「よく働いていると自分が思うほど、周囲は評価していないものだ」。化学会社に長年勤めた後、定年を待たず私立大学の教授に転じた叔父に昔、言われたことがある。いつまで通信社にいる気か。そろそろ次の人生を考えろ、という助言だった。
しかし、大学で何かを教えるなどという大それた考えは持ったことがない。工学部の4年生の時、「マスメディアで働きたい」と相談したら「それは面白い」と真剣に就職先を探してくださった恩師をはじめ、小学時代からお世話になった先生はたくさんいる。教育というのは、単に知識を伝えるのではなく全人格をさらすようなもの。昔から堅く思い込んでいるから、叔父の言葉は聞き流すほかない。結局、60歳まで通信社に居座ってしまった。最後の3年半などほとんどやることがないポストだったけれど…。
もっとも叔父に言われるまでもなく、自分が人一倍働いている、などと思ったことはない。実際にその通りだった。忙しい、と仮に感じた時があったとしても「忙しい」と自分で言ってしまってはお仕舞い。仕事をやったふりが得意な嫌なやつ、と周囲に疎まれるだけだろう。ずっとそう思ってきた。
ところが、である。石橋克彦・神戸大学名誉教授から送っていただいた新著「原発震災 警鐘の軌跡」(七つ森書館、科学のおすすめ本参照)を読んで、愕然(がくぜん)とした。頭をガツンとなぐられたような記述に出会ったからだ。石橋氏は地震学者の立場から、日本の原子力発電所の危険性を阪神・淡路大震災以後、ことあるごとに警告してきた。原子力安全委員会の分科会委員としても、同じ主張を繰り返し、結局、原子力発電推進の立場に立つ原子力安全委員会によって退けられるという苦い目にも遭っている。氏は現在、国会が設置した調査委員会の委員として福島第一原子力発電所事故の原因究明にあたっているから、この時の体験をどう調査報告に盛り込んでくれるか見物だ。
新著の中の問題の記述というのは、氏が1976年に駿河湾地震説を唱える前後の経緯を説明した「『駿河湾地震説』小史」という節の中にあった。その後、批判の声も聞こえるものの、日本の地震対策の基本は1978年にできた大規模地震対策特別措置法にあると言える。東海地震の到来が近いという想定と、広域・高密度の観測網による観測データから直前の予知が可能という前提に立って、東海地震の対応策を規定している。この法律ができるきっかけとなったのが、石橋氏が唱えた駿河湾地震説なのだ。
遠州灘が地震の空白域になっているとする通説は誤り、とある時、直感し、切迫している地震の震源域は駿河湾の奥深くまで入り込んでおり、地震の被害もより深刻になる可能性が高いというレポートを書き始める。書きかけのレポートを読んだ浅田敏・東京大学理学部教授(その後、地震予知連絡会会長などを歴任。石橋氏は当時、浅田研究室の助手だった)が、「これは大変なことだから早くまとめなさい」と言った。1週間ろくに寝ないで書き上げた手書きのレポートが5月24日の第33回地震予知連絡会の参考資料として配布される。ただし、この時は説明の機会はなかった…。
「頭をガツンとなぐられたような」というのは、こうした経緯を紹介した直後に出てくる記述だ。石橋氏は次のように書いている。
「5月以来、メディアはどこも知らないはずだった。ところが6月中旬頃、共同通信社の記者から駿河湾地震説を取材したいという電話があった。力武常次先生から聞いたのだという。浅田先生に相談したところ、信用できる記者だからていねいに説明してあげなさいといわれ、6月23日に2人の記者と大学で会った」
この2人の中の1人が編集者なのだが、今まで石橋氏に対する取材のほとんどは自分がやった、と思い込んでいたから世話はない。「こんな情報がある」と最初に科学部の先輩に相談したことと、その先輩が地震予知の大物学者に当たってこの説が非常に注目されていることを確認してくれたこと、加えて数回の取材を重ねた末に特ダネ記事として配信する際にも、この先輩に解説記事と、萩原尊礼・地震予知連絡会会長の談話を書いてもらったことなどは、きちんと覚えていたのだが…。
石橋氏の記述は、最初に取材を受けたのは、この先輩記者(その後、科学部長や論説副委員長になられた)と編集者の2人からで、さらに取材申し込みの電話もこの先輩からだったということを意味している。確かに編集者が最初に情報を得たのは力武常次氏(当時、東京大学地震研究所教授)ではなく、別の地球物理学者だったから、「力武先生から聞いた」と言って編集者が石橋氏に取材申し込みの電話をするはずはない。石橋氏の取材のほとんどは自分がやったというのは、編集者の完全な思い違いで、一番肝心な最初の取材からして先輩が段取りをつけてくれた、ということだ。
わが記憶というのは自分に都合のよい所だけを残し、後はいつの間にか忘れてしまうということか。大いに反省し、当サイトのオピニオンン欄に掲載中である仲真紀子・北海道大学大学院文学研究科教授の寄稿「被疑者取り調べ技術の科学化-PEACEモデルに見る情報収集アプローチ」を思い出す。仲氏は、刑事捜査における伝統的な尋問法である、重大化と矮小(わいしょう)化を巧みに組み合わせて自白を引き出す手法について書いている。被疑者を孤立させて不安にし、有罪の証拠をほのめかし、事件の重大性を説く(重大化)一方で、犯罪の原因は被害者や環境にあるなどとして事件を矮小(わいしょう)化し、被疑者のメンツを保つ(矮小化)という方法だ。
この手法も結局、真の被疑者だけでなく無実の被疑者をも「自白」させてしまう問題点を持つというのが、仲氏の指摘なのだが、そこで思った。
刑事や検察官の誘導尋問にかかって、ありもしないことまで自白してしまう。自分もそんなタイプの人間かもしれない、と。