6日朝刊各紙に自民圧勝の世論調査結果が出て、与野党いずれもあわてている様子が翌7日朝刊記事からうかがえる。
「新聞報道を読んで、嫌になっちゃいました。自公で過半数とれるというんですね」。橋本徹大阪市長がさいたま市内の街頭演説でこう嘆いた、という朝日新聞の記事が分かりやすい。
連合山口の幹部が、「厳しい戦いだ。平岡さん(編集者注:山口2区候補者、平岡秀夫氏=民主前職)が『脱原発』と言えば言うほど、労組票が逃げるけえ」と頭を抱えている、という読売新聞の記述も目を引く。中国電力の原発建設計画で揺れる山口県上関町では民主党支持者の中にも原発建設を求める声があるから、閣僚を経験した民主党の前職も戦況は厳しい、という現状を伝える内容だ。
11月26日、都心で東京都市大学−早稲田大学共同原子力専攻主催のシンポジウム「福島原発事故後の原子力教育・人材育成のあり方」が開かれた。ビデオで基調講演をしたのは、前民主党衆院議員である。原発は必要と考える人だ。
「原子力ムラ」が一枚岩になって、原発反対の動きを封じこんできた、という指摘が福島原発事故以後によく聞かれた。しかし、この「原子力ムラ」を構成するのが誰かというのが、なかなか難しい。原子力を結構、取材してきたと考えている編集者のような人間でも、開沼博氏の著書『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』を読むまで、整理して考えることができなかった。
開沼氏の主張はよく知られているように、「原発を置かれる側・置かれたい側である原発立地地域」と「原発を置く側・置きたい側である国の原子力行政や原子力業界、あるいはそれを支える組合・組織」の双方に「原子力ムラ」があるとする。そして、それら二つの原子力ムラが原発を受け入れてきた、というのだ。
事故の直後によく言われた「原子力ムラ」は大体が後者、「中央の原子力ムラ」だけを指している。開沼氏が指摘するもう一つの「地方の原子力ムラ」については、マスメディアもうすうす知りながら、ずっとその実像に目を向けようとはしなかったのではないだろうか。「原発を置かれる側・置かれたい側である原発立地地域」を被害者か、少なくとも割を食っている地域、集団としてとらえる。そんな記事の方が書きやすいし、紙面に載りやすく、電波にも乗りやすい、と考えて…。
では、最初から原発を否定するような原子力報道は可能だっただろうか。編集者に関する限り、無理だったというほかない。政界、官界、産業界、学界だけでなく、国民全体「原発は即刻ないし速やかにやめるべき」という声は、相当な少数派としか思えなかったからだ。
通信社記者時代に、核燃料サイクル開発機構(現・日本原子力研究開発機構)から、情報公開委員会(機構外の人間で構成)の委員を頼まれたことがある。一般からの情報公開請求に対する機構の対応をチェックするのが役目だ。ある時、自治体に機構が支払わっていたお金の使途について情報公開の請求があり、これに応えるべきかどうかが議題となった。
この自治体は、機構の原子力施設がある自治体の外側に位置している。立地自治体なら受けられる電源三法などによる恩恵に浴していなかったので、機構自身の責任で支出されていたお金だった、と記憶する。確か「ケーブルテレビのケーブル敷設費用」に使わたのだが、こんな事実すら当時は公表されていなかった。もらう側の自治体に公表を望まなかった事情もあった、ということだろう。
「中央の原子力ムラ」を構成する原子力安全規制機関に透明性が欠けていたことは、政府の福島原発事故調査委員会報告でも指摘されている。しかし、透明性に欠けるというのは、中央、地方を問わず二つの原子力ムラに共通の問題ではないだろうか。監視役であるべきマスメディアの努力不足も責められるべきかもしれないが…。
では、透明性を高めれば、日本という国が原子力発電について後々の世代からも褒められるような賢い選択をできるようになるのだろうか。そもそも、国民の原発に対する多数意見は、今回の選挙結果にうまく表れるものだろうか。
各党党首、候補者たち、特に脱原発を唱えている人たちの心境が分かるような気もする。