レビュー

編集だよりー 2012年8月23日編集だより

2012.08.23

小岩井忠道

 休暇中にたまたまNHK国際放送を見たら、ブータンの家族を紹介し、幸福感というものを取り上げていた。ブータンはGNH(国民総幸福量)という独自の指標を設け、かつ国民の幸福を国の主要目標としていることで有名だ。ジグミ・ティンレイ首相が一昨年4月に来日した際、日本記者クラブで記者会見している。当然、GNHの話が主になったが、紹介する機会を失してしまった。

 幸福というのは人によってさまざま。その違いをきちんと整理して説明できるような代物ではない。そんな思い込みが強かった、ということだろうか。自分の仕事がうまくいくかどうかということと、気分の善し悪しがほとんど同調していた。高度成長期に社会人となった編集者のような人間にとって、ことさら幸福感とは何かなどと考える必要もなかった、ということだろう。

 内田由紀子・京都大学こころの未来研究センター准教授のインタビュー記事「幸福度とは」を掲載するに当たって、初めて幸福感あるいは幸福度というものが、研究テーマとしても重要なのだと思い知った次第だ。だいぶ前にサイエンスポータルに掲載した記事の中にも、幸福について重要な指摘があったのを忘れていたことにも気付く。

 「英国レスター大学の社会心理学者、エイドリアン・ホワイト教授が世界178カ国の国民の幸福度を調べた『幸福の世界地図』によると、1位にデンマーク、6位にフィンランド、23位に米国が位置する中で、日本は何と90位」

 鴨志田晃・東京工業大学ソリューション研究機構 特任教授、ソーシャルブレインフォーラム 代表が、2010年4月14日掲載の寄稿(オピニオン・「科学技術の視点から日本社会を再構築しよう!-スマートソサエティの創造に向けて」)の中で、日本に対する強烈な評価を紹介していた。

 また、小泉英明・日立製作所役員待遇フェローはインタビュー記事「脳科学で教育を変える」第6回(2010年7月28日)「『人々の安寧とよりよき生存』のための科学技術へ」で次のように語っている。

 「東京大学 東洋文化研究所が関係したアジア諸国の幸福感調査の結果でも、所得が低い国の方がむしろ幸福感が大きいという思いがけない事実が見いだされている。一般には、衣食住が満たされるまでの所得水準では、所得は幸福度とおよそ比例するというデータがあるが、それ以上の所得の段階では、個人差が大きい」

 要するに経済的に豊かになるにつれ幸福感も増すと言えるのは、衣食住が満たされるまで。その後は経済指標と幸福感にははっきりした関連はみられない、ということだろう。

 最近、「幸福の研究」(デレック・ボック著、東洋経済新報社)という本があるのを知り、読んでさらに驚く。著者は1971-91年という長期にわたって米ハーバード大学の学長を務め、さらに2006年から再度、短期間学長に復帰、というから米国でもとりわけ指導的立場にある法学者のようだ。06年の学長再登板は、米財務長官から学長に転じたローレンス・サマーズ氏(現・国家経済会議(NEC)委員長)が、「女性は元来科学者に向いていない」ととられる発言の責任をとって辞任したことに伴う。

 ボック氏は、この本の中で、幸福研究がこの35年ほどの間に精力的に進められてきたことを詳しく紹介し、研究結果が今では「ワシントンや他の政治中心地の政策立案者が普段用いている統計資料と、少なくとも同じくらい正確なものと考えられる」までになっていることを明らかにしている。

 日本で目下、最大の課題となっている原子力発電の是非を巡る論議の中でも、今のところ幸福感や幸福度指標といったものが大きな位置を占めているようには見えない。しかし、経済活動を何より重視する今までのエネルギー政策でよい、というわけにもいかないのではないだろうか。

 毎日新聞22日夕刊の「新幸福論 生き方再発見」欄に、体外受精に何度も失敗した後、米国で卵子の提供を受け男児を出産した野田聖子衆院議員が登場していた。1歳の長男は心臓疾患などを抱え「毎日、生存確認が必要なくらい」の厳しい状態にある。

 「ただ、息子が生きている、ということ。今日も生きてくれている、ということ。それだけですごくぜいたくな幸せです」

 また、野田氏は次のように自分の身に起きた変化を語っている。

 「人に好かれようというスケベ心がなくなったことでしょうか。…不思議なのは、『良いところを見せよう』『嫌われないようにしなきゃ』と思っていた昔よりも、今のほうが周囲と良い関係がつくれる気がすることです」

 そういえば、内田由紀子・京都大学こころの未来研究センター 准教授は、個人に対する絶対的な能力評価が普通に行われている米国などとの違いを、インタビュー記事の中で次のように指摘している。

 「日本的な幸福感は、他人との関係、周囲からの評価というのを抜きには考えられない」。ここで言う「周囲」とは、政治家にとっての選挙民といった大勢を指しているのではなく、まさに身の周りにいる職場の同僚や、友人、家族ということなのだろう。

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