特定の人物を批判するつもりはないから、日時はあいまいにする。そもそも他人を批判するなどできはしない。NHKのラジオを聞いていたら海外特派員がある時の人についてレポートしていた。「○○では実績があるが、○○就任については国際的な知名度も低く役不足という声も聞かれる」という言葉に、この人も間違って覚えてしまったな、と苦笑する。実は編集者も40歳前後まで同じだった。
役不足というのは、もとは役者が実力より軽い役を振られたときに使われた言葉らしい。この海外特派員は無論、逆の意味にとっていたわけだ。文化庁が発表する「国語に関する世論調査」では、毎回、自分も誤用していたという例があり、あきれている。「役不足」は2006年の調査で挙げられていた例だ。正しく理解していた人は40.3%で、半数以上(50.3%)は、「本人の力量に対して役目が重すぎること」という反対の意味にとっていたという。
同じ年には「流れに棹(さお)さす」という例も挙げられており、こちらは正しい意味に理解していた人は17.5%しかいない。
さて、編集者にはほかにもひどい失敗談がたくさんある。労働組合の書記長(専従)を1年間やらされたときのことだ。編集者の所属する通信社の組合は執行部が全員、1年交代というルールが確立している。1年の任期が終わり、他の役員、中央執行委員とその後もよく飲んだものだ。多分、他の連中も「やれやれ経営陣に対し、これで心にもないことを言わなくてすむ」などと腹の中では思っていたのではないだろうか。
あるとき、いつものように飲んでいる最中、組織部長という重要な役目を担っていた同僚に言われて、えーっと絶句したことを思い出す。団交でしばしば、編集者が「そんな“一把一絡げ”に扱うのは許せん」など偉そうに何度も言っていたことを指摘されたのだ。「十把一絡げ」をそれまで、ずっと「一把一絡げ」と思いこんでいた、ということである。1年間、相手の経営陣も、こちらの組合仲間も知らんぷりして聞いていたのだろう。「間違っているけれどまあ言ってることは分かるから」と。
映画「沈まぬ太陽」が、毎日映画賞を受賞した。連日、日航の記事が紙面をにぎわしている最中である。原作者の山崎豊子さんをはじめ、この作品をつくった人たちの喜びが想像できる。主人公のモデルとなった元日航の組合委員長と面識はないが、昔から有名な人だった。映画を見て、1社員にここまでするか、という社の仕打ちにあらためて驚く。経営側も組合側も曲げられない主張というのはあるが、この辺でこの問題は手を打とう…。大方の労使交渉はそうした暗黙の“常識“あるいは“良識”が働いている、というのがわがささやかな組合活動の経験から得た実感だ。日航の労使関係というのは、だいぶ違っていたのだろうか。