レビュー

編集だよりー 2012年11月21日編集だより

2012.11.21

小岩井忠道

 公開中の映画「終の信託」を撮った周防正行監督(脚本も)と、元裁判官の原田國男弁護士の対談記事が、19日の毎日新聞夕刊に載っていた。「終の信託」で描かれた内容を基に、尊厳死について語っている。原田氏は、東京高裁判事として、延命治療を中止した医師が殺人罪で起訴された「川崎協同病院事件」(1998年)の控訴審を担当した方だ(判決は懲役1年6カ月、執行猶予3年)。「終の信託」は、この事件を下敷きにしたと思われる。各新聞の映画評や周防監督のインタビュー記事などで前から関心を持っていたが、この対談記事でようやくその気になり翌20日、品川プリンスシネマに出かけた。

 任意の事情聴取ということで呼び出しを受けた主人公の女医(草刈民代)が、検事(大沢たかお)の厳しい聴取を受けた挙句、検事の部屋で逮捕状を突きつけられる。手錠をはめられ、男女二人の検察事務官に挟まれて地方検察庁の廊下を歩く主人公…。そんなシーンの後、「殺人罪で起訴され、……懲役刑(執行猶予付き)の判決が出た」という字幕で終わるやはりすこぶる重い作品だった。

 俳優、スタッフなどを紹介する最後の字幕に協力医療機関や医療関係者らしい人の名がたくさん出てきた。病院内の描写が実に丁寧だったのも当然、と納得する。大沢たかおも、参考人や被疑者に対し圧倒的に強い立場にある検事の役を実にそれらしく演じていた。どこか頼りなげな感じもした「桜田門外ノ変」(佐藤純彌監督、2010年)の主人公を演じた時と、だいぶ印象が違う。俳優の力量もさることながら、司法関係者にも十分、取材し、協力を得てつくられた作品に違いない。

 周防監督は、「シコふんじゃった」「Shall We ダンス?」という作品で有名だが、これらは、多分、社会的な関心が強いとは言えない人々でも大いに楽しめる内容だろう。実際、どちらも大ヒットした。10年以上の空白期間をおいて次に撮った「それでもボクはやっていない」(2007年)は、痴漢と間違えられ、逮捕、起訴された青年が主人公だ。日本の刑事裁判のありように疑問を投げかけた作品と言われている。今回は、終末医療における医師の判断に司法がどこまで介入できるか、というより重いテーマだ。

 高齢社会を迎え、今後、多くの人に降りかかって来ると思われる深刻な問題ではある。とはいえ、考えるヒントを求め映画館に足を運ぶ人がどのくらいいるものか。映画館に向かう途中考えた。被疑者が警察官や検事にどのように扱われ、裁判官が被疑者の声にどのように耳を傾けるのか、といったことに関心を持つ人がどのくらいいるだろうか、とも。

 平日の午後という時間帯もあるのだろうが、やはり客は7.8人しかいなかった。

 なぜ、周防監督がより多くの観客を集めることが期待できる娯楽色の強い作品から、社会性の強いテーマを選ぶようになったのだろうか。今社会で起きていることには明らかにされていないことが多すぎる。新聞、通信、放送といった既存のマスメディアの報道だけに頼っていては、という思いが根底にあるような気がしてならない。実際、通信社に長年いた経験から言うと裁判所、検察庁というのは、一般国民に最も開かれていない機関ではないだろうか。マスメディアに対して一段も二段も高い所にいる。多分、多くの裁判官や検事はそう思っているだろうから、国民に奉仕する公務員という意識がどれほど強いか、疑わしい。

 11月7日、東京高裁は、東電女子社員を殺害したとされ無期懲役が確定していたネパール人のマイナリさんに無罪を言い渡している。逮捕されてから実に15年がたっていた。特に検察にとっては、再審の初公判で無罪を主張せざるを得なくなったという大失態である。既に帰国が許されていたマイナリさんに対し、しかるべき司法関係者はきちんと謝罪したのだろうか。

 裁判官、検察官の監視役にならなければならない大手メディアが、さっぱり期待に応えてくれない—。そんな思いをある時から周防監督は強く持ったように思えてならない。

 「ずっと取材していて、刑事裁判でやるべきこととそうでないことを、きちんと分けないといけないと思いました」

 毎日新聞の対談記事で、周防監督が言っている。この言葉もまた、医療に限らず、さまざまな事故調査などにも通用する指摘として、マスメディアがもっと強く、かつ繰り返し主張し続けなければならないことのように思えるが、どうだろう。

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