レビュー

中小の洪水はあった方がよい

2015.12.18

小岩井忠道

 気候変動という新たな脅威に対抗するためには、自然現象を退治しようという考え方を改める必要がある-。9日開かれた港ユネスコ協会主催のシンポジウム「気候変動時代の水害と水不足」で、明治以降、特に太平洋戦争後に顕著になったハード優先の水害対策を、ソフト面も重視するバランスのとれた対策へ切り替える必要があるという声が、治水、水循環・水資源の専門家たちから聞かれた。

港ユネスコ協会主催のシンポジウム「気候変動時代の水害と水不足」
港ユネスコ協会主催のシンポジウム「気候変動時代の水害と水不足」

 ソフト対策を重視すべきだとする考え方は、パネリストの一人で今年の日本国際賞を受賞した高橋裕(たかはし ゆたか)東京大学名誉教授が40年以上前から提唱している。高橋氏は、知識偏重、解析万能の研究手法を批判し、実際に国内外の多くの河川で観察を重視する研究姿勢を貫いてきた河川工学者。この日のシンポジウムでも、ダムをたくさん造り、堤防を高くするなど「河川は氾濫させない」という明治以来のやり方を見直し、むしろ「中小の洪水は時々あった方がよい」という考え方に切り替えることを提言した。

 高橋氏によると、明治以後の人口移動によって、東京、名古屋、大阪など洪水が起きやすい場所に人が集まった。水需要を満たすために地下水をくみ上げることでゼロメートル地帯をつくってしまうなど、危険をさらに高めてきた。10年、20年の単位で見るとよかれと思ったことが、50年、100年という時間軸でみるとマイナスになっている。温暖化という脅威が加わった現在、治水はただ洪水を防げばよいということではない。人をどのように住まわせるかという都市計画と組み合わせたハード、ソフト両面のバランスがとれた対策が必要、と高橋氏は強調した。

高橋裕 東京大学名誉教授
写真.高橋裕 東京大学名誉教授

 もう一人のパネリストである沖大幹(おき たいかん)東京大学生産技術研究所教授からも、同様の考え方が示された。沖氏は温暖化問題を検討している「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)で、第5次報告書の統括執筆責任者を務めている。温暖化によって豪雨の危険が増すことを指摘し、温暖化を想定して被害をできるだけ少なくする適応策が重要であることを強調した。沖氏によると、20世紀には東京で1時間当たりの雨量が77ミリメートルという豪雨が100年に1度、82ミリメートルが200年に一度の頻度で起きていた。21世紀には気温上昇によってより激しい豪雨がより高い頻度で発生することが、これまでの観測データから推定できる。例えば84ミリメートルの豪雨が100年に一度という頻度で起きると予測されるという。

 「100年に一度起きる豪雨の雨量が77ミリメートルから84ミリメートルになっても、増加分は10%程度。誤差の範囲ではないかと感じる人もいるかもしれない。しかし、河川の管理をしている人たちからみると10%増えるというのは深刻な数字。とうとうと流れている時の水深が4メートルとか6メートルの鬼怒川では、水かさが20センチ増しただけで堤防が壊れた」

 沖氏はこのように温暖化による気候への影響を説明した上で、高橋氏同様、堤防強化などハード面の対策だけに頼る危険を指摘した。「水をためておくような施設の整備といったハード対策と、堤防は壊れることがあり得ると考えてソフト対策を組み合わせることが大事。早期警戒システムや避難といった…。鬼怒川の水害では堤防が切れたらすぐに40平方キロメートルにも及ぶ地域が浸水してしまった。こうした事態を招かないよう都市計画を組み込んだ二枚腰三枚腰の対策が求められる。堤防が切れても10平方キロメートルあるいは5平方キロメートルの浸水で抑えられるような」と沖氏は提言している。

沖大幹 東京大学生産技術研究所教授
写真.沖大幹 東京大学生産技術研究所教授

 治水担当部署と都市計画部署が一体となった対策を行政側に求めるのは、高橋氏も同じ。「50年先、100年先の日本の国土をどうするか、人の住まい方をどうするかを考えた対策が必要。非常に浸水しやすい地域は開発規制するといった」と高橋氏は提言する。ただし、こうした行政側の取り組みが簡単には進まないだろうというのもまた、両者に共通の懸念だ。

 地方公共団体は、建築基準法に基づいて条例をつくり、災害危険区域を指定することができる。風水害・津波・高潮の被害を軽減するために、区域内の建物の用途、地盤高・床高制限、構造などについて規制が可能だ。しかし、住民にそうした規制を納得させることは私有権なども絡み容易ではない。沖氏によると、実際に災害危険区域を指定して規制を実施している市町村は全国を見渡しても四つしかないという。

 武田信玄は甲府盆地を流れる釜無川と御勅使川の合流地点に信玄堤と呼ばれる堤防を築いた。その際、堤の上流側に神社をつくり堤が参道となるようにした。命令しなくとも住民たちが堤を大事にするように-。高橋氏はこうしたソフト面も重視した昔の大名たちの実例を挙げて、望ましい治水の姿を示した。

 温暖化による影響は深刻で、公的なハード対策だけに頼っては災害から身を守ることは困難。まずは住民の多くがそう理解しないことには、効果的な水害対策の実現は望めない、ということだろうか。

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