ノーベル化学賞を受賞される鈴木章・北海道大学名誉教授を招いた日本記者クラブ主催の昼食会・記者会見に出た。
聴衆を驚かせよう、あるいは面白がらせようといった種類の自己主張とは無縁の方、ということがよく分かる。ご自身の研究歴を順を追って話されるのを聴いているうち、失礼ながらうとうとしてしまった。ところが一転、橋本五郎・読売新聞特別編集委員が聞き手になってのやりとりになった途端に別人のようになられたのに驚く。橋本氏は秋田高校東京同窓会の会長を務められており、秋田高校とわが母校とは同窓会が姉妹関係にある。都内で開かれた秋田高校東京同窓会の催しに招かれて何度か言葉を交わしたこともある仲だ。話のうまさは承知していたつもりだが、人の話を聞き出す術も相当なものだ、とあらためて感服する。
「特許を取らなかったそうですが」。橋本氏が水を向けると「特許を取るには金がかかり、そんな金は文部省(当時)も大学も出してくれなかったから」と実に分かりやすい答えが返ってきた。「それに特許の申請文書というのは分かりにくい表現で、まねできるようなものではない。頭のよくない人が書いたとしか思えない文章だ」と弁理士など特許にかかわる人たちのこともチクリ。
ただし「研究者の第一の仕事は、早く論文を出すこと」を強調する一方、「今は研究にお金もかかるようになり、研究費をひねり出す一つの方法として特許を取ることも必要だろう」と時代の変化も認めていた。
氏と同世代の研究者の多くに共通すると思える話も聞けた。研究のために米国へ行ったときのカルチャーショックの大きさについてである。米国でもらった給料が北海道大学助教授としてもらっていた額の4倍。その上、肉やガソリンなども日本で考えられないくらい安い。「国力の違いを感じ、こんな国とどうして戦争などしたか、とつくづく思った」という。
話はさらに海外へ行きたがらなくなった最近の若手研究者の話になり、「外国へ行けば、学ぶことは多いからぜひ行くべきだ」と後輩たちの背中を押していた。
こうした主張はよく分かる。だいぶ前、米国で長年研究生活を送る高名な日本人研究者何人かにインタビューする機会があった。日本国内だけで研究生活を送った人にはとても聞けないような興味深い話にすっかり満足し、えらく得をしたような気分になった記憶がある。この人たちの人生の密度は平均的な日本人に比べとてつもなく濃い、という思いだった。
日本の国力はこうした年配の日本人研究者が最初に米国に渡ったころとは、はるかに大きくなった。今、若手研究者が感じるようなカルチャーショックは、これら先輩たちが経験したものとは比べようもないほどささやかなものでしかなくなってはいないだろうか。米国へ行ってぞくぞくするような興奮、目からうろこが落ちるような発見なども先輩研究者たちほどには…。
そう考えると若手研究者たちに同情したくなる。