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西南戦争、銃弾の鉛から浮かび上がる新政府軍の優位 琉球大など分析

2022.01.11

草下健夫 / サイエンスポータル編集部

 西郷隆盛が1877(明治10)年、新政府への不満を募らせた薩摩の士族らを率い、熊本城を中心に新政府軍との間で激戦を繰り広げた西南戦争。新政府軍が鎮圧し、明治維新の仕上げとなったともいえる歴史の一大事件だ。そこで両軍が使った銃弾に注目したのが、琉球大学をはじめとする研究グループ。原料の鉛の産地を化学分析で裏付けたことで、日本史上最大規模の内乱で雌雄を決した背景が、改めて浮かび上がってきた。

西南戦争錦絵「田原坂(たばるざか)の大戦争」。新政府軍が、刀剣とともに鉄砲を盛んに使う様子が描かれている。田原坂(熊本市)は最大の激戦地となった(永島孟斎画、国立国会図書館提供)
西南戦争錦絵「田原坂(たばるざか)の大戦争」。新政府軍が、刀剣とともに鉄砲を盛んに使う様子が描かれている。田原坂(熊本市)は最大の激戦地となった(永島孟斎画、国立国会図書館提供)

鉛の同位体比、産地を物語る

 岩手大学で動物の影響による土壌の窒素の変動などを研究した溝田智俊さん(同位体化学)。2012年に定年退官して名誉教授となると「長年、興味を抱き温めていたことに気力と体力を向けたい」と、歴史上使われた鉄砲の火薬(黒色火薬)の化学研究を本格化した。やがて「発砲後はガスになって残らない火薬に対し、銃弾は土壌に残っている」と関心を広げていった。

 幕末から維新後にかけて薩英戦争(1863年)や戊辰戦争(68~69年)、西南戦争などが起こり、欧米から銃が大量に入ってきた。その弾には成型しやすく高密度という利点から、鉛が多く使われた。そしてこれらの弾は、当時の世界の鉛の流通を反映した史料とみることもできる。

 原子には、同じ元素でも中性子の数が異なる「同位体」が存在する。特に鉛は地殻変動などの影響を受け、同位体の含有比率「同位体比」が産地ごとに固有の値を示すことが知られている。そこで、銃弾の鉛の同位体比を調べ、世界各地の鉱山の鉛のものと比較すれば、一致する場所が産地と推定できる。鉛の同位体比は、外見や文献からは分からない銃弾の来歴を教えてくれるのだ。

世界各地の鉛鉱山の鉛同位体比。縦軸に質量数206の同位体に対する208の割合、横軸に同じく206に対する207の割合を取った(琉球大学提供)
世界各地の鉛鉱山の鉛同位体比。縦軸に質量数(陽子と中性子の数の合計)206の同位体に対する208の割合、横軸に同じく206に対する207の割合を取った(琉球大学提供)

 鉄砲が日本に伝わって間もない戦国時代の弾の鉛は、国内や中国、朝鮮、タイの鉱山のものと同位体比が一致するため、これらの地域に由来することが、過去の研究で分かっている。しかし時代が下り、西南戦争で新政府軍が使った弾の鉛は、これらとは同位体比が異なり、産地がはっきりしなかった。溝田さんによると、残された薬莢(やっきょう)などに「London」の文字や英国の製造業者を示す刻印があるものの、弾の鉛の産地が英国であるとは限らない。一方、薩摩軍の弾も未解明だった。西南戦争の前に薩摩藩に銃弾用の鉛のストックが大量にあったとの記録がある。藩内には鉛の鉱山がなかったというが、いったい、どこから調達したのだろうか。

外国物資の調達、新政府軍の有利がうかがえる

 そこで研究グループは、西南戦争の戦跡である山頭(やまがしら)遺跡(熊本市)から出土した、薩摩軍の7個の弾の鉛を新たに分析。新政府軍の弾は、別グループの研究で得られていた10個のデータを用い、それぞれアジア以外を含む世界各地の鉱山の鉛の同位体比と比較した。

 その結果、薩摩軍の鉛の多くが国内産である一方、新政府軍のものの多くが英国産とみられることを突き止めた。

西南戦争で使われた銃弾の鉛の同位体比。薩摩軍は国内産、新政府軍は英国産が多いことが判明した(琉球大学提供)
西南戦争で使われた銃弾の鉛の同位体比。薩摩軍は国内産、新政府軍は英国産が多いことが判明した(琉球大学提供)
西南戦争で薩摩軍はドングリ状の銃弾を「前装式」の銃に使用したという。写真はほぼ同型のもの(溝田智俊・岩手大学名誉教授提供)
西南戦争で薩摩軍はドングリ状の銃弾を「前装式」の銃に使用したという。写真はほぼ同型のもの(溝田智俊・岩手大学名誉教授提供)

 ちなみに、欧州で銃は弾を前から込める「前装式」が、丸い弾から、より射程の長いドングリ状の弾を使うものへと改良。さらに効率よく弾を銃の後ろから込める「後装(こうそう)式」へと急激に進化した。戊辰戦争の時期にかけ、国内にも輸入されていった。その後の西南戦争では、新政府軍が最新の後装式の銃を使ったのに対し、薩摩軍は依然として前装式だった。

 このことは菊池寛が西南戦争を描いた小説「田原坂(たばるざか)合戦」にも、次のように記されている。なお、作中の「口装式」は前装式、「底装式」は後装式を指すとみられる。

 「兵器は、薩軍の多くが口装式の旧式銃であるのに対して、(新政府軍は)底装式、スナイドル銃と云(い)うのを持って居(い)た。兵力兵器に於(おい)て差があり、官賊の名分また如何(いかん)ともしがたいのだから、薩軍の不利は最初から明白であったが、しかし当時は西郷の威名と薩摩隼人の驍名(ぎょうめい)に戦(おのの)いていたのであるから、朝野の人心恟々(きょうきょう)たるものであったであろう」

 そして今回の研究で、両軍の弾の鉛の産地もはっきりした。鉛が国産であること自体は、直ちに薩摩軍の劣勢を物語るものではない。ただ、「兵力や物量で圧倒的に勝る上に、外国の物資の調達ができるという、新政府軍の有利な状況がうかがえる」というのが溝田さんの見立てだ。

戊辰戦争、最新式銃の弾に国産も

 研究グループは西南戦争の弾だけでなく、戊辰戦争に各地で使われたもの、開国前に対馬(長崎)で鋳造されたものも同時に調べている。戊辰戦争では、約半数の弾の鉛が国内産だったとみられることが新たに分かった。当時の最新式の銃の弾も輸入に頼るだけではなく、国内でも作っていたのだ。

 また、開国前に作られた火縄銃の弾の一部に、英国産の鉛が含まれていた。幕府が清とオランダ以外との貿易を禁じていたにもかかわらず英国産が使われたことから、英国産の鉛が世界規模でかなりのシェアを握っていたことがうかがえる。

 19世紀には欧州諸国が産業技術を劇的に進歩させ、それを手掛かりに世界と盛んに交易し、進出を強めていった。日本国内で使われる鉛の産地が、戦国時代のアジア産から英国産へと変わっていたことからも、こうした世界情勢の一端が透けてみえてくる。

 研究グループは琉球大学、岩手大学、熊本大学、総合地球環境学研究所などで構成。成果は国際考古学誌「ジャーナル・オブ・アーキオロジカル・サイエンス:レポーツ」に昨年12月9日付で掲載され、琉球大学などが21日に発表している。

「総合知」で深める温故知新

西郷隆盛銅像。明治維新に尽力した後、西南戦争では薩摩軍を率い、新政府軍と戦うも敗れ自刃した。一国の歴史を動かした信義と度量の大きさは、独特の容貌と共に令和の今も慕われている=鹿児島県霧島市の西郷公園
西郷隆盛銅像。明治維新に尽力した後、西南戦争では薩摩軍を率い、新政府軍と戦うも敗れ自刃した。一国の歴史を動かした信義と度量の大きさは、独特の容貌と共に令和の今も慕われている=鹿児島県霧島市の西郷公園

 研究グループは今後も、さまざまな金属の史料に使われている原料の来歴の解明を進めるという。「長州藩の興味深い話を出したい」と溝田さん。また溝田さんの誘いを受け、鉛の同位体分析を担当した琉球大学理工学研究科博士研究員の相澤正隆さん(地質学)は「例えば下関戦争(1863、64年)や佐賀の乱(74年)の銃弾も集めている。一連の戦いで使われた銃弾の鉛の同位体比を調べていき、地質学の知見を歴史の理解へと、さらに生かしていきたい」と話している。

 相澤さんの研究対象は主に火成岩だが、鉛の同位体比分析を得意とすることや、郷里の北海道が舞台となった戊辰戦争の最後の戦い、箱館戦争(1868~69年)が対象に含まれることなどから、この研究への関心を深めたという。「従来の歴史学や考古学ではみえなかったものを、化学分析という理系の立場から明らかにしたいというのが、研究の大きなモチベーション。文理融合、総合知の一つの取り組みにもなった。鉛の同位体比をめぐって地質学の知見を活用したことで、人間が地質の資源を使っていることを再認識できた」と研究の醍醐味を語る。

 近年は同位体分析だけでなく、透過性の高い素粒子「ミュー粒子」(ミュオン)を使い歴史的な文化財を壊さずに内部の元素を突き止める方法などを通じ、人類の歩みや、先人の営みをひもとく興味深い成果が相次いでいる。科学技術により私たちがこれから、温故知新をどんな風に深めていけるのか楽しみだ。

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