レビュー

産学連携でも先駆的な業績 ノーベル賞受賞の大村智氏

2015.10.14

小岩井忠道

 「1年で一番怖い日は、ノーベル賞発表の夜が勤務に当たった日」。あるマスメディアの外信部長経験者が冗談交じりに話していた時代も、かつてあった。ノーベル物理学賞の受賞者といえば毎年、素粒子研究者たちばかり、というころの話だ。外国通信社から入ってきた速報を訳してまず一報を書かされる。そんな役目にぶちあたった外信部記者の胸中は、ある年齢以上の同業者なら容易に想像できるだろう。

 青色発光ダイオード発明の業績に与えられた昨年の物理学賞に続き、今年の医学生理学賞も多くの日本人ばかりか、マスメディアの記者にとってもとりわけ幸せな結果ではなかっただろうか。受賞者の大村智(おおむら さとし)北里大学特別栄誉教授の研究業績は、医学の専門知識がほとんどない人々にとっても偉大さは容易に理解できたに違いない。さらに加えて、これまでの人生のエピソードに共感した人々も多かったと思われる。

 大村氏の開発した薬「イベルメクチン」によって、オンコセルカ症(河川盲目症)患者が激減した。大きな恩恵を受けた国の一つアフリカ・ガーナ共和国の村を、氏とともに訪れたこともある科学ジャーナリスト、馬場錬成(ばば れんせい)氏の著書「大村智 2億人を病魔から守った化学者」(中央公論社)からは、氏が製薬会社との産学連携の面でも先駆的な役割を果たしたことが、うかがえる。

 「イベルメクチン」については、既に多くの報道があるが、この著書にも効能の素晴らしが理解できる記述が多い。

 「イベルメクチンが投与される前、世界では年間数千万人の人々がオンコセルカ症に感染し、失明者を含めて重篤な眼病に罹患している人々は数百万人と推定されていた。失明の原因となっているミクロフィラリアの感染予防は、イベルメクチンを体重1キロ当たり150マイクログラム、年1回飲むことで達成される」

 「この薬剤は医師や看護師の助けを借りなくてもいい。人々は手渡された薬剤を服用すればそれでよい。体内に住みついているミクロフィラリアをことごとく殺虫して消滅させる。フィラリアの成虫を持っている患者には効かないが、新しい感染者を出さなければいずれ絶滅できる。WHO(世界保健機関)は400人から600人の集落ごとに配布責任者を決め、集団に年1回薬剤を配布して服用させる作戦を展開していた」

 こうした記述から、「2億人を救った」という書名に納得する読者も多いのではないだろうか。

 さらに興味深いのは、大村氏が長年にわたる共同研究のパートナーであるメルク社との交渉では、相当、タフな交渉人でもあり、結果的に主張の主要部分を相手に飲ませていることだ。加えて、その背景にはメルク社と、元メルク社幹部でもあった米国留学時の指導教授との深い信頼関係があることも。

 馬場氏の著書から再度、引用させてもらうと、メルク社は当初、イベルメクチンの特許使用料として3億円を提示した。しかし、大村氏は「売り上げに応じての支払い」を主張し、提示を蹴る。氏の主張が通り、北里研究所はメルク社から年平均約16億円の特許使用料の支払いを受け続けることになる。このとき、氏の依頼で交渉最終段階の仲介役を務めたのが、米国留学時の指導者で、その前にメルク社研究所長(副社長)でもあったマックス・ティシュラー米ウェスレーヤン大学教授ということだ。

 産学連携を、それも1970年代のはじめに名だたる海外の製薬企業との間に築いた苦労は並大抵ではなかったはずだ。馬場氏の著書には大村氏の次のような言葉も紹介されている。

 「慣れない法律の英語の文言を辞書と首っ引きで正確な解釈をやったことを覚えている。非常に苦労した」

関連記事

ページトップへ