レビュー

編集だよりー 2012年4月25日編集だより

2012.04.25

小岩井忠道

 新幹線ができたおかげで出張がつまらなくなった、と思っている口だ。とはいえ昼、京都で京都大学の先生2人にインタビューして、夜、東京で立川志ら乃の独演会を途中からとはいえ聴く。そんなことも可能になったのだから、素直に科学技術の進歩と恩恵を認めるべきだろう。

 JR新橋駅で降りると、蒸気機関車前の広場で将棋名人戦の大盤解説が行われていた。挑戦者、羽生王位・棋聖の飛車が中段に成り返って入るのをちらっと見て、内幸町ホールに急ぐ。

 会場に着き、最初の噺(はなし)が終わったところで入場しようと通路で待っていた。しかし、なかなか終わらない。真打ち昇進が決まって張り切っているのだろう。ようやく拍手が聞こえてきたので入る。2番目の演目は、「笠碁」だった。

 相手の石を全て取ってしまおうとするような人間もいないわけではないが、碁ではバランス感覚が大事。ここは相手に譲ってもあちらでとりかえせばよい。しかし、将棋は、1、2度まずい手を指すと挽回は困難…などというまくらを聞いているうち、将棋の升田幸三氏と囲碁の有名棋士だったかが、昔やりあったという論争を思い出す。

 「将棋の駒は王将から歩まで階級がはっきりしていて封建的」。囲碁棋士の批判に「領土の取り合いで勝負する囲碁こそ、帝国主義と同じ」と将棋の棋士が逆襲した。確かそんな話だった。民主主義に勝る社会はない。ほとんどの人が全く疑いもなくそう思っていたころだから、著名人同士が大まじめでやり合って、またそれが話題になったということだろう。

 わが幼少時の思い出もよみがえってくる。囲碁と将棋の違いと言えば、将棋の方が明らかに庶民的だ。そもそも縦横9つのマス目を鉛筆ででも線を引いて作ったボール紙の“盤”と、当時は20円か30円で買えた安物の駒さえあれば将棋はできた。盤も石も貧乏人にはなかなか買えない囲碁との違いは、それだけで相当大きい。政界、官界、産業界の指導層を見ても囲碁好きの方がおそらく多いだろう。コンピュータソフトの完成度から見ると、どうも複雑さという観点からも囲碁に軍配が上がりそうだ。

 将棋派として、あえて将棋のいいところを探し出すなら、独創的な戦法を生み出す可能性、楽しみは将棋の方が上かも、といったところだろうか。碁は、先手の有利を補正するコミが時代とともに変化してきたように、勝ち負けがどうにも将棋ほどスッキリしていない。分かりやすさ、潔さをよしとする人間には、軽視できないどうにも気にかかる弱点のように見える。さらに、最近の高段棋士の風貌を比較すると、将棋の棋士の方がより知的な感じがする人が多いようにも思えるし…。

 さて、話を再び手元に引き寄せる。だれに習ったわけでもなく、無論、定跡など全く知らずに始めた将棋で、近所に好敵手がいた。こちらは小学校の低学年、敵は高学年か中学生だった。わが貧屋で一戦交え、首尾よく勝つと「お前の家は暗くて駒が見にくい」と負け惜しみを言って帰るのが常だった。確かに見るからに度が強いめがねをかけていたし、仮設住宅並みの家に住んでいた身としては黙って聞いているほかない。先方も似たり寄ったりの木造集合住宅住まいだから、どっこいどっこいではあったが…。

 笠碁を得意とする高名な落語家は何人かいたらしい。確かに登場人物は、そこそこの年齢のへたな碁敵である。年配の落語家向きの噺だろう。ただし、この噺は志ら乃にピッタリとあらためて感じた。聴くのはこの日が2度目で、へただけど負けず嫌いの2人が、「待ったを認めろ」、「認めない」でとうとう大げんかしてしまうまでのやりとりが、とにかく聞かせる。もともと若いころからとんがった感じがする志ら乃だから、自然にやっていてもつぼにはまっているということだろう。この2人が、碁ができなくなって、何とか仲直りできないかとそれぞれ身もだえするように悩むところが、それで余計に面白い。

 決心して片方が相手の家を訪ね、家に入るまでの双方の仕草でさらに大いに笑わせ、ようやく盤を挟む仲に戻って、すぐ、分かりやすいオチとなる。

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