レビュー

編集だよりー 2011年8月30日編集だより

2011.08.30

小岩井忠道

 小学生高学年のころ、毎年この時期になると気分が落ち込んだことを思い出す。学校に行かなくてならんのか、と。あっという間に夏休みが終わってしまうのが恨めしく感じられたものだ。学校の授業はともかく、児童会のような場でもっともらしいことを発言するのが実に苦手だったからだと思う。その弱点を担任の男性教師に突かれ、しばしば怒られたものだ。学級委員などというのも気が重いだけだった。「これまでやったことがない人になってもらった方が」。委員を逃げようと意を決して発言し、ただ担任教師にこっぴどくしかられただけに終わったこともある。

 今年の夏の思い出というと、ひょんなきっかけから、キリスト教に関する本を数冊読んだことだろうか。今や文筆家として有名な元外務官僚、佐藤優氏が序文や解説を書いている「新約聖書Ⅰ」「新約聖書Ⅱ」(文春新書)の中に目をむくような記述があった。

 「キリスト教徒にとって、この世の終わりは、決して恐ろしい出来事ではない。この世の終わりに人間は救済されるからである。…この世の終わりも、イエスの再臨も絶対あると信じるのがキリスト教徒なのである。ちなみに私もこの世の終末はかならず来ると信じている」

 このくだりに目がすい寄せられたのは、だいぶ前に在米の天体物理学者、近藤陽次氏(当時、米航空宇宙局ゴダード宇宙飛行センター国際紫外線衛星天文台長)に全く同じ言葉を聞いたことがあるからだ。ただし、近藤氏自身は多分、キリスト教徒ではない。氏の話は以下のようだった。

 米国人の科学者たちは宇宙の質量に大きな関心があり、それも質量が一定以上あってほしいと思っている。なぜなら質量がある量以上だと、宇宙の膨張はある時点で止まり、収縮に転じる。収縮し続けると宇宙はついに1点に凝縮し、爆発して終わるから。

 なぜ、そうなってほしいのかすぐには意味が分からなかったが、次の言葉に仰天する。

 米国の科学者にはキリスト教徒が多く、キリスト教にとってはこの世の終わりが来ないと困る。宇宙が膨張し続けずに収縮に転じてくれれば、最後に破滅してキリスト教徒だけが救済される、と信じているので…。

 この話は実に衝撃的だったので、通信社時代、別のところでも紹介したことがある。氏の大真面目な表情から冗談ではないと思ったのだが、氏の心の底にはキリスト教を信じる米国人科学者を揶揄(やゆ)する気持ちがあるのではないか、という思いがどうしても抜け切れなかった。佐藤優氏の記述に、近藤氏は真剣に話していたのだ、と気づいたというわけだ。

 佐藤氏は、「非キリスト教徒である日本人にとって重要なこと」として、次のように書いている。こちらも、大いに考えさせられた。

 「キリスト教徒につきあって、現代人の常識からすれば荒唐無稽(こうとうむけい)に思える終末やイエスの再臨を信じることではない。欧米人の発想の根底に『いつかこの世の終わりがある。この終わりが同時に歴史の目的と完成である』という刷り込みがなされているという現実を理解することだ。そして、このような終末論をユダヤ教徒もイスラム教徒も自明としている」

 これでは普通の日本人の宗教観の方が、世界の少数派ということかもしれない、ということではないか。宗教観に限らないかもしれない。中国人はどうなのだろう。日本人、特に科学記者で宇宙の話が好きな人は結構多いように見えるが、この人たちの宇宙好きは、欧米人と別の理由があるのだろうか。

 たった数冊の本でいろいろなことを考えさせられた。考えてみれば、小学生のころ、夏休みの終わりになると気が重くなった理由の一つは、家でゴロゴロ本を読んでいるのが楽しかったからかもしれない。

 「読書の秋」という言葉を久しぶりに思い出す。

関連記事

ページトップへ