サイエンスクリップ

古代日本が愛した幻の味よ再び 「あまづら」復元への挑戦

2021.01.04

草下健夫 / サイエンスポータル編集部

 芥川龍之介「芋粥(いもがゆ)」の冒頭、それはチラリと登場する。

 「五位は五六年前から芋粥と云ふ物に、異常な執着を持つてゐる。芋粥とは山の芋を中に切込んで、それを甘葛(あまづら)の汁で煮た、粥の事を云ふのである。当時はこれが、無上の佳味として、上は万乗の君の食膳にさへ、上せられた。従つて、吾五位の如き人間の口へは、年に一度、臨時の客の折にしか、はいらない」

 同作は平安時代の説話集「今昔物語集」を基にしており、芋粥を飽きるほど口にしたいと願った男の滑稽な顛末(てんまつ)を描いている。芋粥に使われる「甘葛」は、贅沢(ぜいたく)な甘味料として古代の日本人が味わい続けたものの、砂糖の普及とともに幻の味になってしまった。いったい何が原料で、どんな味がしたのだろう。答えを求め、異分野に飛び込んだ研究者が地道に謎解きを続けている。

「崩し字お手上げ」、文理融合研究へ

神松幸弘さん
神松幸弘さん

 神松(こうまつ)幸弘さんは立命館大学立命館グローバル・イノベーション研究機構の助教を務める研究者。専門は環境生態学で、主にサンショウウオの生態という。個人的な関心から、かつて住んでいた京都府向日(むこう)市内の街おこしの会の世話人をしている。そこで5年ほど前、芥川作品に出てくる芋粥が話題に上った。芋粥はお粥というより、デザートのようだという。「芋粥に使う甘葛とは、どんなものだろう」と話に花が咲いた。

入口敦志さん(立命館大学提供)
入口敦志さん(立命館大学提供)

 興味を抱いた神松さんは、古典籍の読み込みに自力でトライしたものの、崩し字が読めずにお手上げ。そこで「ネットで探して、人柄の優しそうな」国文学研究資料館教授の入口敦志さんに連絡を取った。快諾を受け、失われた古代の味を探る文理融合の共同研究が始まった。サンショウウオとは分野が全く違うようだが、「人間と自然の関係に興味がある。甘葛は食料資源であり、広くいうと環境生態学と強く関連している」と神松さん。

 甘葛は、古代日本で貴族の食事に欠かせない贅沢な甘味料だった。平安時代の法令集「延喜式」には甘葛が全国から都に集められたことや、唐の皇帝への献上品として贈られたことが書かれている。腐敗しないよう、煎じて濃縮して蜂蜜や水飴(あめ)のような粘り気のある「甘葛煎(せん)」として保存、輸送したという。

 清少納言の随筆「枕草子」に「あてなる(上品な)もの」として「削り氷(ひ)にあまづら入れて新しき鋺(かなまり)に入れたる」と、かき氷のシロップとして好んだことが記されるなど、多くの古典籍にも登場する。甘葛を使った料理には金属の器が使われており、極上品だったことがうかがえる。

 砂糖の輸入や国産化を受け、室町時代中期に消えたとみられている。「武家社会に甘葛は出てこない。消失の背景には貴族の没落もあったのではないか」と神松さん。原料ははっきりせず、江戸時代から断続的に研究されてきた。

「ツタ原料」通説への思い

 神松さんによると、甘葛の原料はツタであるというのが、これまで通説になってきた。きっかけは江戸後期の本草学者、畔田翠山(くろだすいざん)の「地錦(つた)の冬に葉が落ちた後の茎に溜(たま)れる甘汁なり」という記述だ。これを基に昭和初期、植物学者の白井光太郎氏がツタの樹液を調べ、サトウキビ並みの高い糖分が含まれていることを明らかにした。その後、1987年には福岡の薬草研究会がツタの樹液から甘葛煎を復元して反響を呼ぶなどして、「ツタ原料説」が定着していった。

 こうした経緯を知った神松さんは「ツタを使って甘みのあるものができるのは確かだとしても、ツタ以外は試されてすらいない。科学的に調べるなら候補を集めて比較しないと。甘葛の正体はまだ、分かっていないではないか」との思いを抱くようになった。

藤原清香「甘葛考」に描かれた甘葛の原料の植物(国立国会図書館蔵)
藤原清香「甘葛考」に描かれた甘葛の原料の植物(国立国会図書館蔵)

 江戸後期に本草学者の藤原清香(せいか)は著書「甘葛考」で、甘葛の原料が「野葡萄(ぶどう)」であり、その実の汁を煮詰めて甘葛を再現したと記している。後に白井氏は、ノブドウはあまり甘くなく「此説には従ひ難し」と否定した。ただ神松さんは「清香のいう『野葡萄』は、現代のノブドウを指していない可能性が高い」と指摘する。神松さんと入口さんが古い文献を読み進めるにつれ、ツタ以外を否定する解釈への疑問が深まり、さまざまな樹液を調べたいとの思いを強めていった。

甘みの強さ、持続性…種類ごとに個性

 甘葛の「葛」の字はつる性植物を意味することから、神松さんらは、過去の研究文献に記述され、原料の可能性があるつる性植物の樹液を、多彩に採取することにした。2017〜19年、樹液に糖分が蓄えられる厳冬期を狙って滋賀、奈良県、北海道の山中などに出かけ、各地で植物愛好家の協力を得ながら採取して回った。

樹液を採取する神松さん(左)=2017年2月、奈良県上北山村(立命館大学提供)
樹液を採取する神松さん(左)=2017年2月、奈良県上北山村(立命館大学提供)

 こうして得られた8種の樹液を調べた結果、ツタを含めノブドウ、ヤマブドウ、サンカクヅル、アマヅルのブドウ科5種から、メイプルシロップの原料にもなるギンヨウカエデを上回る高い糖分が検出された。3年にわたり採取し、結果は同じだった。

 通説のツタはショ糖などの糖分が多く、確かに優等生。一方、ヤマブドウを筆頭に他の4種も煎じると粘り気を持ち、甘葛の原料となる“資格”は十分ありそうだ。神松さんは試食した感想を「野生の樹液が砂糖のようにしっかり甘いことに驚き、感動した。そして、甘みの強さや持続性がさまざま」と語る。

樹液の糖分の比較。ブドウ科(左の5種)はいずれも、比較のため調べたメイプルシロップの原料にもなるギンヨウカエデを上回った。シラカバ、オニグルミ、サルナシも比較用(神松さん提供)
樹液の糖分の比較。ブドウ科(左の5種)はいずれも、比較のため調べたメイプルシロップの原料にもなるギンヨウカエデを上回った。シラカバ、オニグルミ、サルナシも比較用(神松さん提供)
作製したアマヅル(中央)とツタ(右)の甘葛煎。左の2つは比較のために作ったシラカバとギンヨウカエデのもの(立命館大学提供)
作製したアマヅル(中央)とツタ(右)の甘葛煎。左の2つは比較のために作ったシラカバとギンヨウカエデのもの(立命館大学提供)

 「ツタは最初は強烈に甘いが、その後にスッと引き、はかない。福岡の薬草研究会や奈良女子大学の先行研究がツタを『上品な甘さ』としているが、その通りだ。そしてアマヅルは口に含んだ時の甘みは穏やかだが、コクがあって、じんわり続く。蜂蜜が花によって随分風味が違うように、それぞれ個性があって面白い」

 神松さんらがツタの樹液を採取した際、茎を切断して20分ほどで流れなくなって極めて効率が悪かった。先行研究でも、人海戦術で大量に茎を伐採してわずかしか採れず、かなり苦労したという。「ツタの樹液を使うのは現実的でないと感じる」。アマヅルとサンカクヅルは採取の効率が良く、ノブドウやヤマブドウは今ひとつだった。

 神松さんは一連の調査と考察から「延喜式には甘葛が全国から集められたとあるが、広範囲から、ツタのみで安定した量を確保したとは考えにくい。複数の種類のつる性植物から採取されたのではないか」との見方を示している。

分野を超え、縦横無尽に進める面白さ

 2019年8月に京都市の立命館大学で、2020年2月には東京都立川市の国文学研究資料館で開かれたシンポジウムで、試食のため甘葛が振る舞われた。歴史や料理など多彩な関心を持つ参加者から「砂糖のように甘い」「和菓子屋だが、いつか再現した品を作りたい」といった反響があったという。神松さんと入口さんは2020年3月、これまでの成果を論文にまとめた(立命館大学環太平洋文明研究センター「環太平洋文明研究」第4号「古代の甘味『甘葛』の原料に関する考察」)。

甘葛をかけた、あてなる?かき氷=2019年8月、京都市の立命館大学(同大学提供)
甘葛をかけた、あてなる?かき氷=2019年8月、京都市の立命館大学(同大学提供)

 神松さんは一連の取り組みを「現代流の研究だと感じる」と語る。「今までの私の研究とは違い、甘葛にはネットや文献、人とのネットワークを手がかりに分野を超え、縦横無尽に進める面白さがある。料理屋さんと話すと、研究者には思いつかない意見が出てくる。一般の人、さまざまな職業の人とつながって成り立っている」という。

 その後は不幸にも、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で研究が停滞。再始動を期し、今月中旬から2カ月にわたりネットで研究資金を募るクラウドファンディングを計画している。目指す活動は(1)甘葛関連の古地名を持つ場所や、甘葛を採るための荘園だった場所の現地植物調査、(2)藤原清香「甘葛考」の現存する直筆の調査、(3)甘葛の生産やブドウ科植物の樹液利用を目指した研究――などを考えている。

 古代のものを追い求めることには大きなロマンを感じるが、神松さんは「それだけではない」と言う。「いろいろなものが手に入る現代だが、お金を出しても手に入らないものが時々、ある。それに惹かれ、追い求めることの魅力が大きい」。さらに続けて「伝統文化や昔のことには、常識として馴染んでいても、本当は分かっていないことも多いのでは。ちゃんと調べるとまた違ったものになるかもしれない。学問でとても大切なことだ」とも語る。

 3年前、筆者が「正月にぴったりのテーマ」と神松さんに初めて連絡を取った際には「記事になるような状況ではない」とのお返事だった。その後も原料の特定には至っていないものの、極寒の中を樹液採取に走り化学分析を重ねる一方、古典籍を丹念に読み解くという、甘葛煎のような?粘りのある取り組みにも、大きな魅力を感じる。この研究は甘いものではなさそうだが、多くの現代人の口に「あてなる」甘みが広がる日を心待ちにしたい。

左からツルアジサイ、アマヅル、ノブドウ、ツタ。右端は参考に入れたカラスウリ(立命館大学提供)
左からツルアジサイ、アマヅル、ノブドウ、ツタ。右端は参考に入れたカラスウリ(立命館大学提供)

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