今年もパソコンの世話にならなかったため、24日までに年賀状を出し終える快挙を達成した。理由は昨年も書いたので繰り返さないが、昨年末と今年の正月に年賀状、喪中はがきをいただいた方にだけ差し上げる方法に変えたためだ。きっかけはプリンターの故障などやむを得ない事情からの窮余の策である。全てとはいかないが、宛名も添え書きもいただいたはがきを読み直しながら書くので、相手の近況もあらためて分かるメリットにも気づいた次第。どうも時間もこちらの方がかからないような気がする。パソコン操作の手違いで無駄にする年賀状が皆無になったし、そもそも出す枚数が最も多い年の半分強で済むようになった。何年も一方的に送りつけていた方が相当いたということだ。先方は、えらい迷惑だったか、中にはなんて人の好い男か、と笑っていた人もいたかもしれない。
ということで、25日は朝から余裕十分。通信社時代の大先輩、倉田保雄さんの著書を読むことにする。倉田さんが87歳で亡くなられたのは11月18日だ。新聞の訃報記事で知り、参列した告別式会場に並んでいた著書が多いのに驚く。このうち図書館から「エッフェル塔ものがたり」(岩波新書、1983年)と「ヤルタ会談—戦後米ソ会談の舞台裏」(ちくまライブラリー、1988年)を3連休の初日に借りてきていた。
倉田さんはロンドン特派員、パリ支局長を経験されておられる。第1回のフルブライト留学生でもあるということだ。国際記者とはいえ、エッフェル塔を題材にこれほど意外性のあるさまざまなエピソードを盛り込んだ本を書いてしまう着想と筆力にあらためて驚嘆した。これまで文芸春秋をはじめ、雑誌に書かれた短い文章にしか接していなかったが、あらためて独特の筆の運びに感服する。どこかから丸写ししたように思わせる表現など皆無だ。さらに、しばしばにんまりしてしまうユーモア(往々にして皮肉が込められた)がちりばめられているから、教科書的記述が嫌いな人間にはこたえられない。
エッフェル塔の設計者エッフェルは、世界各地に有名な橋をたくさん造っている。これは東京スカイツリーのデザイン監修者である澄川喜一・元東京芸術大学学長にインタビューした時に教えてもらっていた(2011年2月10日「ものづくり国のシンボル- 東京スカイツリーの魅力とは」」第1回「日本の伝統美生かした設計」参照)。ところが、ニューヨークの「自由の女神」の骨格もエッフェルの設計だと、倉田さんの著書で初めて知る。
エッフェル塔は、完成後20年で取り壊すという契約がパリ市と結ばれていたというのも知らなかった。だが、命を長らえることができた理由の一つが、フランス陸軍が軍の電信システム開発に必要な実験に塔を活用することだった、というのはもっと驚きである。最初から電波塔として計画された東京タワーや東京スカイツリーとはまるで違う。エッフェル塔に取り付けられたアンテナが傍受したドイツの暗号通信から、有名なドイツの女性スパイ、マタ・ハリが捕まり、銃殺に処せられた。しかも、彼女が踊り手としてデビューしたのは、エッフェル塔1階のレストラン…。こんなすでに映画にもなっていそうな話にびっくりしているのは、欧州の事情にうとい編集者くらいかもしれない。
ホーッと思わせる挿話が次から次へ出てくる中で、エッフェルの度量の大きさを感じさせられたのが、科学、技術に対する姿勢である。塔の4階(最上階)に4つの大きな部屋を設け、そのうち一つは自分専用のサロンにしたが、残り3つは、気象観測、天体観測、生物学的観測用として、一流の学者たちに運用を任せたというのだ。さらに塔の下に風洞を備えた風力研究所を造り、これはライト兄弟の航空機開発にも活用されたという。東京スカイツリーの上にはテレビやエフエム放送の送信アンテナがつけられるが、研究用の施設ができるといった話は、澄川先生からも聞いていない。
倉田さんとは、年齢も離れていることから、通信社時代に接点はまるでなかった。「同じマンションに住む高齢のご夫婦に子供たちが大変可愛がられ、とてもなついている。倉田さんという方」。長女から聞いて、意外な接点に驚いたのが数年前のことだ。ご夫妻にお子さんはおられない。昨年、千葉にマンションを購入して引っ越す直前に夫人が急死、長女、孫とあいさつに伺ったのが、残念ながら言葉を交わした最初で最後の機会となってしまった。
孫息子を自身の出身校である暁星学園に入れるよう盛んに勧め、最後に「おじいちゃんにキスをして」と幼稚園児である一番下の孫娘にキスさせていた。小さい子供に好かれるというのは、いつまでもみずみずしい心、真の知性を持っているのが直感の鋭い小さな子供にはすぐ分かるからだ、とあらためて思う。小遣いをやるときしか、孫たちからうれしそうな顔をされない編集者とは、人間の大きさがまるで違うということだろう。
「ヤルタ会談」の中に、倉田さんの知性を感じさせる記述があった。20年以上前の著書である。
「日本政府はつねにワシントンを通じて世界を見ており、…悪く言えば、“ヒズ・マスターズ・ボイス”を聞くビクターの忠犬みたいなものだ…」