毎年、この季節に行われるアジア・オーケストラ・ウイークは、ことしはとんだ災難に見舞われてしまった。中国の厦門フィルハーモニーの演奏が中止になってしまったのだ。指揮者が来日できなくなったから、というのが突然のキャンセル理由だったらしい。
もっともこれがなくとも初日、2日目とも東京を離れていたため、今年聴けたのは3日目の光州交響楽団だけだった。ノーベル医学生理学賞で日本人の受賞がないことを確かめた後、急いで東京オペラシティコンサートホールへ向かい何とか最初の曲に間に合った。「光州よ、永遠に」。武器を持って蜂起した市民が軍に制圧された有名な光州事件(1980年)について、事件勃発時に欧州にいたユン・イサンという作曲家が、郷里を思って創ったという曲だ。中心的な役割を果たした学生、市民に襲いかかる軍などを現す個所などが演奏前に紹介されたので、実にありがたかった。
光州事件については2年前、韓国映画「光州5・18」が日本でも公開されたばかり。「全羅道差別」という百済の時代にまでさかのぼる歴史的しがらみが、この事件の背景にあると知って、映画を見た後、考え込んだものだ。
続いての曲は、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲。編集者の数少ないなじみ曲の一つである。最後はマーラーの交響曲「巨人」。久しぶりに4管編成の音の奔流にすっかり圧倒され、満足して、いつもの仲間と飲食店に場を移す。「バイオリンはちょっとね」。数十年間、一流の演奏に触れてきた友人が、まずはメンデルスゾーンの協奏曲を弾いたソリストに辛口の評価。「音が会場後方まで十分通らなかった」と、もう1人の音楽愛好家も相づちを打つ。編集者は無論、反論などし(でき)ない。パンフレットによるとクララ・ユミ・カンという韓国系ドイツ人の女性バイオリニストは、まだ22、3歳の若手だが、4歳でマンハイム音楽大学に入学、5歳でハンブルク交響楽団にデビュー、という。それだけでも十分、編集者は感心してしまう。
この天才少女としか思えないバイオリニストをけなした友人は、最近、天満敦子の演奏を聴いたばかりだという。前に編集者も彼女のリサイタルを聴いたことがある。演奏もさることながら偉ぶらず、さわやかな人柄がすぐ分かり、大いに満足した覚えがある。バイオリンがストラディバリウス、などというのは無論、分かるはずもなかった。
日本のロケット開発の父として知られる糸川英夫氏に「八十歳のアリア 四十五年かけてつくったバイオリン物語」という本(1992年、ネスコ発行、文藝春秋発売)がある。実に面白い。ストラディバリウスよりよい音を出すため、まずクラシック音楽のラジオ放送を聴きまくり、楽譜と照らし合わせてバイオリンのクラシック曲で最も頻繁に現れる音が何かを調べ尽くした、というから恐れ入る。音の長さも含め4つの音が、その他の音より倍以上、使われていた、つまり作曲家が一番、聴かせたい音を突き止めたというわけだ。
その4つの音というのが、ト音記号の五線譜で真ん中付近に位置するA音とそれより高いD、E、さらに1オクターブ上のAである。この中でEと高い方のAは、バイオリンで一番高音が出るE線で弾かれる音で、さらに面白いことにストディバリウスを初めとする名器を含めた複数のバイオリンで調べたところ、いずれも肝心のこのEとAが「弱々しく細い」音しか出せないことも実験で確かめたというのである。このE、Aが「太い、力強い」音に聞こえるバイオリンをつくれば、ストラディバリウスを初めとするイタリア・クレモナで作られた名器を超えることができる、というのが糸川氏の悲願となった。
だれか映画化など考えなかったのかと思えるような谷あり山ありの話が続いて45年。ついにかのメニューインに「E線の音が、よく出るね」と言わしめた完成品にたどり着く。詳細は本を読んでもらうとして、もう一つ紹介した挿話がある。ハイフェッツ・テストというこれまた実に面白い話だ。
太平洋戦争後、日本はポツダム宣言によって航空機の研究を禁止された。糸川氏が音響学に転じたのは、航空機の研究ができなくなったためだ。1953年に渡米し、当時既に20数年間、バイオリンの研究を続けているサウンダー・ハーバード大学教授に会う。サウンダー教授は、当時、最高のバイオリニストといわれていたヤッシャ・ハイフェッツと組んで、イタリア・クレモナよりもっとよいバイオリンを科学的知識に基づいて作ろう、作れるはず、と頑張っていた。
ハイフェッツ・テストとは何か。サウンダー教授は既存のバイオリンの駒に「そこらへんにころがっているペーパークリップ」を挟むだけで、音は確実によくなることを突き止めていた。このバイオリンとストラディバリウスをハイフェッツに弾かせ、どちらがストラディバリウスか聴衆に当てさせたというのだ。ステージにカーテンをかけ、バイオリンの形など音以外の情報を遮断してのテストである。
聴衆はどちらがストラディバリウスか全く分からなかったという。「分からない」とギブアップした聴衆が大半だったのか、それとも半々に分かれてしまったのか、あるいはペーパークリップを挟んだだけの普通のバイオリンをストラディバリウスと間違った人が半数以上だったのか。詳しいことは書いていないのが少々残念だが…。
科学者がいくら頑張ってよい音が出るバイオリンを作ったところで聴衆にしてみれば、ストラディバリウスだから最高の音なのであって、公平な耳のテストなどできない。この挿話は、サウンダー、糸川両科学者がこうこぼし合ったというのがオチになっている。45年かけてついに思いを遂げた糸川氏も「ストラディバリウスは永久に不滅」と信じる大半の聴衆と演奏家に対しては、結局さじを投げざるを得なかったようだ。