レビュー

防災にも格付けが必要か

2013.01.28

 「南海トラフの巨大地震への防災対策と社会技術」をテーマにしたシンポジウムが25日、東京都文京区の東京大学構内で開かれた。最後のパネルディスカッションではさまざまな意見が出されたが、防災に対する基本的な考え方の切り替えを求める発言に注意が引かれた。

 「防災をネガティブな印象で捉えることをやめて、価値を生み出すものと見る」。目黒公郎・東京大学情報学環・学際情報学府教授は、防災に力を入れることは地域の信頼性を高めることだから、環境保全と同じく社会に対する積極的な行動とみなすべきだ、と主張した。目黒氏が具体的な方策として挙げたのが、「格付け」である。例えば日本の企業は、依然として防災をコストとしか見ていない。債権や企業などに対して格付け会社が実施している「格付け」の対象に防災も含めることで、防災をきちんとやっている企業や病院の経営を後押しする効果が期待できる、ということのようだ。

 確かに東日本大震災でも、犠牲になった人のことは伝えられているが、助かった人のことはあまり取り上げられていない。努力した結果、被害を免れて人が圧倒的に多いにもかかわらず、防災関係者は批判されてばかりという現実がある。被害が少なくなればなるほど、防災関係者の努力は見えなくなるから、むしろ防災に力を入れることは無駄、と言われる。被害を減らした行為、努力に価値を認めないと、若い人が防災の分野に来なくなってしまうではないか、というのが目黒教授の指摘だった。

 リスクコミュニケーションに詳しい唐木英明・前日本学術会議副会長は、東日本大震災が起きる前、当サイトのインタビュー記事の中で次のように語っている。

 「人間には、ヒューリスティクと呼ばれる思考形態がある。直感的な判断をしないと命が助からなかったといった長い体験の中から得た知識と経験を総動員して、パッと答えを出す。そういうやり方を現実にはみんなやっている。ヒューリスティクの特徴は、まず危険という情報は絶対に無視しないということ。無視したら命が危ないからで、その代わり安全情報は命が危ないかどうかという点では全く意味がないから、ほとんど無視することになる」(2011年1月21日「信用できないアンケート結果」参照)。

 防災に努力したことによるよい結果には関心が向かず、起きた被害の方にもっぱら厳しい視線を注ぐ、というのは、普通の人間の問題解決法、経験則というわけだ。

 シンポジウムでは、南海トラフで近い将来起こる可能性が高いとされる巨大地震への対策を進めている高知県の防災担当者からも詳細な報告があった。「防災は試験問題と同じで難しい問題から始めたら零点しか取れない恐れがある。できるところから始めることが大事」「津波の高さに関わらず浸水の深さが1~2メートルになれば、ほとんどの人がまきこまれて亡くなる」「とにかく早く逃げることが大切」など、いくつかの基本的な考え方が示された。

 これらの指摘は、国の中央防災会議・防災対策推進検討会議の中心メンバーである河田惠昭 氏・関西大学社会安全学部長が、かねてから強調していることだ(2012年8月30日インタビュー記事「まず逃げましょう」参照)。

 東日本大震災を機に、防災に対する専門家、関係府省、自治体との間の議論が深まり、現実を重視したものになっていることは、今回のシンポジウムからもうかがうことができる。ただ、危険情報には飛びつくが安全情報はほとんど無視するという人間の思考形態(ヒューリスティク)は、簡単に変わらないと考えるべきだろう。

 合理的で実効ある防災の実現には、住民を含めた専門家、関係府省、自治体との地道な協同作業が引き続き必要、ということだろうか。

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