レビュー

編集だよりー 2010年12月29日編集だより

2010.12.29

小岩井忠道

 都心の行きつけの店が皆、年末休みに入っているこの日、浅草で通信社時代の仲間と忘年会を開いた。言い出しっぺは現在、東京メトロポリタン(MX)テレビの平日20時からの生番組「TOKYO MY NEWS」でコメンテーターを務める角田光男氏だ。編集者と同じ大学の工学部出身なのだが、科学記者は1年で見切りをつけ、社会部記者で通した人物である。集まったのは通信社生活の後半を旧ラジオ・テレビ局、メディア局で一緒に過ごした人間ばかりで、何か口実をみつけてはよく一杯やる仲だ。角田氏だけはこのところ出演番組の終了後、皆が相当出来上がっているころに合流、というケースが続いた。忘年会くらいは最初から参加したい。ついては28日(金曜日)が仕事納めだから、翌29日に早い時間から浅草で一杯やろう、となった次第だ。

 29日ともなると、男手がない一家の主はいつもの通りとはいかないらしい。大掃除その他で外出は許されず、泣く泣く不参加を表明。そんな常連が何人か出て、編集者を含め参加者は4人という淋しい数になりかけた。そこは気配り十分、気づかい人一倍の角田氏である。元文化放送報道部長で、人気番組「ニュース・パレード」のキャスターとして切れ味鋭い報道ぶりでも知られた西山弘道氏にも声をかけようとなった。キャスターになる前から公的、私的な会合でしばしば顔を合わせていた間柄だ。西山氏も「それは望むところ」となり、久しぶりになつかしい組み合わせの会合が実現した。

 浅草公会堂近くのすし屋で夕方から飲み出す。今年通信社を定年になったばかりの一番の若手だけは、父上が医師だからちょっと違う。しかし、残り4人には決定的な共通点がある。終戦直前ないし直後に生まれ全員、日本全体が貧乏だった時代のまさに貧乏な家庭に育ったということだ。西山氏と編集者は同じ年に中国大陸で生まれた、というもう一つの共通項がある。上海生まれの編集者と異なり、満州から引き揚げた西山一家の苦労は並大抵ではなかった、と前に聞いたことがある。「お互い帰国子女の身」。西山氏がニュース・パレードのキャスターになった時、それに触れたある文章に書いた覚えがある。

 「高峰秀子が出た映画『綴方教室』を1年前に観て、ああ西山さんが育ったのはこんな所だったか、と思いましたよ」。隣に座った氏に話しかけると、よくぞ言ってくれたといわんばかりに肩を抱かれた。「綴方教室」は一定の年齢より上の人にはよく知られているように、小学6年生だった豊田正子の綴り方を集めたベストセラーで、出版翌年の1938年に早くも山本嘉次郎監督によって映画化されている。主人公(原作者の豊田正子)役を演じたのが、同じ年ごろの少女だった高峰秀子だった。

 映画の舞台(原作も)になったのが東京の下町、葛飾区四つ木で、西山氏の育ったところだ。東京と言っても編集者の育った北関東の小都市と変わらない風景と生活が映画の中で展開される。高峰秀子が全く悪気はなく綴り方に書いてしまった事実に、近所の有力者一家が怒り、それで困った母親(清川虹子)が、娘(高峰秀子)をほうきでしつこくたたく。そんな場面があった。昔の親は威張っていたものだ。今そんなことをしたら逆に子どもに殺されてしまいかねない、と妙に感心したものだ。

 西山、角田両氏とともに、もう1人の仲間である松野修氏を加えた3人は、いずれも私立大学の非常勤講師としてジャーナリズムを教えている。3人の教え方がそれぞれ違うのが面白く、また感心する。若者に教えるということは、狭い範囲の知識にとどまらず度量、経験、教養といったものまでも含めた自分の全人格をさらけ出すことにほかならない。3人の話を聞いて感じ、あらためて固く誓った。「到底、編集者などにできる行為ではない。万々一、将来、非常勤講師などという話が来ても、絶対に受けまい」、と。

 西山氏との昔からの付き合いの中で感じたことを思い出す。放送の表現の方が、新聞など活字による表現よりはるかに練れているのでは、ということだ。これまでの人生で触れ合った方の中には、話より、書いたものの方が分かりやすい、という人もまれにいる。こういう方は、頭の回転の速さや、発想が飛び抜けているため、「こんなことはいわずもがな」ということがつい多くなってしまうのではないかと推察する。話す言葉にはどうしても省略が多くなってしまい、もらった抜き刷りなどを後で読んで「ああこういうことか」と納得することが少なくないということだろう。元々は地球物理学者だが、環境アセスメントや地震対策でもよく話を伺った島津康男・名古屋大学名誉教授などがすぐ思い浮かぶ。

 しかし、少数の例外を除いた大半の人は書いたものを読むより、話を聞いた方が何を言いたいのか分かりやすい。日本語は書き言葉が十分に成熟、発展してなく、文章を書きなれた一部の人を除くと、分かりにくい文章が多くなってしまう。その点、放送は聞いてすぐにピンとこなければ、いくら立派なことを言っても価値がない。放送の言葉づかいの方が新聞記事や研究者の論文に比べて進歩、成熟の度合いが上なのではないか、というのが編集者の見方だ。

 帰宅後、西山氏が理事をされておられる平河総合戦略研究所のメルガマサイト「甦れ美しい日本」をのぞいてみる。第064号(2006年5月3日)に西山氏の興味深い一文を見つけた。北朝鮮に拉致されたままになっている横田めぐみさんの母親早紀江さんが、06年4月米議会で証言した時の表現力のすばらしさを褒めている。早紀江さんは証言の中で次のように訴えたそうだ。

 「…たくさんの日本の、韓国の、また多くの国の何の罪もない若者たちが数十年間も抑留され、向こうの思ったように動かなければ強制収容所や、銃殺刑にされるかもしれない中で、一刻一刻助けを待っているのです。まだおぼれたままでいるのです。おぼれた人がいれば、私たちはすぐにでも手を差し伸べるのではないでしょうか。ほかのいろんな用事をまずおいて、飛び込んで助けるのが人の心ではないでしょうか」

  西山氏はその2年前、横田夫妻を講師に招いて講演をしてもらい、その後、早紀江さんと隣り合わせになって詳しく話を聞く機会があったという。早紀江さんは京都生まれで、実家は呉服卸問屋。高校、大学時代を通じて放送研究会に入っていた。脚本、シナリオを書くのが好きで、かなり勉強した、ということを聞き、尋ねたそうだ。

 「脚本力、構成力は当然、文章表現や、現実をつかみとる能力が求められるのであり、同時に自己表現能力も求められる。早紀江さんの表現力の素晴らしさは、学生時の放研時代から備わったものではないですか?」と。

 「早紀江さんはにっこり、うなずいた」そうだ。

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