日本で上演されるくらいの外国産ミュージカルは、大体よくできているに違いない。肝心なことより細かいことが気になる。そんな欠陥を持つ編集者には、もう一つしっくりこない作品もないわけではないが…。「どうしてここにこんな場面が入るのか」。2回見る機会があった「キャッツ」などは、話の展開にどうにも納得できないところがあって「心底、よかった」という気になれない。
NHKテレビで「我は勇みて行かん〜松本幸四郎『ラ・マンチャの男』に夢を追って〜」を観る。「同級生が制作した番組が放映される」。そんな連絡がフェイスブックで高校の後輩から届いたので、見逃さないよう時計に放映開始時刻をアラーム設定しておいた。「ラ・マンチャの男」自体が素晴らしいし、NHKの番組も実によくできている、と感心する。1985年につくばで開かれた科学博を取材していた時、某展示館のコンパニオンを帝国劇場まで誘い出して観たのが最初で最後だ。アルドンサ役が上月晃(故人)だったことと彼女の激しい踊りのほかは、覚えている場面がほとんどない。なるほどそういうことか、と教えられることも多かった。
「ラ・マンチャの男」の国内の公演回数は1,200回を超えたそうだ。国内で同じ俳優が演じたミュージカル作品としては最高記録という。しかし、日本で初演した時は、大成功とはいえない反響だったそうだ。最初から最後まで牢(ろう)獄の中の出来事、というのが、観客をとまどわせたのだろうか。本場のブロードウエイで松本幸四郎(当時は市川染五郎)が演じたのが、日本で再演の話が起きない前のこと、と知って驚く。幸四郎だけでなく、主人公を演じた世界各国の俳優に声がかかった、というのだが、興業主にとっては相当な冒険だったのでは、と感心する。チケットの売れ行き、評論家の評で各国の主役との優劣がもろに出てしまっただろうから、演じる幸四郎にとってもプレッシャーはとてつもなく大きかったことが番組でよく出ていた。
初演は1966年で、ベトナム戦争で落ち込んでいた米国人の心を奮い立たせることを狙って作られた作品、と知る。優れた作品が相応の評価を得るには、社会的な情勢に合っているかどうかが大きく影響するのだ、と感心、納得した。エンタテインメントとしてくくられる映画や演劇の世界と、報道(ジャーナリズム)との共通点、違いといったものをあらためて考える。
前日、25日の日経新聞夕刊に、俳人、池田澄子さんの「あんな日があって」という随筆が載っていた。小学6年生の時、「将来、天文学者になりたい」と思ったそうだ。しかし、一方で「天文学者にはならないなと確信した」というのである。「宇宙のことを詳しく知りたいのではない」と気づき「分からなさ、不思議さに呆然とする、そのことが好きなのだ」と意識したからだという。
これは一部ではあろうが何となく分かる気がする。宇宙のことなら何でも興味を感じる人と、そうでもない人がいるということか、と。編集者の場合、池田さんのように深く考えたりはしなかったが、宇宙というのはおそらくどこまで行こうと寒々として、およそ人間にとって心地よい場所などであるはずがない。物心ついたときに、そう確信し、今に至っている。通信社に入って2年目にアポロ11号の月着陸があった。その後、国産人工衛星の初打ち上げ、米スペースシャトルの初打ち上げ、シャトル「チャレンジャー」爆発事故、シャトル打ち上げ再開などの取材にもかかわる。特にシャトルの3つの出来事には取材現場の中心にもいたのだが、実は心躍るもの、心を揺さぶられるものはさっぱりなかった。人間が宇宙に飛び出したところで、結局、待っているのは寒々とした不毛の環境でしかないではないか、という気持ちがついて離れなかったからだろう。
当時、編集者の書いた記事にどこか気合いがこもっていないのを感じて不満な読者もいたとしたら、申し訳ないというほかない。
宇宙に対する微妙な感情を吐露していた池田澄子さんに「たましいの話」(角川書店、2005年)という句集がある。何年か前、年賀状を出す際、親しいけれどうまい添え書きが思いつかない人に、池田さんの句を書いておいたことがある。何の断りも付けずに。
「目覚めるといつも私が居て遺憾」
中には編集者自身の句と勘違いして、大いに感心してくれた人もいた。
池田さんにはほかにも何とも言えない良い句がたくさんあり、一つ選ぶのに苦労したものだ。
「けしからぬ地動説かな初日の出」などなど…。