レビュー

編集だよりー 2012年9月22日編集だより

2012.09.22

小岩井忠道

 文化庁が発表する「国語に関する世論調査」(今年は9月20日発表)には、毎年、苦笑させられてばかりだ。多くの人が別の意味にとっている可能性の高い語ばかりを選んで、調査しているに違いない。とは思うものの、それまで何の疑いもなく誤用していた言葉が毎年必ずあるのに驚く。さらに問題は、取り上げられている言葉のほとんどに対して、意味を取り違えている人の方が多いという調査結果だ。誤用の方がむしろ社会に通りやすくなっているということは、正しい用い方をした人の方が誤解されたり、場合によってはばかにされたりしかねない。最初から、そうした言葉は使わないに越したことはない、ということだろうか。

 数年前の同じ調査で取り上げられていた言葉に「流れに棹(さお)さす」というのがあった。これも編集者自身、相当いい年になるまで逆の意味にとっていたものである。通信社に勤務していた当時、勤続20年と30年になった社員を表彰する制度があった。毎年、表彰式では代表者が謝辞を述べる。「報道機関の人間として、時には流れに棹さすようなことも…」。ある年、こんな言葉が出て来た。編集者はようやく正しい意味に気づいていたころだったし、めでたく30年勤続を迎えたあいさつの主は、よく言葉を交わす後輩である。

 「『流れに棹さす』というのは『流れに逆らう』ではなく『流れに乗る』という意味。永年勤続者代表のあいさつは社報などに載るだろうから、訂正しておいた方がよいのでは」。あいさつを終えたばかりの後輩に親切心で助言したら、先方はきょとんとした顔をしていた。

 さて、今年の「国語に関する世論調査」に取り上げられていた中に、「うがった見方をする」がある。48.2%の人が「疑って掛かるような見方をする」と意味を取り違えていた。「物事の本質を捉えた見方をする」と正しく答えた人は26.4%にとどまる。編集者などは、これら両方にもぴったり一致しない勝手な解釈をしていたから、さらに始末が悪い。「素直な見方ではないが、ひょっとして的を射ているような気もする」。その程度の自信しか持てない解釈や主張をする時に使う言い方とばかり思っていた。

 文化庁発表のあった翌々日、「表現の自由と検閲を知るための辞典」(インデックス・オン・センサーシップ編、明石書店)という本を図書館で読んでいたら、早速この言葉に出合い、タイミングの良さに苦笑する。

 「共和政時代のローマは監察官(censor)という仕事を創り出した。監察官は公衆のモラルを取り締まると同時に、住民調査(census)を行うのが、その仕事であり、監察官という名前の由来はそこにある。ローマ人はその仕事が内包する危険性に気付き、大変うがった疑問を呈した」

 筆者は、マイケル・グレードという英国のテレビ番組制作者だ。「うがった疑問」、すなわち多くのローマ人たちが抱いた「物事の本質を捉えた見方」とは何か。

 「Qui custodiet ipsos custodies ?」(だれが監視者を監視するのであろうか?)

 ちょっとした権力を持つと他人のやることを監視したがる。そんな人間の欲求は、今に始まったことではなく、紀元前の共和政ローマ時代にまでさかのぼる話、ということだろうか。

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