日米欧などの国際月探査で活躍が期待される日本の有人月面探査車「ルナクルーザー」の研究開発中の内部を、トヨタ自動車が一般公開した。自動車などの最新技術の展示会に、検証用のモックアップを展示したもの。来場者は運転のシミュレーション体験などを通じ、近未来の“日の丸月面車”の世界に一足早く触れた。実現すれば次世代の有人月面探査の主役となるだけに、現状を一目見ようと来場者が列を作っていた。
自動車+有人宇宙技術で本領発揮へ
ルナクルーザーは月面を走行して探査しながら、内部で宇宙飛行士2人が30日ほど生活できる車両。米国が主導する国際月探査「アルテミス」計画での利用を目指している。米アポロ15~17号(1971~72年)で使われた探査車が運転席むき出しの非与圧型だったのに対し、こちらは車内で船外用宇宙服を脱いでシャツで暮らせる与圧型。宇宙航空研究開発機構(JAXA)との共同研究などを経て、トヨタが来年にも本格開発を開始し、2029年の打ち上げを目指す。開発には、国際宇宙ステーション(ISS)の日本実験棟「きぼう」開発などの実績を持つ三菱重工業なども連携する。
米航空宇宙局(NASA)は日本から有人与圧探査車が提供されることを期待している。自動車産業が強く、きぼうなどで有人宇宙技術も培った日本が、本領を発揮すべき展開ともいえる。遠からぬ将来、各国の飛行士を代わる代わる乗せた“日本車”が月面を疾走するのか注目される。
トヨタは先月26日~今月5日に都内で開かれた「ジャパンモビリティショー」(旧東京モーターショー)に、検証に使っている原寸大の車内のモックアップを持ち込み、来場者が中に入って運転のシミュレーションもできるようにした。
飛行士は車両の後ろの扉から出入りする。内部の壁は白が基調。気圧の調整や船外用宇宙服の着脱をする部屋を過ぎると、四畳半ほどの居住スペースがあり、運転席はその奥にある。筆者も予約をし、取材であることを伝えた上で15分ほどの体験に臨んだ。
VR大画面手がかりに、いざ発進
前面は大きなスクリーンになっており、月面の進行方向の様子が仮想現実(VR)で映写されている。安全に進める推奨ルートが道路のようにグリーンで、またステアリングによって進む方向がグレーの2本の太線で、それぞれ示される。車体のカメラが走りながら周囲を撮影。その情報をコンピューターが刻々と処理し、危険な岩場やクレーターといった障害物までの距離をリアルタイムでスクリーンに表示するという。速度や車体の姿勢なども示される。
車体の想像図や会場の模型にはフロントガラスのようなものがあるのに、映像を手がかりに運転するのは意外だった。その理由を、担当者はこう説明してくれた。「窓は走行のためではなく、飛行士の精神衛生のため。この窓では下の方が全く見えない。また探査が見込まれる南極付近では、太陽光がほぼ水平に来るため、進む方向が車両の影に入ると真っ暗で見えない。カメラで撮影してスクリーンに投影するのが一番、安全です」
運転席に座り、地上の管制員の合図を受け、いざ発進。操縦桿(かん)は左右にあるが、今回の体験では主に右だけを使った。桿を握った手の向こう側にアクセルのボタンがあり、押すとアクセル、離すとブレーキ。左右のステアリングは親指でレバーを操作して行う。逆走する際に押す「R」ボタンなどもついている。左の桿は、逆走時にスクリーンの視点を切り替える時などに使うようだ。
出だしはまずまず快走。基本的にはステアリングのグレーの線を、グリーンの推奨ルートの中に収める要領で進めばよさそうだ。進路が平坦だと時速10キロほどで進むという。ある程度のカーブもクリア。…が、ほどなく、左側の岩場がグリーンの領域にまで少しせり出している場所に差しかかり、車両を引っかけてスタック(身動きを取れなく)させてしまった。担当者の介助でいったん逆走し再挑戦するも、今度は右に舵(かじ)を切り過ぎてグリーンのルートを外れた。そうこうするうち、あろうことか、車両を横転させてしまったらしい。「あの、最初に戻りましょうか。抜け出させなさそうですので…」。担当者の声は心なしか、固まっていた。
思うように車両を動かせず、しまいには“ニッチもサッチもいかない”という心理状態に陥った。このような時こそ冷静に対処できる胆力が、飛行士には求められるだろう。いやそもそも、本物の飛行士はこんな事態は起こさないか…などと考えるうち、お時間となった。ペーパードライバー歴23年の筆者には、月面車はややハードルが高かったようだ。公道でリベンジしたくなった。
もちろんだが、体験した内容は研究開発段階のものであり、今後の開発で変わっていくことだろう。
獲得技術「社会にしっかり還元」
アルテミス計画は、米国がISSに続く大規模な国際宇宙探査として主導。1972年のアポロ17号以来となる有人月面着陸を、2025年にも実現しようとしている。月上空の基地「ゲートウェー」の建設を進めて実験や観測を行い、将来の火星探査も視野に技術実証を進める。日本は19年に参加を決定。20年の文部科学省とNASAの共同宣言、昨年5月の日米首脳会談などを通じ、日本人の月面着陸の機運も高まりつつある。
ルナクルーザーの本体は全長6、幅5.2、高さ3.8メートルで、マイクロバス2台分の大きさ。重力が地上の6分の1、気温120~マイナス170度、強い放射線といった過酷な環境から飛行士を守る性能が求められる。自動運転機能などを備え、無人でも活動できるようにする。月面ではGPS(衛星利用測位システム)が使えないため、自律して位置を推定し、障害物や勾配などをリアルタイムで把握して走る技術が必要だ。1日8時間、6日連続でオフロード走行できるよう、テスト車両を使い検証を進めているという。
同社の山下健・月面探査車開発プロジェクト長は7月の会見で、開発の狙いについて「技術の向上と人の成長を目指している。開発によって鍛える技術は2029年を待たず、地上の社会にしっかり還元したい」と強調した。具体的にはルナクルーザーの主な4つの技術、つまり離島や被災地でも役立つ再生型燃料電池、岩石だらけのような場所も走破するオフロード走行性能、自動運転、居住性や操作性などの「ユーザーエクスペリエンス(UX)」を挙げている。
四畳半に2人…ストレス解消は
日本人を含む飛行士が、月面でルナクルーザーを乗りこなす日が楽しみだ。一方、実際に車内に入ってみると、飛行士のストレス対策など、精神面のケアが大きな課題になるとも感じた。四畳半で2人が1カ月も暮らすのは地上ですら、しんどい。一歩外に出たところでコンビニも居酒屋もない、荒涼としたモノクロの世界だ。ちなみに、地球上空400キロにあるISSでは飛行士が半年交代で滞在を続けているが、サッカーコートほどの大きさで、狭いながらも個室がある。
ルナクルーザーでは飛行士のストレスを緩和しようと、地上との交信でカウンセリングをする仕組みや、スクリーンに地球の自然の風景を投影したり、運転席に向けて香りを出したりする仕掛け、体内時計に配慮した照明の工夫などを検討しているという。体験の終わりに担当者は「大きな課題は、複数の人が一つの所で暮らすこと。社会心理学などをベースに考えなければならない」と語ってくれた。
飛行士のストレスの問題は、UXの技術に含まれるだろう。山下氏は「地球から遠く離れ、限られた狭い空間で極限状態に置かれた人に、安心で快適な移動や、パブリックとプライベートを両立させた健やかな生活を提供したい」としている。車内の限られた空間で、どのように解決を図っていくのか。米国が国際協力で2030年代に目指している有人火星探査の実現性にもつながる問題であり、注目していきたい。
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2019年以来4年ぶりとなったジャパンモビリティショーは、東京モーターショーから改名したもの。自動車以外の乗り物関連の業界からの出展も得て、475社・団体が参加し東京ビッグサイト(東京都江東区)で開催し、11日間で約111万人が来場した。出展者は次世代電気自動車や燃料電池車、自動運転、空飛ぶ車、人を乗せる移動ロボットなど、社会や暮らしを変革する乗り物の未来をアピールした。
関連リンク
- トヨタ自動車「ルナクルーザー」
- JAXA「国際宇宙探査の取り組み」
- NASA「Artemis(アルテミス)」(英文)
- ジャパンモビリティショー2023公式サイト