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エムポックスの隔離終了を合理的に決めるモデルを開発 名古屋大など

2024.09.26

長崎緑子 / サイエンスポータル編集部

 世界的な感染が懸念されるエムポックス(旧サル痘)の隔離期間を合理的に決めることができるシミュレーションモデルを、名古屋大学大学院理学研究科の岩見真吾教授(数理科学)やオランダ国立公衆衛生環境研究所(RIVM)疾病管理センターの三浦郁修主任研究員(理論疫学)らのグループが開発した。感染者が排出するウイルス量やその時間経過のデータを得てシミュレーションを走らせ、どれだけ感染伝播を抑えたいかを設定すれば適切な隔離期間が判断できる。他の人にウイルスを感染させるリスクが低いのに不必要に隔離してしまう期間を減らせる可能性がある。

エムポックスウイルスの電子顕微鏡写真(国立感染症研究所提供)
エムポックスウイルスの電子顕微鏡写真(国立感染症研究所提供)

主な感染経路にアフリカの齧歯類

 臨床の視点で研究に携わった国立国際医療研究センター国際感染症センターの石金正裕医師(臨床感染症学)によると、エムポックスは、DNAウイルスであるオルソポックスウイルス属モンキーポックスウイルス(エムポックスウイルス)が引き起こす感染症。通常6~13日の潜伏期間を経て、発熱などとともに発疹が出る。多くは2~4週間程度で自然に治るが、免疫力の弱い患者や高齢者は重症化リスクが高い。

 1958年にデンマークのコペンハーゲンにある血清学研究所の実験動物であるカニクイザルが天然痘のような感染症を起こしたことが哺乳類初の報告であり、「サル痘」と呼ばれた。しかしヒトへの感染を起こすのは主にアフリカに生息するリスやネズミの仲間である齧歯類。感染症法上の名称は2023年5月から「エムポックス」に変わった。

8月にWHOが再度の緊急事態宣言

 ウイルスは遺伝子の差異によってコンゴ盆地型(クレードⅠ)と西アフリカ型(クレードⅡa及びⅡb)の2系統に分類される。ヒトへのエムポックス感染は、1970年にザイール(現在のコンゴ民主共和国)で初めて確認された。2022年には欧米を中心に感染者の報告が相次ぎ、世界保健機関(WHO)は同年7月23日、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言した。

 日本でも同月25日の1例目が確認され、緊急事態宣言が1年足らずで終了するまでに約200人感染した。現在、遺伝的に違うグループに分けられる「クレードⅠb」の感染がアフリカ中部のコンゴ民主共和国で拡大中。WHOは今年8月14日、アフリカ以外にも広がる恐れがあるとして再び緊急事態宣言を出している。2024年9月24日時点で、アフリカ以外でも、スウェーデン、タイ、インドからアフリカへの渡航歴のある患者からクレードⅠbの感染例が報告されている。

エムポックス感染症患者の皮疹(左)と膿疱(エムポックス診療の手引き第2版より)
エムポックス感染症患者の皮疹(左)と膿疱(エムポックス診療の手引き第2版より)

 基本的な感染経路は、感染した人や動物の皮膚の病変・体液・血液との接触。性交渉をはじめとした粘膜を介した接触での感染頻度が高い。直接の接触がなくても、新型コロナウイルス感染症時に「濃厚接触者」とされたような、感染者と接近して長時間飛沫にさらされた人では飛沫感染する可能性も一部では報告されている。感染者の病室の空気からウイルスが検出された報告はあるが、実際に空気感染を起こした事例の確認はまだない。

個人差のあるウイルス排出期間

 感染症対策として、米疾病予防管理センター(CDC)では、感染者に対して皮膚病変の改善まで約3週間の隔離を推奨している。名古屋大学の岩見教授らは「隔離終了が早すぎたり、不必要に長引いたりしているか検証できないか」と考え、疫学の知見をもつRIVMの三浦主任研究員らとシミュレーションモデルを組むことにした。

 シミュレーションには、論文などでウイルス排出期間や排出量についてある程度分かっている欧州の90人のデータを用いた。感染者がPCR検査で陰性となり、ウイルスを排出していないと判断されるまでの期間は23~50日程度の範囲と推定された。ただ、主成分分析を行うと、90人は平均のウイルス排出期間が30.1日の「低い伝播リスクの感染者」(71人)、同42.7日の「高い伝播リスクの感染者」(19人)の2群に分かれ、個人ごとにウイルスの排出期間が大きく異なることが示された。

エムポックス(Mpox)感染者が排出するウイルス量の変化。ウイルス量は、コピー数で表す。細胞培養実験で定めた「感染性閾値」とPCR検査で陰性となる「検出下限値」の指標がある(名古屋大学の岩見真吾教授提供)
エムポックス(Mpox)感染者が排出するウイルス量の変化。ウイルス量は、コピー数で表す。細胞培養実験で定めた「感染性閾値」とPCR検査で陰性となる「検出下限値」の指標がある(名古屋大学の岩見真吾教授提供)

3つのルールで伝播防止を検証

 隔離終了のルールによって、どれだけ伝播防止に効果をあげているか、一方で、他の人にウイルス感染を起こす心配の無い人を不要に隔離してしまう期間がどれだけあるかを検証した。ルールは(1)発疹などの症状が消失後に隔離を終了、(2)一定期間(約3週間)後に隔離を終了、(3)定められた回数の陰性検査結果で隔離を終了――の3つ。

 ウイルスが病変中などに1ミリリットル中100万コピー以上の濃度である感染者は他の人にうつす「感染性閾値」を超えるとし、隔離の早期終了リスクを5%未満に抑えるとした条件などでシミュレーションすると、不必要な隔離期間が(1)は15.1日、(2)は9.4日、(3)は5日間隔で3回連続PCR検査陰性なら7.4日と減った。

3つの隔離終了ルール(左)と、そのルールごとの隔離期間と隔離が不要だった期間の関係(名古屋大学の岩見真吾教授提供)
3つの隔離終了ルール(左)と、そのルールごとの隔離期間と隔離が不要だった期間の関係(名古屋大学の岩見真吾教授提供)

世界的なガイドライン確立に貢献も

 今回のシミュレーションで想定しているエムポックスウイルスは、2022年に流行ったクレードⅡb。現在、緊急事態宣言で想定しているのはクレードⅠbのウイルスで、致死率がクレードⅡbと比較して高いのではないかと懸念されているが、感染力や準備しているワクチンの効果はまだよく分かっていない。

 今回開発したモデルで、クレードⅠbの隔離期間などについては検証するためのデータも不足しているが、岩見教授は「臨床・疫学データや経験則に基づいて国ごとに採用した隔離基準を検証し、数理モデルに基づいた世界的に求められる柔軟な隔離ガイドラインの確立に貢献できるかもしれない」としている。

 研究は名古屋大学や九州大学、京都大学などが共同で、科学技術振興機構(JST)ムーンショット型研究開発事業と戦略的創造研究推進事業の支援で行い、8月26日付の英オンライン科学誌「ネイチャーコミュニケーションズ」に掲載された。

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