優先度の高いものほど後回しにしたくなる。高校時代、期末試験などが近づくと無性に映画が見たくなったものだ。いまだにこの癖がある。年末でやることはいくつかあるのに神田の映画館に入った。「綴方教室」(山本嘉次郎監督)という古い映画で、主人公の小学生役を高峰秀子が演じている。
いつつくられた映画か予備知識なしに見たので、最後まで時代の見当がつかず気になった。小学校の教室が男女別だから戦後のはずはないとは思ったが、映画から戦争の気配が全く感じられないのである。後で昭和13年と知って合点がいく。しかし、こんな昔にこれほどまともな作品がつくられていたものか、と感心する。舞台は葛飾区四ツ木で、小学6年生の豊田正子が書いた作文を教師の大木顕一郎が本にしたのが原作だ。高峰秀子は当時14歳くらいだから、ほぼ同年齢、同時代の主人公を演じたということになる。
冒頭、荒川と綾瀬川が隣り合って流れる遠景シーンに続いて、川縁に並ぶ貧相な住宅群がアップになる。幼少時、これと大同小異の環境で育ったので懐かしい風景だ。雨が降るとすぐに家の周辺の道がぬかるみと化し、時にはひざ近くまで水がたまってしまう。わが生育環境はこれよりは少しましだったが…。ちょっと前にメキシコ大使館主催の催しで見たメキシコ映画「価値ある男」(三船敏郎主演)を思い出す。こちらは1961年(昭和36年)の作品である。作品で描かれた時代も「綴方教室」よりは新しいと思うが、何か似ているのだ。生活能力がなく飲んだくれの父親(徳川夢声)は、三船敏郎が演じる「価値ある男」のメキシコ人主人公を思わせる。三船の父親の方がより暴力的だという違いはあるものの。
「価値ある男」では三船の小さな息子が、父親に理不尽にも殴られ、鼻血を出しながらじっと我慢する場面があった。こちらは小学6年生の高峰秀子が清川虹子の母親にほうきでしつこくたたかれ、泣きながら謝るシーンがある。選ばれて本に載った作文の中に隣のおばさんが言った「けち」という悪口をそのまま書いてしまったことで、悪口を言われた近所の有力者一家を怒らせてしまったのが理由だ。有力者というのは、貧乏な父親が仕事を回してもらえる人物だったのである。それにしても、だからといって娘をたたくというのはひどすぎはしまいか。と今でこそ感じるが、この種のことは自分の周辺によく見られた光景だったとすぐ思い直す。
職がなくなった父親が自転車を盗まれたりする不幸が続き、ようやく回ってきた仕事に出かけたところ、金を払ってもらえなかった。「奴を殺してやる!」。刃物を持って家を飛び出した父親を母と娘が必死になってとめるシーンも既視感がある。
まあ、今の大方の若い親や子どもたちには信じがたい光景だろうが、こんな親もこんな目にあった子どもたちも、ある時期までの日本の庶民階級にはいくらでもいたということだろう。ある時代、ある階層のメキシコ人にもおそらく同じように。
久しぶりに食卓にご飯が出た日、貧乏でもひがむことのない高峰秀子が母親の一言に凍り付いたようになるシーンもあった。鈍感な編集者はすぐに分からなかったが、「お前が芸者になってくれたら」ということをにおわす言葉だったとしばらくして知る。それで最後のシーンの意味が納得できた。卒業式の後、作文を指導してくれた先生(滝沢修)と並んで帰る時、さらに、エンディングの主人公の表情がとても明るい。女子工員になっただけで、あれほど幸せに感じたということだったのだ、と。
映画の後、なじみの店に寄って一杯やりながら、同じ年頃かと思われる店の女性に聴いてみた。「高峰秀子が現金がないため券のようなもので米を買いに行かされるところがある。相当嫌そうだったけれど、あの券はなんだろう」。無論、答えが返ってくるわけはない。昭和13年では編集者同様生まれているわけはないから。