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《追悼》未来の世代に「やり続ける大切さ」伝えた生涯研究者 LED開発でノーベル物理学賞を受賞した赤﨑勇さん逝去

2021.04.08

内城喜貴 / サイエンスポータル編集部、共同通信社客員論説委員

 青色発光ダイオード(LED)の開発に世界で初めて成功し、2014年に当時85歳でノーベル物理学賞を受賞した名城大学終身教授・特別栄誉教授の赤﨑勇さんが4月1日、肺炎のため名古屋市内の病院で亡くなった。92歳だった。

 LEDの発光素材としては難しいと言われた「窒化ガリウム」を研究材料に選んだ。粘り強く研究を続けたことで知られるが、受賞後、小中学生、高校生ら未来の世代を前に「何ごともやり続けること」の大切さを説き、「焦らず失敗しながら自分のやりたいことを見つけてください」と穏やかに語りかけた。生涯一研究者を貫いた赤﨑さんのその優しいまなざしを改めて思い出している。衷心よりご冥福をお祈りします。

故赤﨑勇氏(名城大学提供)

「LED開発は自分の仕事」

 赤﨑さんは鹿児島県の現在南九州市出身。鹿児島市で幼少期から高校生までをほぼ過ごした。京都大学理学部に進学し、1952年に卒業した。59年に名古屋大学工学部の助手となり、助教授を経て松下電器産業(現パナソニック)に入社。同社研究部門の半導体部長を務めた後、81年から名古屋大学工学部教授に就任している。

 LEDは赤や緑が1960年代にいち早く開発された。しかし光の三原色として欠かせない青は素材の結晶作りが難航していた。それでも「青色のLED開発は自分の仕事」と心に決め、松下勤務時代の70年代から研究を始めた。当時、扱いが難しいことから「発光材料としては困難」と世界の研究者が手を引いていた「窒化ガリウム」を選んだ。

 松下から名古屋大学に移り、そこで当時大学院生で、共同受賞した現在名古屋大学特別教授の天野浩さんと出会う。そして86年にまず窒化ガリウムの結晶化に成功した。さらに新技術事業団(当時・現在科学技術振興機構(JST))の研究支援も得てついに89年に青色LEDを実現した。この画期的な成果によって白色も含めて全ての色をLEDで出せるようになった。

 LEDは省エネ電力でしかも長寿命だ。このため世界に普及し、地球温暖化対策としても注目された。

 時は流れ、2014年10月7日夜。赤﨑さんは天野さん、別の方法で青色LEDを作った米カリフォルニア大学教授の中村修二さんとともに、ノーベル物理学賞を受賞するとの吉報がスウェーデン・ストックホルムから届いた。

 その3日後、訪問先のフランスから帰国した天野さんと名古屋大学で記者会見した時は「(窒化ガリウムのように結晶化が)困難な物質ほど安定させることができる」と淡々と語っていた。「(弟子の)天野君と一緒でこんなにうれしいことはありません」とも述べ、顔をほころばせた。困難な研究を決して諦めず、執念さえ燃やした面とは対照的な温和な人柄がはっきりとうかがえた。

ノーベル物理学賞を受賞した(左から)赤﨑勇さん、天野浩さん、中村修二さん=2014年12月10日、ストックホルムのコンサートホールでのノーベル賞授賞式(ノーベル財団のホームページから)

「若い時は人生のキャンバスにいっぱい余白」

 それから1年数カ月が経った2014年1月9日。JST創立20周年記念事業の一つとして赤﨑さんと、2012年にノーベル医学生理学賞を受賞した京都大学教授(iPS細胞研究所長)の山中伸弥さんとの公開対談が行われた。2人の傑出した研究者から若い世代にエールを送ってもらうことが企画の狙いだった。

2016年1月に開かれたJST創立20周年記念イベント「公開対談」で若い世代に語りかけるありし日の赤﨑勇さん

 赤﨑さんは故湯川秀樹博士が物理学賞を受賞した1949年に京都大学に入学している。「戦後間もなくの時期でまだ戦争の焼け野原が残っていた暗い世相の中でノーベル賞受賞はすごいことだと感じた。自分も誰もやったことがないことをやってみたいと思ったのです」。小中学生、高校生らが大勢参加した会場に向かい静かに回想した。

 窒化ガリウムの可能性を諦めなかったことについては「自分は絶対にできると考えていました。研究は楽観的にやった方がいいのです」。粘り強く研究を続ける大切さをしっかり伝えていたことを覚えている。

 会場の小学5年の男児から「好きなことばは何ですか」を聞かれると、「『経験は最高の師』です」。その理由を「失敗しても自分の糧になるからです」とその男児に優しく語りかけた。高校1年の女生徒が「専門分野以外でヒントになった言い伝えはありますか」と質問すると「天才とは1%のひらめきと99%の努力」というエジソンのことばを英語で紹介し、粘り強く汗をかきながら努力することの大切さを説いている。

 この時山中さんは「人間万事塞翁(さいおう)が馬」とのことばを引用して、どんなことがあっても前向きにとらえて考えることの大切さを伝えていた。

 公開対談の最後には「(科学には)まだ分かっていないことがたくさんあります。分かっていないことの方が多いのです。若い人が活躍できることは無限にありますよ」「若い時は人生のキャンバスに余白がいっぱいあります。焦らずに失敗しながらやりたいことを見つけてください」。静かで穏やかな口調ながら信念に満ちた、熱いメッセージを送っている。

「感謝の言葉しか浮かばない」と天野さん

 名城大学の小原章裕学長は「20 世紀後半、多くの研究者が挑戦し、成し遂げられなった高効率青色LEDを1989年に世界で初めて発明され、世界を照らす新しい光を実現されました」などと追悼のことばを大学ホームページに寄せている。

 そして天野さん。92歳の人生の幕を閉じた恩師への深い思いについて共同通信の取材に次のように語っている。「業績を数え上げたらきりがない。人並み外れた熱意をもって生涯研究に取り組まれた。研究者として、人間としてあるべき姿を教えていただいた。感謝の言葉しか浮かんできません」

赤﨑勇さんと山中伸弥さん(会場前方)からのメッセージを聞く、小中学生、高校生ら参加者(2016年1月9日、名古屋市内のホテルで)

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