7-9日付産経新聞「話の肖像画」欄に載った阿川佐和子さんの記事が面白い。残念ながら面識はないのだが、兄上の尚之氏(慶應義塾大学教授、元駐米日本大使館広報担当公使)とは、一時期テニス仲間だった。その後、上達されていなければ、腕前は似たり寄ったりである。ラリーが2、3回続くと辛抱できず強打してネット、さもなければコート外に、というプレースタイルも…。
6日の記事の中で、佐和子さんが次のように語っている。最新の小説「うから はらから」について実に愉快な話を披歴した後だ。「エッセーも小説も、ある意味で幕の内弁当みたいなところがあって。……1ページの中でも地の文と会話文、長いセンテンスと短いセンテンスのバランスがあるでしょ。読んでいてくどくなる前に、文章を変える。そういうテンポのようなものは、気をつけています」
小説は無論のこと、長い原稿を書いたことがない編集者ではあるが、「同感!」と胸の中でつぶやいた次第だ。
長年、記事を書いて来て、官公庁の文書を反面教師としている。事例や理由を個条書き的に列挙したくだりなどが、大いに参考になる。考えられることを細大漏らさず盛り込み、それでも安心せず「等」という字を最後にくっつける。そういう個所は列挙された事例や理由を2つか、多くても3つ程度並べるだけにした方が、相当読みやすい。
当サイエンスポータルにも、時々、役所風だな、と思われる原稿をいただく。「等」はことごとく「など」に書き換えさせてもらう。どちらでもたいした違いはないとも思えるが、新聞記事では「等」を「など」と読ませる場合は平仮名表記にすることになっているからだ。これも役所風文章になるのを避けるためではないだろうか。理由をきちんと確かめたことはないのだが…。
さて阿川佐和子さんの最新作「うから はらから」が、どんな話か。あらすじを産経の記事から紹介する。
「43歳のバツイチ女性編集者が実家に出戻ると、母は熟年離婚で家を出て悠々自適、堅物の父は娘の自分より若い後妻を迎えていた。未来は後妻の連れ子と大人げないけんかを繰り広げながら、新たなパートナー候補と交際しつつ、元夫とも関係を保ち…」
ありそうでなさそうな物語、というところだろうか。などと考えているうち、ふと思った。
阿川さんというのは、自身も特定の男性と一つ屋根の下で暮らす、という気にはなれない人なのではないか、と。見合いはしたことがある、と記事の中でも認めているが、それ以上に進んだことはなかったようだし。
「テンポのようなものは、気をつけています」。阿川さんの文章に関わる話の最後の言葉に笑った。
「だからときどき、すじがどうでもよくなっちゃうんですよね(笑い)」
ニュースや解説記事でこれをやると問題だが、実生活では編集者など、この口ではないか、と思い当たった。先々のことなどあまり深く考えず、その日、その日の生活に困らなければよし、としてしまう…。