「今だけ! 朝日新聞デジタルがたった月500円」。JR山手線のホームで大きな広告を目にした。購読料に月1,000円上乗せすると、パソコンやスマホでも新聞の記事が読める。そんな既存のサービスを、キャンペーン期間に申し込むと半額にするということらしい。
紙だけの媒体から、IT技術も活用した総合情報メディアにという戦略は、どの新聞社も相当前から掲げている。新聞社に限らず通信社、放送局も同じだろう。紙面をそっくりパソコンや携帯端末で見せるという試みも、IT技術利用の形としては当然だいぶ前からある。先駆的に取り組んだある新聞社の契約数がどのくらいあるものか、こっそり教えてもらい、仰天したことを思い出す。信じられないくらいの少なさだった。
「おいおい何年前の話をしているのか。IT技術が日進月歩の時代に」。そう言われると次の言葉に窮するが、この経験はいつまでも頭にこびりついて離れない。パソコンや携帯端末で読むニュースは無料。これは既に「覆水盆に返らず」に近い常識になってしまったのではないだろうか。新聞社がデジタル化と言ったところで、もうかるはずはない、という思いから抜けることができない。
「ハハーン。現行のサービスが思い通りの契約数を獲得できていないのか」。朝日新聞の大きな広告を見た最初の感想だ。
何を見込まれたか、通信社時代に新聞紙面以外のさまざまな媒体に映像、音声を含むニュース情報を配信する部署を任されたことがある。無い知恵を絞って、思いついたアイデアがあった。
太平洋戦争が終わった直後、日本のメディアはGHQ(連合国軍総司令部)によって外国への情報発信を禁じられていた。数少ない例外の一つが、通信社による船舶向けカナ文字(モールス)放送だ。これが無線ファクスによる電波新聞「共同ニュース」に発展する(1964年)。タブロイド判で最初は手書き、その後写植に替わって読みやすさは格段に向上する。
地球を取り巻く電離層で反射されるという短波の特徴から地球の反対側にいる船舶へも送信できる利点があり、今では政府専用機にもニュースを届けているという。役割は終えていないわけだが、配信先である日本籍の船舶数は1970年代から減る一方。さらに外国人船員の増加なども加わって契約数は減り続け、編集者が関わったころには既に採算が合わなくなっていた。といってやめられないならこいつを何か別のことに利用できないか、と考えたわけである。
通信社には、政府機関の一部である新華社、株の一部を政府が握っているフランス通信社(AFP)のような形態もあるが、政府から完全に独立している通信社の記事の方が信頼されるのは明らかだ。編集者がいた通信社も、全国の加盟新聞社を社員とする社団法人だった。通信社業務に必要な費用の大半を加盟新聞社が負担する、という仕組みである。
ならば、船舶向けの電波新聞紙面を全国の加盟新聞社にも活用してもらうのが、合理的ではなかろうか。無料で配信し、新聞社は購読者にパスワードを与えて自宅のパソコンからダウンロードし、プリントアウトしてもらう。これを小中学生の子供たちに読ませるもよいし、家族の誰かが会社や学校に持っていくのもよい。普通の家庭で2紙を購読しているところは珍しいから、二つ目の新聞として大いに重宝されるのではないか。青少年の活字離れを食い止めるのにいささかでも貢献したらそれはそれで、社会のためにもなる。
とまあ理屈も考え、現場に相談したら大いに乗り気になってくれた。とにかく同じ製品を全く競合しない別の配信先に提供するのだから面倒な問題はない。それになにより、わが方にはほとんど新たなコストが発生しないところがよい、と思ったものだ。
ところが、早々と思わぬ壁にぶち当たる。直接の担当現場以外、局内に賛同者がいないのだ。「こんなアイデアはどうか。わが方はすぐにも対応できるのだが」。全国の新聞社の担当者を集めた会議で話そうと思った目論見は、早々と挫折する。かくなる上は個別撃破で行こう。最も親しかった四国のある新聞のメディア局長が新聞協会の会議だったかで上京した折に打診したら、これまた全く関心を示してくれなかった。
洗剤などつまらない購読勧誘品よりよほど購読者に喜ばれ、役にも立つ付加サービスになるのでは—。説得にもまるで反応がなく、ここに至って、とうとうあきらめた。
ところで朝日新聞の8日夕刊に、次のような短いニューヨーク発の記事が載ったことに気付いた人もいると思う。
「米新聞大手ニューヨーク・タイムズが7日発表した2012年12月期決算は、純損益が前年の3,966万ドル(約37億円)の赤字から、1億3,317ドル(約124億円)の黒字となった。有料電子版の購読者が順調に伸び…」
有料電子版を新たに購読した人々は、何に引かれたのだろうか。