来にわたり実を結ぶためにも、科学技術や産業経済、外交、文化といった多彩な側面で、これから議論が深まることが望まれるだろう。
月の極域の水を採取し、太陽電池で水素と酸素に電気分解すれば燃料として、将来の月面開発や火星飛行に使えるとの期待が高く、月探査の意義の一つとして説明されている。一方、研究者の中には「資源として利用できるほど、水はないのでは」といぶかる声も聞かれる。これまでの月探査の議論はやや“皮算用”の側面があるともみられ、厳しい検証を重ねながら活動を進めるべきだ。
アルテミス計画の進捗に伴い、有人活動の関心はISSのような地球低軌道から月、火星へと拡大していくだろう。一方、今後はISSの実績を踏まえ、低軌道の宇宙基地は民間主導で発展すると期待される。3月末でJAXAを退職した若田さんは、米宇宙企業「アクシオムスペース」のアジア太平洋地域の飛行士兼最高技術責任者(CTO)に就任した。低軌道の活動の重要性が色あせることはない。
日本人は古来、文学などを通じて月を見つめ、感性を研ぎ澄ませてきた。月に降り立った際の第一声は果たして、どんなものになるか。今から楽しみでならない。
関連リンク
- 文部科学省「国際宇宙探査(与圧ローバによる月面探査の実施取決めの署名について)」
- 米ホワイトハウス「FACT SHEET: Japan Official Visit with State Dinner to the United States」
- NASA「NASA, Japan Advance Space Cooperation, Sign Agreement for Lunar Rover」(英文)
- NASA「Artemis(アルテミス)」(英文)
- 米説明責任局「NASA Artemis Programs:Crewed Moon Landing Faces Multiple Challenges」(英文)
- トヨタ自動車「ルナクルーザー」
- JAXA「国際宇宙探査の取り組み」
- JAXA宇宙科学研究所「SLIM PROJECT」