レビュー

編集だよりー 2012年1月1日編集だより

2012.01.01

小岩井忠道

 朝起きると、いや朝に限らず四六時中、太平洋が望める。そんな丘陵地で幼少時を過ごした。日立製作所の発祥地だし、朝鮮戦争特需と言われた時期を挟んでいる。当時は銅線の需要増に設備増強が追いつかなかったので、人海戦術で対応するほかない。高校卒の求人活動で東北地方のすべての県を回った、と高校(旧制中学)の先輩で日立グループ企業の役員だった方に聞いたことがある。だから夜中でも動いていた工場もあったはずなのだが、夜ともなると家の周囲は実に静かだった。岸に打ち寄せる波の音がドーン、ドーンと寝床の中まで聞こえた。

 しかし、本当にあれほど大きく、腹に響くような音が波の音だったのだろうか。外の音ばかりか隙間風まで入るような家とはいえ、海岸からは2キロほど離れている。考えてみれば誰かに確かめた覚えはない。夜、遠方の汽笛などがよく聞こえるのはなぜか。地表に近いほど空気が冷えて比重が高くなるので音波が地表に沿って伝わってくるから。なんて記事を雑誌か何かで読んだような覚えもかすかにあるのだが…。

 というわけで、太陽は太平洋の水平線から上ってくるのが当たり前、と物心つくころから思っていた。初日の出をどうこう、などという気になるはずもない。元旦は東京湾まで歩いて初日の出を拝もうというのは、ほんの思いつきから始まったわずかここ数年の習慣だ。大井ふ頭の倉庫群の間をうろうろして、結局、東京湾の海面を見ることなく引き返した年もある。結局、これまではいつも何かの建物越しに出てくる太陽を見るだけに終わっていた。

 よし、今年は海から上がるところを見よう! 出がけにグーグルをいちべつして城南島の海浜公園に決める。ここならすぐ南側は羽田空港で、東の方向には海しかないはずだ。目黒川沿いに第一京浜(国道15号線)まで出て南下、京急・青物横丁駅の先を左折して海岸通りに出て、また南へ。突き当りが大井競馬場だから、そこを左折し、京浜運河を渡ってからすぐの大通りをさらに南へ向かう。この道が長い。両側に大井ふ頭海浜公園がしばらく続き、その先は臨海斎場で、これもまた広い斎場である。環状7号線をくぐってさらにひたすら歩くと、ようやく城南島という道路標示が現れた。

 ここで気が変わる。東へ行くと目指す城南島なのだが南方に運河をまたぐ大きな橋が架かっており、その道を行くと京浜島という表示。この地名は想定外だったが、こちらに目的地を変更する。この道がまた長かった。東京消防庁第二方面訓練場なる施設などを横目にようやく島の南端に出る。運河を挟んですぐ目の前は、羽田空港。太陽は、はるかに見える管制塔と思われる高い建物の左上に見えた。家を出てからここまで1時間半強。品川ケーブルテレビの腕章をつけたカメラマンが望遠レンズをつけたカメラで空港の方角を狙っている。8時前だからだろうか、離陸する航空機の数はそれほど多くない。羽田空港がハブ空港などと到底呼べないのが、よく分かる。

 帰宅後調べたら、空港に面して細長く伸びる遊歩道は「つばさ公園」と言い、離着陸する航空機を眺めることができる場所として有名なのだそうだ。ついでだから公園の東端まで歩くと、消波テトラポットの周辺でカモ類と思われる水鳥たちが遊んでいた。島で出会った人の数より水鳥の方が多い。帰りは島の中央の大通りを戻り、そのまま運河にかかる橋を渡って西側の昭和島に行き、天王洲アイルまで東京モノレールで戻ってきた。

 しかし、埋め立て地というのは地図で見ても相当広そうだと分かるが、歩いてみるともっとはっきりする。目と鼻の先の都心と土地の使い方がまるで違う。帰宅後、京浜島をウィキペディアで調べてみた。

 面積は約100万平方メートル(編集者注:1平方キロメートル)で、人口は2人、と書いてあった。

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