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東日本大震災の後で、貞観地震(869年)時に東北地方の広い範囲にわたって大津波が襲来したことと、貞観地震並の巨大地震に対する備えの必要を一部の地質学者が事前に警告していたことが話題になった。非公式の席ではあるが、これについて文部科学省のある高級官僚は「地震学界全体の統一見解となっていたとはいえず、原発の安全規制に取り入れることは現実的に困難だ」と語っていた。
福島第一原発事故の前後にかかわらず、原子力の安全に関する発言は原発を推進してきた側からより、批判的な人々からの方が目立つ。しかし、原発事故の危険性を唱えるだけでなく、自ら原子力安全委員会の専門部会委員などになって安全規制の在り方を抜本的に変えようと行動してきた研究者はそう多くない。著者はその数少ない1人と言える。
研究者の社会的責任について明確な考えを持つ著者が最初に社会に向けて具体的に行動したのは、1976年の駿河湾地震説の公表だ。これによって大規模地震対策特別措置法ができ、東海地震に対する国を挙げて取り組む体制がつくられた。その結果、地震予知重視の地震対策に偏っってしまった、という批判も少なくない。しかし、著者はこの本の中で、「駿河湾地震説を積極的に唱えて学界や社会を動かそうとしたのは、地震研究者として当然の行為だったと今でも思っている」と明快に言い切っている。
原発の危険性についての著者の姿勢も同じだ。ただし、こちらは駿河湾地震説のようにはこれまで社会を動かすには至っていない。浜岡原発運転差し止め訴訟の関連でも、原子力の安全確保に責任を持つ科学者たちからほとんど無視されたことが紹介されている。1998年静岡県議会の委員会資料「石橋論文に関する静岡県原子力対策アドバイザーの見解」の中で、班目春樹氏(現・原子力安全委員長)が「(外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しなくなる可能性について)原発は二重三重の安全対策がなされており、安全にかつ問題なく停止させることができる」「石橋氏は原子力学会では聞いたことがない人」とコメントしているなど…。
原発の安全審査の拠り所となる「耐震設計審査指針」の改定を検討していた分科会においても活断層の評価について国土地理院が採用している「変動地形学」を活断層調査の基本に据えるべきだ、という著者の意見は取り入れられなかった。結局、分科会委員を辞任せざるを得なかったいきさつを紹介したくだりからも、安全規制の在り方に大きな影響を持つ大方の研究者たちの姿勢がよく分かる。
この著書の価値の一つは、地震列島に原発を建設し続ける危険性を繰り返し警告する論文、寄稿記事を、その公表期日を明記して収録していることだろう。阪神・淡路大震災を受けて、1997年に初めて「原発震災」という言葉を使い、原発が地震に対していかに危険な状態にあるかを詳述し「防災対策で原発震災をなくせないのは明らかだから、根本的には、原子力からの脱却に向けて努力すべきである」と提言したのをはじめとして。
福島第一原子力発電所事故に対する調査は進行中で、著者自身、国会が設置した調査委員会の委員として活動中だ。一般の人間が原発問題を考えるときに最も役立つ著書の一つと言えるのではないか。