日本記者クラブで、米映画「消されたヘッドライン」(ケヴィン・マクドナルド監督、ラセル・クロウ主演)の試写を観た。ワシントン・ポスト紙を思わせる「ワシントングローブ」の記者たちが、巨大な民間軍事会社の“悪”を暴こうと命がけの取材活動を展開する。この民間軍事会社を議会の委員会で追及しようとしていた有力下院議員のスタッフが“変死”したことから、この下院議員がスキャンダルのにおいをかぎ取ったマスメディアから集中砲火を浴びて…。
こう説明すると、映画「大統領の陰謀」(アラン・パクラ監督、ダスティン・ホフマン、ロバート・レッドフォード主演、1976年)を思い起こす人がいるかもしれない。ニクソン大統領のスキャンダルをワシントン・ポスト紙の記者2人が執拗(しつよう)に追跡、ついに大統領辞任に追い込む有名なウォーターゲート事件に基づく作品だ。
「消されたヘッドライン」の舞台ももちろんワシントンで、ウォーターゲートビルもちゃんと舞台の一つになっている。ニクソン失脚の端緒となった窃盗事件が起きた民主党本部があったビルだ。ディープ・スロートのような政権中枢部の情報提供者は出てこないが、元民間軍事会社員の情報提供者は出てくる。映画の製作者は「大統領の陰謀」を十分意識しているようにも見える。最後の字幕でワシントン・ポスト紙が協力したことへの謝意が示されていた。同社内で、ロケでも行われたのだろうか。
「大統領の陰謀」に出てくる編集主幹だったか編集局長だったかも堂々たる貫禄で、政府高官から直接かかって来た電話に対する応答場面にえらく感服したことを思い出す。とりわけ、政府高官をファーストネームで呼んだことに。米国の大新聞が一番輝いていた時かもしれない。
あれから30数年たつ。映画の作りが違うのは当然だろうが、メディアのありようの変化もきちんととらえている細部に、感じ入る場面も多い。主人公のベテラン記者(ラッセル・クロウ)とコンビを組む若い女性記者は、新聞紙面に記事を書く記者でなく、ウェブ部門の記者である。「ウーム」という感じだ。有名人に対するスキャンダル追及がさらに激しくなっているらしいのは、日本と同じだろう。議員としての業績より私的な行状ばかりあげつらう新聞記者への不満をぶちまける下院議員。それに対する主人公の言葉ににんまりしてしまう。「公職にあるものの宿命だ」
女性編集局長役が、エリザベス英女王に扮した「クィーン」で2006年のアカデミー賞主演女優賞を取ったヘレン・ミレンだった。「そんな記事より新しい経営者に喜ばれるような売れる記事を書け」と、どなりまくるところなど迫力満点である。
さて映画の筋である。にがい勝利ではあるが、最後に勝つのは、権力にも財力にも縁のない新聞記者だ。映画としては当然の結末だろうが、最後のどんでん返しが、あまりに意表を突くもので、実はよく理解できなかった。“試写会仲間”である通信者時代の先輩、同期生と映画を観た後、一杯飲みながら感想を言い合う。2人も最後の急展開がわかりにくいという印象を持ったようだが、編集者よりはよく見ている。どんでん返しに至る伏線など筋の運びがなんとか理解できた。要するに主人公の記者同様、編集者も最後の最後まですっかりだまされていたわけだ。とはいえ、いくらなんでもなあ、という気分が残るのは、細かなリアリズムにこだわる小心な人間としては致し方ない。実話に基づく「大統領の陰謀」と、フィクションである映画を、リアリティがどうこうといって比較するのは、野暮というものだろうが。
ただ、米国の新聞については少々考えさせられたことがある。ロサンゼルス・タイムズやシカゴ・トリビューンなどを発行する米大手メディアのトリビューンが経営破綻したことについては、日本でも大きく伝えられたし、前に触れたこともある(2008年12月11日編集だより参照)。その後、ニューヨーク・タイムズも経営的に苦境にあるという記事を目にした。ワシントン・ポストはどうなのだろうか。
13年ほど前になるが、日本新聞協会が企画した視察団の一員として米新聞界の多メディア展開を駆け足で見てきたことがある。ワシントン・ポストも訪ね、新聞以外からどのような収益を上げようとしているのか、何人かの担当者の説明を受けたことがある。その中に当時、急激に業績を伸ばしていたインターネットサービス企業「AOL」にいち早く出資し、いまや大変な資産になっている、という話があった。米国の新聞社というのは、こんなことまでしているのか、と大いに感心したものだ。
AOLについては、その後破竹の勢いで大きくなって行ったが、タイム・ワーナーを買収したのが裏目に出て、一時の勢いを失ってしまったことはよく知られる。
ワシントン・ポスト社がその後AOL株をどう活用したのか知らないが、この金融危機の中で、このベンチャー投資の帳尻はちゃんと合っているのだろうか。