新聞のニュース記事には、本記、雑観、解説という区分けが昔からある。この範疇(はんちゅう)に入らないのは、談話、とはもの、サイドなどと呼んでいる。編集者が通信社に入ったころは「雑観がうまい記者」などと敬意を持って語られる先輩記者がいたものだ。テレビがなかったころ、あるいはだれもが見られなかったころ、読者にその場にいるかのように思わせる記事を書けるというのは相応の筆力が必要だったということだろう。
本記というのは、一番大事な記事なのだが、他方、だれが書いても同じようになってしまうという性格もある。科学記事などは、大体、本記だけで終わりのケースが多いから、科学記者も筆力を発揮する場はそれほどないのがつらいところだ。その反動かもしれない。日本人のノーベル賞受賞者が出たり、「はやぶさ」帰還といった時に突然、社会部記者に変身させられるわけだから、ギアチェンジも大変、ということだろう。
元旦は、高峰秀子さんの訃報が新聞に一斉に載った。本記が似たようなものになるのは分かる。高峰さんの場合、驚くほど多くの映画でさまざまな役を演じているから、それも本記を書く記者にとっては、苦労したところではないかと思う。その後、毎日のように掲載された映画評論家の署名記事などから、ようやくなるほどなあ、という記述に巡り合った読者も多いのではないだろうか。
編集者が一番印象に残ったのは、5日の産経新聞に載っていた品田雄吉氏の追悼記事だった。氏は高峰さんを「不思議な女優で、俳優なら誰でも持っている『自己陶酔』を一切感じさせないところがあった」とし、さらに「華やかさとは別のペシミズム(厭世観)をどこかに持った人だった」と評している。
高峰さんがエッセイストとしても大変な才能のある人だったことはどの新聞の本記記事でも触れられていたが、編集者も何度も舌を巻いた口だ。あるエッセイの中で、ご本人が最も美人だとする女優を3人挙げていたことがある。原節子、入江たか子に3人目は確か山田五十鈴だったと思う。自分を美人だなどと思っていないということだ。
編集者は、並みの映画ファン程度は高峰さんの作品を観ていると思うが、確かに驚くほど多様な人物を苦もなく演じていた印象を強く持っている。どの記事も触れていなかったが「『春情鳩の街』より 渡り鳥いつ帰る」(久松静児監督)という作品がある。原作は永井荷風で、東京都墨田区にあった赤線地帯を舞台にした作品だ。「働かせてくれ」とふらっと現れ、何日も客をとらずただ飯を食べた挙句、金を盗んでとんずらしてしまう。そんなおよそ大女優らしからぬ役を実にそれらしく演じていた。
品田雄吉氏の追悼記事を読んで、この作品の高峰さんの演技をすぐに思い出したという次第。