小説は1冊も読んだことはなく、ただ名前だけは知っている。米国のミステリー作家、ヴァン・ダインもその1人だ。そのヴァン・ダインが1920年に「20則」を唱えた、という話が日経新聞1面コラム「春秋」に載っていた。推理小説の基本ルールのことだそうだ。「謎を解くすべての手掛かりは読者の前に記されていなければならない」というのが最初に掲げられているという。
「その通り!」。大いに共感し、20則の中にこれが入ってなければ、ぜひ付け加えてほしいルールがある、と思った。「精神異常者は犯人にしない」。あり得ないような事件は歓迎だが、そのあり得ないようなことも、一般の人間とはだいぶ考え方の異なる犯人だからできたこと。これでは、最後まで読んだ人間にとっては疲労感と虚脱感しか残らない。そういえば高名な日本人女性作家の小説で、子供が突然いなくなってしまった理由も犯人も結局、最後まで分からない、というのがあった。読み終わってぼう然としたのは、編集者のような“きまじめな”読者だけだろうか。
1月16日に日本学術会議が主催する「21世紀、科学技術とどう向き合って行くか」というシンポジウムがあった。基調講演は、相澤益男氏(総合科学技術会議議員、前東京工業大学学長)と有馬朗人氏(元文部科学相、元理化学研究所理事長、元東京大学総長)といういずれも学界の指導的立場にある人である。2人とも疑似科学について多くの時間を割いていたのが興味深かった。「納豆でダイエット」といったテレビ番組を多くの人が信じてしまう昨今の状況に対する危機感がうかがえる。もっともシンポジウムの狙いは、一般の人の科学リテラシー向上を目指すというよりは、科学者としてどう対処すべきかに主眼が置かれていたようだが。
1月23日の編集だよりで、アンドロメダ星雲に飛行するという話を書いた。SFアニメや映画などによっておそらく多くの人が持っていると思われるイメージと、できるだけ科学的に想定した場合の太陽系外宇宙飛行とが、いかに似て非なるものか。ほかの人にも知ってもらうのも悪くないだろうと考えてのことだ。しかし、うろ覚えだったので、相当あいまいな表現になってしまっている。
きょう古い資料をめくっていたら、その話についてだいぶ前に書いた文章が出てきた。
まず、出典は、世界未来学会の機関誌(1987年9-10月号)とある。1月23日の編集だよりでは、米国の一般向け科学雑誌と書いてしまったが、学会機関誌だった。筆者は、米航空宇宙局(NASA)のアポロ計画にもかかわったビュラスという技術者。ビュラス氏が描く宇宙船の大きさは、月の半径にも相当する巨大さである(必要な資材は調達可能なのだろうか?)。エンジンは、現在実現していない強力なエンジンで、これで光の速度の40%の速さで飛ぶという想定だ。
アンドロメダ星雲というのは、わが銀河系から一番近い銀河の一つである。この巨大な宇宙船で、どれくらいかければ到達できるというのだろうか。
「百万年後」という。1月23日付のオピニオン欄に掲載した菊山紀彦氏(宇宙アカデミーきくやま代表)の寄稿「彼らはやって来たか」 の中の一文が、急に現実感を持って迫ってくる気がしないだろうか。これまで高度な地球外生命体が地球にやって来られなかったのはなぜか。考えられる理由の一つとして、菊山氏は次の説を紹介している。
「宇宙人へ進化した種族も高度な科学技術は手にしても争いから脱却することはできず、地球への大航海に乗り出しながら、旅の途中で宇宙船の中での紛争から自滅してしまった」